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引退を決断した26歳、徳島ヴォルティス・吹ヶ徳喜が刻んだ濃厚な4年間の物語

2024.01.24

【短期集中連載】2023引退選手の記憶#2:吹ヶ徳喜

2023シーズン限りでピッチを去る選手たちがいる。元日本代表のスター選手、サポーターに愛されたワンクラブマン、様々なチームを渡り歩いたベテラン選手、若くしてユニフォームを脱ぐことを決断した者……それぞれが歩んだキャリアに光を当てる。

第2回は、ケガに悩まされ26歳で現役引退を決めた吹ヶ徳喜。大きな期待を背負って徳島ヴォルティスに加入して以来、4年間の知られざる物語を伝えたい。

 「徳島を喜ばせる」

 その名前に、親近感を抱いた。

 記念すべき初出場はプロ2年目。徳島が2度目のJ1挑戦を掴んだ2021シーズンの第1節・大分戦(△1-1)に開幕先発として抜擢された。当時はコロナ禍の影響で新たに招聘されたダニエル・ポヤトス監督(現・G大阪)が入国できず、甲本偉嗣ヘッドコーチ(現・徳島ヴォルティスユース監督)が代行指揮を執る異例のスタートだった。入国前のポヤトス監督は「スタッフ陣と情報共有はしているが最終判断は現場に任せる」と明言しており、吹ヶを左SBとして最終的に抜擢したのは代行指揮を執った甲本ヘッドコーチだった。また、縦関係の左サイドMFにはユースからトップ昇格して3年目の藤原志龍(現・宮崎/期限付き移籍)を起用する大胆采配でもあった。

 「力のある選手たち。そこに期待して開幕戦で起用したが、2人ともかなりいい仕事をしてくれた。時間を作ったり、相手が困るようなプレーを積極的にしてくれた。今後もいい影響を与えてくれるのではないかと感じている」(甲本ヘッドコーチ)

 開幕戦で勝利するには至らなかったが、先制点を挙げてリードする展開で試合を進められた中で吹ヶも輝きを放った。

 「めちゃめちゃ久しぶりの試合でした。とにかく楽しかったです!」(吹ヶ)

 開幕から3試合連続先発起用を含む合計5試合に出場。徳島ヴォルティスの歴史年表にも刻まれたJ1ホーム初勝利の第6節・横浜FC戦(〇2-1)では87分間出場。引退を決断した際のプレスリリースにも当時の達成感を振り返るように「ポカリスエットスタジアムでのJ1ホーム初勝利の瞬間、ピッチに立てていたことは一生の思い出です」と綴っている。

 そんな吹ヶの人生を少しだけ覗き込みながら、引退に花を添えたい。

2021シーズンの第1節・大分戦のスターティングイレブン。吹ヶは後列、左から2番目(Photo: TOKUSHIMA VORTIS)

同い年の杉森いわく「小学生時代からデカかった」

 三重県出身、名古屋アカデミー育ち。吹ヶの少年時代を「ずっと“すっごいなぁ!”って思っていた選手」と語るのは同じ下部組織で育った同い年の杉森考起。2人がともに名古屋でプレーするようになったのは小学5年生からだが、杉森いわくそれ以前から吹ヶは地元で有名選手だったそうだ。

 「とにかく大きかったんですよ。今は一緒くらいの身長になりましたけど、小学校の時は“でかい!”ってイメージでした。チームメイトに1人だけ大人がいました(笑)」(杉森)

 名古屋ユースからトップ昇格は叶わなかったものの、阪南大学を経て徳島でプロ入りを果たす。当時、阪南大学で指揮を執っていた須佐徹太郎監督は吹ヶの特徴について「左利きでいいところが見えていて攻撃の起点になれる選手。オーバーラップの回数も多く、左サイドからいいクロスを上げられる。本人はそう思っていないようですが守備に戻るスピードもあり、1対1も粘り強くやれます。Jリーグでも大いに活躍できる要素を持っていると思っています」と入団会見で説いた。獲得に努めていた谷池洋平強化部長も同様の特徴を言葉にしながら「徳喜はすごいですよ。速くて活動量もある」(谷池強化部長)と将来を嘱望した。

 プロ初年度、コロナ禍に見舞われた。ただ、その時期に入るまでの約1カ月半や、練習や試合が再開され始めた頃の吹ヶはどことなく幸せそうに見えた。……

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吹ヶ 徳喜徳島ヴォルティス

Profile

柏原 敏

徳島県松茂町出身。徳島ヴォルティスの記者。表現関係全般が好きなおじさん。発想のバックグラウンドは映画とお笑い。座右の銘は「正しいことをしたければ偉くなれ」(和久平八郎/踊る大捜査線)。プライベートでは『白飯をタレでよごす会』の会長を務め、タレ的なものを纏った料理を白飯にバウンドさせて完成する美と美味を語り合う有意義な暇を楽しんでいる。

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