「どうしても現場に行きたかった」――海外サッカー中継のスタッフから無給のクラブスタッフに。FC町田ゼルビア・渡辺直也チーフマネージャーインタビュー(中編)
今シーズンから初めてのJ1を戦う航海に漕ぎ出すFC町田ゼルビア。このクラブには、まだ専用練習場を持つことができず、借りているグラウンドの近くの“一軒家”で選手が着替えていた時代を知るスタッフがいる。渡辺直也チーフマネージャー。44歳。もともとはスカパー!でデータマンをやっていた男は、その想いを断ち切ることができず、気付けばサッカーがより身近にある現場へと身を投じていた。中編では海外サッカー中継のスタッフを辞して、カマタマーレ讃岐の“無給スタッフ”になった理由と、そこからゼルビアとの接点ができるまでの経緯を、渡辺に振り返ってもらう。
カマタマーレ讃岐で初めて知った現場の世界
――改めてお聞きしたいのですが、もともとマネージャーの仕事には興味があったんですか?
「まったくなかったです。なかったと言うより、マネージャーなんて仕事を知らなかったですね(笑)。昨年の12月のマネージャー会でガンバの橋本(篤)さんにお会いしたんですけど、その橋本さんは僕がマネージャーという仕事を認識するきっかけになった1人なんです。僕は大学生だった1998年のW杯でサッカーが大好きになって、そこからの4年間はひたすらサッカーを見ていた感じだったので、ガンバの練習場にも普通にプライベートで見に行っていたんですね。
それが初めて見たJリーグの練習だったんですけど、そのグラウンドで走り回っていたのが橋本さんだったんですよ。当然その時は存じ上げていなかったのに、何となく印象に残っていたんです。でも、そこから10年後ぐらいにカマタマーレ(讃岐)に行く時も、当時の監督の羽中田(昌)さんに『何でもいいから手伝わせてください』とは言いましたけど、『マネージャーをやらせてください』とは言っていないんですよ。その時ですらマネージャーという職業に対する認識はなかったですから。
それで初めての現場で『マネージャーみたいなことをやるか?』とスタッフの方に言われて、『はい。じゃあマネージャーやります』と言ったのがスタートですね。その時はボランティアでしたし、カマタマーレも四国リーグにいた頃で、僕はホームページにも載っていないスタッフというか、ただの『羽中田さんの知り合いで手伝いに来ているヤツ』という感じだったんですけど、その時に初めて『ああ、サッカークラブにはマネージャーという仕事があるんだ』と思って、その時に突然橋本さんの記憶が繋がったんです。『あのガンバの練習で見た人がマネージャーだったんだ!』って。その人とお話するようになったのも不思議ですね。だから、『マネージャーになりたい!』と思ったことは一度もなくて、気付いたらなっていたんです(笑)。これは結構レアなパターンだと思います」
海外サッカー中継の世界に飛び込んだ理由
――僕が渡辺さんと知り合った頃はスカパー!の海外サッカー中継のデータマン(※解説や実況の方にデータを提供するスペシャリストのこと)でしたよね。そこにはどうやって辿り着いたんですか?
「僕は浪人して大学に入っているので、2003年卒業なんですけど、サッカーの仕事をとにかくしたいと思っている中で、マネージャーの仕事なんてもちろん知らなかったですし、その時に思い付いたのがメディアしかなかったので、『メディアでサッカーに関わりたいな』って」
――まったく一緒です(笑)。……
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!