逗子からフィリピン、そして世界へ。カヤFC・堀越大蔵がアジアの舞台で見た夢
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で10月25日に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループステージ第3節、横浜F・マリノスがフィリピンのカヤFCイロイロに3-0で勝利を収めた。実は、カヤFCには神奈川県出身のある日本人選手がいた。同郷の舩木渉記者が、堀越大蔵の物語を綴る。
「家族や友人の前でプレーするのは僕の夢」
横浜F・マリノス対カヤFCの前日。試合に向けたカヤFCの公式記者会見に、1人の日本人選手が登壇して意気込みを語った。
「地元が逗子市ということで、(マリノスの本拠地と)同じ神奈川県で、日産スタジアムにもよく試合観戦に来ていました。僕のキャリアとしても大きな一戦になりますし、サッカー選手としての能力や価値を上げるためにも、Jリーグの強豪であるマリノスと真剣勝負ができるのはすごくいい経験になると思います。家族や友人の前でプレーするのは僕の夢の1つだったので、それを明日叶えられるのも嬉しいです」
カヤFC在籍4シーズン目を迎えた堀越大蔵は、キャリアの大きな節目とも言える試合に臨もうとしていた。世代別代表などの選抜歴はなく、日本でのプロ経験もない彼にとって、ACLはとてつもなく大きな可能性を秘めた「夢の舞台」だった。
「宮市(亮)選手のプレースタイルを見て勉強させてもらっていますし、エウベル選手はすごくキレもあって、見ていて面白いなと。そういう選手たちと実際にプレーしてクオリティの高さを生で感じたいです」
翌日の試合で、堀越はスタジアムに集まった観客を驚かせた。18分には味方GKのロングキックを起点に抜け出し、左足でゴールポスト直撃のシュートを放つ。徹底的に守りを固めてカウンターに賭けるカヤFCにとって、堀越の突破力は攻撃における唯一の希望だった。残したインパクトは宮市やエウベルにも匹敵するものだっただろう。
「負けてしまいましたけど、チームとしては試合前に掲げた『まず全力を出し切ろう』という目標は達成できたのかなと。試合が終わった直後のチームメイトたちの顔を見ても、とにかく一生懸命勝つために戦えたんだと感じました。そこは仁川ユナイテッド戦に比べて成長したところですね。個人としては、何回か自分の持ち味を出せたと思いますけど、やっぱりいろいろな面でレベルアップしないと、こういう試合で結果を出すのは難しいかなと。今後もこのマリノスのレベルを意識しながら練習していければいいかなと思います」
試合中、メインスタンドからは「大蔵! オレ!」と家族や友人たちによる声援も響いた。堀越は「たまに聞こえたので笑いそうになりました」と恥ずかしがりながらも、横浜の地でプレーできた喜びを隠そうとしなかった。
「恥ずかしい時もありましたけど、あれも僕の1つの夢だったので、しかもこんな素晴らしいスタジアムで、素晴らしい相手とできたので、プレーしていてすごく楽しかったですし、家族や友人たちの前で楽しんでプレーする姿を見せられたのはすごくよかったです」
日本でのプロ経験がない選手も、ACLならば地元でプレーを見せられるチャンスがある。しかも、「外国籍選手」として。日の当たらない場所でも地道に努力を続けてきたからこそサッカーの神様から与えられた“ご褒美”だ。
プロ選手デビューは、アルビレックス新潟シンガポール
堀越の父は、川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部に所属し、旧JFLでもプレーした経験のある堀越亮太だ。いわばサラブレッドだが、そのキャリアは決して華やかなものではない。
小さい頃から父と一緒にボールを蹴り、小学1年生の時に地元の逗子リトルSCで本格的にサッカーを始める。5年生で横須賀市の船越FCに移籍して地域選抜にも選ばれた。その後、中学受験を経て多摩大学目黒中学校へ進学。中学時代は全国大会に一度出場している。
そのまま多摩大学目黒高校に進み、高校1年次にはマリノスOBでもある奥大介の指導を受けたが、全国大会には届かず。もちろん高卒でのプロ入りも叶わなかった。高校卒業後は指定校推薦を利用して東海大学へ。ちょうど神奈川県リーグから関東大学サッカーリーグ2部に昇格したばかりだった東海大では、2年時からトップチームで活躍した。
だが、大卒でも幼い頃からの夢だった「プロサッカー選手」は遠かった。プロを目指して就職活動をほとんどしていなかったが、国内クラブからはオファーが届かず。唯一練習参加の機会を得たFC琉球からも不合格を言い渡されてしまった。
そんな中で舞い込んだのが、シンガポール移籍のチャンスだった。東海大でもともにプレーし、卒業前にサッカー部を辞めて先にプロになっていた笹原脩平からアルビレックス新潟シンガポールを紹介され、日本国内でのトライアウトで合格。思わぬ形でプロサッカー選手になる夢を叶えることができた。
それでも大卒の選手がアルビレックス新潟シンガポールでプレーできるのは、規定により1年だけと決まっている。2019シーズンにリーグベストイレブンの候補にも選ばれた堀越だったが、シンガポール国内での移籍先は見つからず、右足にケガを抱えた状態で帰国。また一からのクラブ探しが始まった。
フィリピンで掴んだチャンス。そしてコロナ禍での苦悩
地元の小学校や海岸でトレーニングしながらオファーが届くのを待つ日々は「精神的にも辛かった」と振り返る。帰国から約1カ月が経った頃、そんな堀越の元にエージェントを通じて吉報が届いた。フィリピンのカヤFCからトライアウトを兼ねた練習参加の誘いが来たのである。もう前に進むしかなかった。……
Profile
舩木 渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。