選手としてのプレー経験に乏しい人材が続々と台頭している分析分野における先駆者の一人、ベンヤミン・ウェーバーをご存じだろうか。クロップの下でアナリストとしてのキャリアをスタートし、トーマス・トゥヘルの下で長らく分析官を担当。名将たちの薫陶を受けた男は今、SDとしての新たなチャレンジに身を投じている。プロどころかアマチュア選手としての経験すらない“サッカー素人”が、クラブの要職を担うに至るまでの足跡をたどる。
プロどころかアマチュアを含めてサッカー経験がないにもかかわらず、分析官としてCLの頂点に立ち、39歳でスポーツダイレクター(SD)に抜擢された人物がいる。
ベンヤミン・ウェーバーはユルゲン・クロップ率いるマインツでビデオアナリストのアルバイトを始めると、同クラブでトーマス・トゥヘルの腹心となり、ともにドルトムント、パリ・サンジェルマン、チェルシーで活動。そして今年1月、ドイツ2部パダーボルンのSDに任命された。
SDには選手の能力を見極める「目利き」が求められ、元選手が担当するのが通例だ。サッカー未経験者に任せるのは異例のことで、ドイツ国内で大きな話題になった。
なぜ“素人”がSDになれたのだろう?
テニスの若手有望株からの転身
もともとウェーバーはウィンブルドンや全仏オープンを目指すテニス少年で、ユース年代の世界ランキングで35位にランクインしたこともあった。のちに彼は「世界の転戦にはお金がかかる。家族に大きな負担をかけた」と振り返っている。
だが、腕のケガが慢性化してしまい18歳で引退を余儀なくされる。ウェーバーはプロテニス選手になる夢を諦め、地元から近いマインツ大学でスポーツ科学を学び始めた。ドイツでは公立大学の学費は無料だが、当然ながら生活費はかかる。夏にテニスのインストラクター、冬にスキーのインストラクターをして小遣いを稼ぎ、ある時から映像制作会社「Kemweb」でアルバイトを始めた。
この選択が人生の分岐点になる。「Kemweb」はマインツにおける試合映像の編集をサポートしており、ウェーバーはそこに配属された。当時のマインツの監督は、のちに名将として名を馳せるクロップ(現リバプール監督)。コーチのペーター・クラビーツ(現リバプールコーチ)が“教官”となり、サッカーのイロハを叩き込まれた。23歳の時のことだ。
ウェーバーは前半に大事なシーンを切り出し、ハーフタイムにコーチングスタッフへ示す役割を与えられた。IT人材は貴重で、データベースの管理も任されるようになる。気がつけばクラブに欠かせない人材となり、クロップがドルトムントに引き抜かれても、後任のヨルン・アンデルソン(現香港代表監督)の下で分析官を続けることになった。……
Profile
木崎 伸也
1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。