【短期集中連載】2023引退選手の記憶#3:田中順也
2023シーズン限りでピッチを去る選手たちがいる。元日本代表のスター選手、サポーターに愛されたワンクラブマン、様々なチームを渡り歩いたベテラン選手、若くしてユニフォームを脱ぐことを決断した者……それぞれが歩んだキャリアに光を当てる。
第3回は、日本代表にも選出された一撃必殺のレフティ、田中順也。自身も認める“無名”の学生時代を経て、J1からJ3まですべてのカテゴリーに加え、ヨーロッパでのプレーも経験した14年間のキャリアを振り返る。
クラブW杯の公式会見で各国メディアから注目の的に
2011年12月13日。豊田スタジアムの記者会見場では、翌日に行われるFIFAクラブW杯準決勝、柏レイソル対サントスFCの公式記者会見が行われていた。柏を代表して会見に臨んだのは、売り出し中の若手の一人、田中順也だった。
FIFA主催の国際大会。当然、海外メディアも記者会見に大挙している。J1リーグで13得点を挙げ、柏のリーグ初優勝に大きく貢献したとはいえ、日本代表どころか、年代別代表の出場キャップも持たない選手が、サントスとの大一番を前に会見に出席していることが海外メディアにとっては不思議でならなかったのだろう。質疑応答では、田中に向けて外国人の記者から彼のキャリアに関する質問が投げかけられた。
「大学時代はまったく無名でした。この2年間、とてつもない経験をしているので、自分でも驚いています。2年前は大学生で、去年はJ2でプレーしていました。まさか自分が世界のベスト4に立てるとは思っていなかったです」
わずかに苦笑いを浮かべながら、田中はそう答えた。
“無名”の大学生をJリーグデビューさせたネルシーニョの慧眼
彼が自分自身を“無名”と表現した言葉は、謙遜だけが理由ではない。中学から高校までの6年間を過ごした三菱養和SCでは、ジュニアユース時代は控えという立場に甘んじ、ユース時代はエースの地位を確立したものの、プロへの道は開かれなかった。ユースの主要大会において目立った成績を収められず、強豪と呼ばれる大学へのスポーツ推薦を勝ち取れなかった田中は、一般入試を経て順天堂大学に入学した。その順天堂大学でも、当初はBチームからのスタートだった。……
Profile
鈴木 潤
2002年のフリーライター転身後、03年から柏レイソルと国内育成年代の取材を開始。サッカー専門誌を中心に寄稿する傍ら、現在は柏レイソルのオフィシャル刊行物の執筆も手がける。14年には自身の責任編集によるウェブマガジン『柏フットボールジャーナル』を立ち上げ、日々の取材で得た情報を発信中。酒井宏樹選手の著書『リセットする力』(KADOKAWA)編集協力。