どこに行っても活躍し、サポーターから溺愛され、惜しまれながら去って行くのがスアレスである。今年1月に加入したグレミオでは、36歳にしてキャリア最多の年間54試合に出場し、ブラジル1部リーグ最優秀選手に。そしてマルセロ・ビエルサに必要とされ、ウルグアイ代表復帰も果たした。欧州を離れて約1年半、まだまだ健在の“マタドール”が「この1年間に達成したこと」を、Chizuru de Garciaさんが振り返る。
出来過ぎたエンディング
12月3日、アレーナ・ド・グレミオを埋め尽くした5万5000人の観衆は、ひとしきり降る雨の中、試合が終わってからもスタンドから動こうとしなかった。この日、最後のホームゲームに出場したルイス・スアレスを称えるためだ。
割れんばかりの拍手と歓声に混じりながら、ゴール裏から響き渡るのは“LUIS SUÁREZ, É MATADOR!”(ルイス・スアレスはマタドールだ!)のチャント。「マタドール」はスペイン語で「闘牛士」を意味するが、サッカー界でも鋭い一撃を突き刺す優れたストライカーの代名詞として使われる。デビュー戦でいきなりハットトリックを達成した時から、グレミオのサポーターはスアレスをマタドールと称して崇めてきた。その名誉に応えるかのように、惜しまれながらチームを去る彼は、最後のホームゲームでも豪快なボレーシュートによる得点を決めてチームに1-0の勝利をもたらした。
「この素晴らしい1年の締めくくりとしては最高だったと思う。私の役目は、常にチームのためにベストを尽くすこと。今日は特別な日だ。ホームゲームで勝利を収めてサポーターのみなさんにお別れを告げることができたのだから。素晴らしいことだよ」
試合後、感慨深げに語ったスアレスの表情には、期待に応え任務をまっとうした安堵感と、自分を信じ愛してくれたクラブ関係者やファンとの別れを惜しむ気持ちが滲み出ていたが、このドラマはまだエンディングシーンを迎えていなかった。それから3日後の12月6日、グレミオでのラストゲームとなったフルミネンセ戦で聖地マラカナンのピッチに立ち、PK1本を含む2得点を決め、2-3の勝利の功労者となったのである。
ウルグアイ人にとってのマラカナンに、特別な意味と価値が秘められていることについてはここで詳しく説明するまでもなかろう。1950年W杯決勝でウルグアイがホスト国ブラジルを破り優勝するという偉業“マラカナッソ”を成し遂げたスタジアムにおいて、スアレスがゴールを叩き込んだのはこれが初めてのこと。ウルグアイ代表歴代最多スコアラー(138試合68得点)がブラジルでのキャリアを「マラカナンでの初ゴール」で終えるという、フィクションであれば出来過ぎと言われそうなラストシーンが用意されていたのだ。
膝の痛みと戦いながら…期待を裏切らない
「軟骨が擦り減ってなくなったことによって、膝頭や脛骨と骨がぶつかる。そこで摩耗が起きて、余計な力を入れるせいで体の他のところに負担がかかり、腰や背面にも広がってしまう。痛みを我慢しながら寝ることもあって、そんな時は翌朝起き上がってから最初の一歩で耐え難いほどの痛さを感じるんだ」
長年にわたって慢性的な右膝の痛みに連日苦しめられている現実について、ウルグアイのTV番組『Punto Penal』で詳細を打ち明けたのが半年前。その深刻な状況に一時は引退説も流れたが、ベストコンディションにないことを理由に今年いっぱいでグレミオを退団する意向を表示した後もプレーし続けた。……
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。