マルティン・デミチェリス、ガブリエル・エインセ、キリ・ゴンザレス、マルティン・パレルモらアルゼンチン代表OBが監督に名を連ねる(今シーズン途中まではフェルナンド・ガゴやガブリエル・ミリートも在任)同国1部リーグでまた1人、元名選手の指揮官が脚光を浴びている。2022年に現役引退を発表後、ロサリオ・セントラルでの監督初挑戦(同年6月〜11月)を経て、2カ月前からインデペンディエンテを率いる39歳、カルロス・テベスだ。「俺の列車に乗りたい奴だけついて来い」と選手を鼓舞し、悩める名門の救世主となった闘将の確かな手腕について、現地からChizuru de Garciaさんがレポートする。
昨年6月に指導者として新たなキャリアをスタートさせたカルロス・テベスが、コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル(アルゼンチン1部リーグ・セカンドステージ)で旋風を巻き起こしている。
2部降格の危機に瀕した名門インデペンディエンテの監督に就任するなり、チームを甦らせて8戦無敗の快進撃。9戦目のリーベル・プレート戦で敗北の悔しさを味わうも、5勝3分1敗の戦績でグループA(全14チーム)の2位につけており、降格ゾーンから離れただけでなく優勝に照準に合わせるほど勢いづいているのだ。
就任前はクラブと無関係な「よそ者」としてサポーターから拒絶されたが、多くの人が「不可能なこと」と半ば諦めていた短期間での改革を成し遂げ、今や絶大な支持を得たテベス。ボカ・ジュニオルスのレジェンドがライバルのインデペンディエンテの救世主になるというドラマチックな展開は、今期のアルゼンチン1部リーグを大いに盛り上げている。
「よそ者」に託した最後の賭け
テベスがインデペンディエンテの監督に就任したのは、それまでチームを指揮していたリカルド・シエリンスキの辞任から2日後の今年8月22日。財政難とチームの不振による幹部への不満、さらに2部降格の危機が生み出す緊迫した空気がクラブ内に充満し、サポーターの我慢はすでに限界に達していた。
シエリンスキの後任として最初に指名されたアリエル・ホランは、2017年にインデペンディエンテをコパ・スダメリカーナ優勝に導き、翌年のスルガ銀行チャンピオンシップも制した監督として厚い支持を誇るが、不安定で混沌としたクラブの内情を憂慮しオファーを拒否。その後、クラブのOBで当時はアルヘンティノス・ジュニオルスの監督を務めていたガブリエル・ミリートや、元エクアドル代表監督として昨年のW杯にも出場したグスタボ・アルファロなどが候補に挙がるもすべて断られ、最終的に残されたオプションは、ワルテル・エルビッティとテベスの2人となった。
ともに指導者としての経験は浅いが、有利と思われたのはエルビッティだった。エルビッティ自身も、アシスタントコーチのエドゥアルド・トゥシオとカルロス・マテウも現役時代にインデペンディエンテでプレーした経歴を持ち、フィジカルコーチのアレハンドロ・コーアンはホランと一緒に前述の2タイトルを獲得した時のキーパーソンとなった人物。クラブとの結びつきが強く、サポーターからの信頼も厚いスタッフを従えていたのである。
一方、ボカを愛し、現役時代は「アルゼンチンではボカでしかプレーしない」と公言していたテベスはインデペンディエンテにとって「よそ者」でしかない。しかもボカとインデペンディエンテは国際タイトル獲得数で競い合っており、どちらが本当の“Rey de Copas”(カップ戦の王者)であるかをめぐって常に論争が巻き起こる間柄だ。
だが、大方の予想に反し、選ばれたのはテベスだった。ネストル・グリンデッティ会長が直々にテベスと面会し、およそ2時間にわたって指導のメソッドやチームの現状についての見解を聞いた上での決断だったが、後日に会長自ら「指導者としてのテベスは大きな発掘だった」と語っている通り、この選択は大いなる賭け以外の何物でもなかった。すでにクラブ幹部に対する怒りが頂点に達していた中、会長による人選にサポーターから不満と不安の声が上がったのは当然の結果だったと言っていい。
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。