12月31日、横浜F・マリノスはハリー・キューウェルの監督就任を発表した。現役時代は「オズの魔法使い」と呼ばれたオーストラリア代表の名ウイングながら、監督としての実績はほぼない45歳。オーストラリア在住ライターのタカ植松氏に、「監督としてのキューウェル」について解説してもらおう。
指導キャリアの転機はセルティック
オーストラリアが輩出したフットボーラーの中でも有数の実績と知名度を誇るハリー・キューウェルの横浜F・マリノス監督就任が正式に決まり、新体制がまもなく動き出す。
ケヴィン・マスカット前監督の辞任を受けて、後任監督人事の有力候補としてキューウェルの名前はすぐに挙がっていた。正直、そのこと自体にあまり驚きはなかった。横浜F・マリノスはアンジェ・ポステコグルー体制での成功以来続く“オーストラリア路線”を継続する前提で動く可能性は高い。となると、後任候補を「前任者2人に連なる人脈のオーストラリア人」に限定でき、そうなると候補者はおのずと絞られてくる。
筆者の把握している範囲では、キューウェル以外の名前が日本のフットボールメディアで取り上げられたことはなかったと思うが、上記の条件を満たし候補となりうる人物は他にもいた。ただ、キューウェルは他の候補者と比べて、本命の印を打つのを躊躇させない大本命だった。これは推測に過ぎないが、今回の後任選びがキューウェルを良く知る前任2人の推薦があった上での「キューウェルありき」の決め打ちでの交渉だったのではないか。
一方で、アジア随一のレベルを誇るJ1リーグの優勝争いの常連でもある横浜F・マリノスほどのクラブが、いかなるトップリーグでも監督経験のない人物に白羽の矢を立てたことへの驚きもあった。キューウェルが今回の監督就任までトップリーグでの監督経験がないという事実は、容易には拭えない不安要素だ。セルティック以前の経歴を見ても、最高でも英4部にあたる下部リーグでの指揮経験しかないのは心許ない。しかも、4年半に満たない期間で4つのクラブを渡り歩き、いずれも特筆すべきような成果を上げられていない。さらに、その期間の勝率が31.9%と芳しくなかったこともあって、キューウェルには“勝てない監督”としてレッテルが貼られかけていた。
筆者が暮らすオーストラリアでイングランドのチャンピオンシップ(2部相当)以下のリーグの試合を観戦するのは非常に困難だが、時おり入ってきた自国代表の元エースFWの動向はあまりポジティブなものではなかった。それだけに、オーストラリアで最も成功したフットボールコーチであるポステコグルーが、キューウェルを自らの腹心としてセルティックに招聘したニュースはある種の驚きをもって迎えられた。
しかし、ポステコグルーに声をかけられて始まったセルティックでの2年弱がキューウェルをコーチとして大きく成長させたことは疑いようがない。ポステコグルーとブレンダン・ロジャーズという2人の有能な監督のコーチング哲学を身近で学び、実践できたのは得難い経験であったはずだ。キューウェル自身も2人の経験豊かな異なる個性を有するコーチの下での日々がどれだけ有意義なものであったかをセルティックの公式ポッドキャストなどで盛んに語っていた。
同胞ポステコグルーとの関係が良好だったことはもちろんだが、後任のブレンダン・ロジャーズとも信頼関係を築いていた。それゆえにセルティックは、横浜F・マリノスからオファーを受けたキューウェルを強く慰留した。その事実からもアシスタントコーチとしてのキューウェルが総合的に高い評価を受けていたことがわかる。
もはや監督養成学校?ポステコグルー派閥
オーストラリアのフットボールを継続的に見てきた筆者のバイアスはあるかもしれないが、キューウェルをセルティックに呼び寄せたポステコグルーは、(彼自身が明確に語ることはないものの)指導者キャリアのプロセスにおいて、自身のスタッフに必ずオーストラリア人の同胞を含めることを意識的にやってきたように映る。日常的なチームマネジメントの接点の中でオーストラリア人指導者を育てたいというポステコグルーの明確な意思が見えてくるのだ。……
Profile
タカ植松
福岡県生まれ。豪州ブリスベン在住。成蹊大卒業後、一所に落ち着けない20代を駆け抜けてから、アラサーでの国外逃亡でたどり着いたのがダウンアンダーの地。豪州最大の邦字紙・日豪プレスでスポーツ関連記事を担当後、フリーランスとして活動を開始。豪州フットボール事情というニッチをかれこれ15年以上守り続けて、気が付けばアラフィフ。オージー妻に二児の父。