さすがにこれ以上は負けられない。今シーズンの松本山雅FCが挑んだ『信州ダービー』は、既に2度の屈辱的な敗戦をAC長野パルセイロに突き付けられていたのだから。10月15日の舞台はアルウィン。86分に野澤零温が華麗な決勝点を沈めると、緑のサポーターは歓喜で沸騰した。では、“松本山雅な人々”はこの3度目のダービーにどういう流れの中で向かい、執念で手にした勝利にどういう意味を持たせていくのか。おなじみの大枝令が一文字一文字に熱い魂を注入していく。
5月に実現した2試合の『信州ダービー』は屈辱の連敗に
「今度また負けたら、もう街を歩けないと思った」
今季3度目の信州ダービーを終え、松本山雅FCの最古参・GK村山智彦は苦笑交じりに肩をすくめた。10月15日、明治安田生命J3リーグ第31節。松本がAC長野パルセイロを迎え、1-0で勝利を収めた。
今季は長野県選手権決勝(天皇杯県予選)と長野ホームのリーグ戦で2戦しており、ともに長野が勝利。公式戦で松本を下したのは実に15年ぶりで、記録に残る限り前代未聞の「シーズントリプル」が懸かっていた。
松本と長野をめぐる歴史的背景のアウトラインは、昨年の原稿に譲る。松本がサッカーにおいては何歩も先を進んで「地域間マウンティング」が完了していたため、J3で相まみえること自体が不本意極まりない――という思いが大方の心情だと推察される。ただ、当たるからには彼我の差を圧倒的に示すのが至上命題でもあった。
それなのに、5月の2試合で2回も汚辱にまみれた。今となって振り返れば、止むを得ないチーム事情もあった。霜田正浩監督の新たなスタイルを定着させる過程の試合。「大一番でも積み重ねを表現することが勝利への最適解」というスタンスで臨み、内容は散々だった。であれば、それらを全て手放してロングボールに徹した方が勝率は高かっただろうか。どちらにせよ苦しい。怪気炎を吐く長野のモチベーションと比較しても、分が悪かった。
ミーティングには松本市長も訪れていた!
とはいえ、そんなことは関係ない。二度あることが三度あっては、信州松本の名が泣く。本来なら仏の顔は一度すらあってはいけない顔合わせ。外から見れば甚だどうでもいいJ3中〜下位の一戦かもしれないが、当事者にとっては死活問題なのだ。
松本はしかも、10月8日の前節・いわてグルージャ盛岡戦で1-4と大敗していた。昇格争いに首の皮一枚で踏みとどまっていた状況で、手痛い黒星。キャプテンマークを巻く菊井悠介は試合後のミックスゾーンで、心なしか目を赤く腫らしながら悲壮な覚悟を口にした。
「このクラブが積み上げてきたものや歴史をわかっていない選手は、この1週間でいち早く理解しないといけない。たとえ足が折れてでも守らないといけないし、点を取りにいかないといけない戦い。一人でもこのダービーに懸けていない選手がいるとしたら、このエンブレムをつけて練習するのは違う」
そしてオフ明けの11日、松本はトップギアに上げた。立ち上げのミーティングに松本市長・臥雲義尚氏を招き、両市をめぐる歴史的な背景を説明。その上で街の代表として激励した。霜田監督も「松本のために戦う」と位置付け、このクラブにとってはワールドカップ(W杯)最終予選の埼玉スタジアム2002と何ら変わらない重みを持つ――と鼓舞。信州ダービーに懸ける松本の怨念にも似た執念を、前回対戦時よりも遥かに高い解像度で再定義していた。
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Profile
大枝 令
1978年、東京都出身。早大卒。2005年から長野県の新聞社で勤務し、09年の全国地域リーグ決勝大会で松本山雅FCと出会う。15年に独立し、以降は長野県内のスポーツ全般をフィールドとしてきた。クラブ公式有料サイト「ヤマガプレミアム」編集長。