10月14日、等々力陸上競技場で開催されたWEリーグカップ決勝、サンフレッチェ広島レジーナ対アルビレックス新潟レディースの一戦は、延長120分の激闘の末、スコアレスのままPK戦に突入。4人全員が決めた広島が4-2でPK戦を制して、クラブ創設3年目で初のタイトルを手にした。
「ヨウ、あんた5番目やで」「えっ? 私が?」
立花葉はWEリーグカップの優勝を決めるPK戦を見守るために、センターサークルの付近にいた。「みんな、頑張れ」と心の中で祈りながら。
1人目は髙橋美夕紀が蹴り、2人目は上野真実。「PK戦を蹴るのなら最初がいい」と決めていた髙橋はゴール左隅にしっかりと決めた。「ゴール裏で声援を送ってくれた広島サポーターのみなさんに勇気づけられた」という上野も、落ち着いてゲット。
そして、3人目の柳瀬楓菜がPKスポットに向かう。
実はこの時まで、立花は自分がPKを蹴ることになっていたことを、知らなかった。しかも5番目。1人目と共にPK戦で最も緊張感のある順番である。
柳瀬の次、4番目に蹴ることになっていた呉屋絵理子は、立花の様子を不思議に思ったのか、それとも自らの緊張をほぐすためか、こんな言葉をかけた。
「ヨウ、あんた5番目やで」
「えっ? 私が?」
呉屋の言葉で初めて、自分が蹴るメンバーになっていたことに気づいた。
「そういえば、(監督の中村)シンさんが『ヨウ』って私の名前を呼んだ気がしたな……」
サンフレッチェ広島レジーナは、PK戦のメンバーは中村監督が決め、順番は選手たちに任せるという形をとっていた。この時に決めたキッカーは、髙橋・上野・柳瀬・呉屋、そして立花という構成で、監督としてはPK戦の直前に選手たちに伝えたつもりだった。
立花も最初は、自分が蹴るのかなとなんとなくは思っていた。だが、髙橋と上野が決め、柳瀬が蹴りにいくという流れがあまりに自然で、一方では自分の順番を言われていなかったこともあり「あー、私は蹴らないんだな」と思い込んでいた。
「え? 私が蹴るの?」
「うん、5番目になっているんやけど、大丈夫?」
おそらくは、蹴る順番を決める時、聞き逃していたのだろう。だが、呉屋はよく、ここで立花の勘違いに気づいたと思う。そこは第六感というヤツか。
一気に緊張感が襲ってきた立花は、呉屋に伝えた。
「え、ちょっと……(5番目は)嫌かも」
「もう……、まあええよ、私と変わってやるよ」
呉屋の優しさに、立花は甘えた。
3番目のキッカー、柳瀬が秘めていた高校時代の“ある後悔”
その頃、3番目の柳瀬は落ち着いて、ボールをセットした。
「左に蹴ろう」
彼女は、どうしてもPKを蹴りたかった。想いは2019年1月3日、高校女子サッカー選手権1回戦まで遡る。
女子サッカーの名門であり、前年優勝チームだった藤枝順心高で柳瀬は1年生ながらピッチに立っていた。この時、藤枝順心のゴールマウスを守っていたのが現在の広島の守護神・木稲瑠那である。
相手はやはり女子サッカーの名門・常磐木学園。0-0とスコアは動かず、PK戦へともつれ込んだ。藤枝順心は最初の2人が失敗し、敗退が決定。その時の悔しさが、柳瀬には残っていた。
「あの試合で私は、PKを蹴らなかった」
キッカーに指名されなかったのは、彼女が1年生だったこともあったのだろう。柳瀬自身にも遠慮があって「蹴らせてください」とは言えなかった。だが後に「どうして私は、蹴りにいかなかったのか」と強く後悔したという。だから今回、中村監督に「行くか」と問われて、躊躇なく「行きます」と応えた。
「レジーナが大好き。このチームを勝たせたい」が口癖の21歳は、歴史上の人物でいえば、巴御前やジャンヌ・ダルクといった先頭に立って集団を牽引するキャラクターだ。満田誠のように激しく動き、稲垣祥のように身体を激しくぶつけてボールを奪う。「トムとジェリー」のジェリーのような機動性を持ち、ミッキーマウスのように可憐なやんちゃさも魅力的だ。その上でチームに対する献身も忘れない。そして「レジーナで優勝したい」という想いが、プレーに溢れ出ていた。
そういう彼女だからこそ、ボールをセットした時も自信に満ちていた。
「左に蹴ろう」
躊躇なく、想いも決まった。
だが、動き出した時、柳瀬は「やばい」と直感した。……
Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。