敵地で行われたプレミアリーグ第7節フルアム戦の18分、エンソ・フェルナンデスは満面の笑みを浮かべてモイセス・カイセドに抱き着いた。その後ろで膝滑りをしているのはミハイロ・ムドリク。ともに高額の移籍金で昨冬に加入しながらも、最大140億円超とも言われる取引に見合った結果を残せていなかったウクライナ代表ドリブラーに、待望の入団後初ゴールが生まれてのことだった。
同じく好転の兆しを見せるチェルシーに歓喜の瞬間を呼び込んだ本人の努力と、マウリシオ・ポチェッティーノ監督との二人三脚を現地ロンドン在住の山中忍氏が振り返る。
「You deserve it!」(やったな!)――チェルシーでの初ゴールを決めたミハイロ・ムドリクに抱きつきながら、アシストをこなしたレビ・コルウィルが叫んでいる。10月2日のプレミアリーグ第7節フルアム戦(0-2)、18分の出来事だった。筆者の席からは最も遠いスタンド前でのシーンだったのだが、X(旧Twitter)に投稿された映像を見ると、真っ先に駆け寄ったチェルシーDFは、自らが相手CBの頭越しに送ったクロスに反応し、胸トラップからGKの股を抜いてネットを揺らした左ウインガーに言い聞かせるかのように、祝福と激励を込めて「You deserve it!」(頑張ってたもんな!)と繰り返していた。
このシーンが反対側のゴール裏スタンド前で展開されていたとしたら、アウェイでの西ロンドンダービーに駆けつけたサポーターたちの中にも、同じように叫ぶ者がいたことだろう。仲間内で“ミシャ”と呼ばれる22歳のウクライナ代表が持つ才能を信じていたのは、コルウィルに続いて次々に走り寄ったチームメイトたちだけではない。チェルシーの「12人目」も期待と理解の目で、今年1月の移籍からゴールのないムドリクを見守ってきた。事実、8カ月後にようやく得点を記録した本人も、Instagramのクラブ公式アカウントを通じて「いつも応援してくれるみんな」への感謝を忘れなかった。
個人的には、ファンの寛容さに少しばかり驚きもした。ホームでの今季開幕節リバプール戦(0-0)でのこと。ベンチで開幕を迎えたムドリクは、シャフタール・ドネツィクから移籍した後の昨季後半戦を、計17試合出場の2アシストで終えていた。出場時間は合計で12時間強。いずれも、報道で頻繁に目にする約8900万ポンド(162億円弱)の移籍金には見合わない数字だ。にもかかわらず、終盤にベンチを出た際には、スタンドからの盛大な拍手と歓声でピッチに迎えられた。その背景には、「世界屈指の若手」との評判とともに獲得されたムドリクが、昨季12位からの復活を信じたい現チェルシーの象徴的な存在だと言える事実がある。
総入れ替えに試行錯誤…「覇気がない」チームで陥った悪循環
今季プレミアの平均年齢最年少チームは、ポテンシャルの高さが最大の魅力だ。中でも、超高速ドリブルで相手DFに襲いかかるムドリクのタレントは、デビュー戦から疑いの余地がなかった。昨季21節、自軍と同様に低調だったリバプールを敵地で下すチャンスを逃した一戦(0-0)では、圧倒的なスピードとパスの目的意識を感じさせた新ウインガーの存在が貴重なプラス材料だった。
ただし、上々の35分間を伝える国内報道には、2度のチャンスを逃したとの指摘も混じっていた。決して楽なチャンスではなかったのだが、「移籍金の高さからすれば決めているべき」との理由づけだった。だが、移籍金の額は周りが決めるものだ。値札をつけられた側の当人は、まだウクライナでの1軍経験も計65試合だった「未完成品」。しかも、祖国リーグのウインターブレイク中で、2カ月ほど実戦から遠ざかっていた最中の移籍でもあった。
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Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。