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【本山雅志インタビュー後編】難病や大ケガを経験したからこそ「欲するんです、サッカーを」

2023.10.11

不定期連載「Jリーグと30年を走り続けて」第2回

1993年5月15日に開幕したJリーグは2023年に30周年を迎えた。W杯が「夢の舞台」から「出場して当たり前の大会」に変わったように、この間に日本サッカーは目覚ましい進歩を遂げた。果たして、Jリーグが30年で与えてくれたものとは何だったんだろうか? この連載では様々な立場の当事者の声を聞き、あらためて30年の蓄積について考えてみたい。

第2回に登場するのは鹿島アントラーズで14冠を達成したクラブのレジェンドで、11月19日には引退試合も控える本山雅志。後編では「先天性水腎症」という難病を抱えながら、43歳まで現役を続けられた理由を尋ねた。

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「(腎臓の)4分の1は大丈夫なんだ」

 プロ10年目を迎えた07年シーズンには、Jリーグ通算200試合を達成するとともに初めて全試合出場も果たした。リーグ戦9連勝で4シーズン遠ざかった優勝をもぎ取ったが、皮肉にもこの大活躍が体調の異変を招く引き金にもなってしまったようだ。

 08年はACL(アジアチャンピオンズリーグ)も加わり日程はさらに厳しく、時に身体の右半分、特に背中、腰のあたりに痛みを感じたが「高校時代に痛めた腰(ヘルニア)のせいだろう」と対症療法を続けた。痛みだけではなく発熱や足のけいれんも起きる状態となりエコー(超音波)検査を受けると、右の腎臓が正常に機能していない「先天性水腎症」と診断された。水分の代謝ができないために、水分を取ると腎臓が腫れてしまう。その状態で激しいぶつかり合いをすると、破裂する最悪の結果を招く。

 最初の診断では「これ以上、プロとしてサッカーを続けるのは難しい」と告げられた。そこで「セカンドオピニオン」を求めて別の医師を訪ねると、右の腎臓の4分の1だけが機能しているのが判明したという。リーグ連覇を果たしたシーズン終了後に、初めて病状が公にされた。

 腰のヘルニア、先天性の腎臓病、前十字じん帯断裂と選手生命に関わる大きな病気やケガをしたにもかかわらず、周囲の想像を大きく上回る43歳までプレーを続けられた理由は、実はこの「4分の1の宣告」にあったのかもしれない。プロ選手として極めて厳しい宣告をどう受け止めるかという点において。

 腎臓の4分の3も摘出しなければならない手術についてドクターの説明を受けながら、本山は「4分の1は大丈夫なんだ」と考えたそうだ。エコーにもMRI(磁気共鳴画像)にも、強靭なフットボーラーを支えるメンタルは映らない。そして、どれほど深くサッカーを愛しているかも。

ケガや病気のたびにサッカーにまた魅かれる

――決して強じんに見える選手ではありませんでしたから、40歳過ぎて海外に移籍されたのも、43歳までプレーされたのも驚きました。……

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本山雅志鹿島アントラーズ

Profile

増島 みどり

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。

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