【本山雅志インタビュー前編】古巣・鹿島のアカデミースカウトとして過ごす充実の日々
不定期連載「Jリーグと30年を走り続けて」第2回
1993年5月15日に開幕したJリーグは2023年に30周年を迎えた。W杯が「夢の舞台」から「出場して当たり前の大会」に変わったように、この間に日本サッカーは目覚ましい進歩を遂げた。果たして、Jリーグが30年で与えてくれたものとは何だったんだろうか? この連載では様々な立場の当事者の声を聞き、あらためて30年の蓄積について考えてみたい。
第2回に登場するのは鹿島アントラーズで14冠を達成したクラブのレジェンドで、11月19日には引退試合も控える本山雅志。前編では「とてもワクワクしている」という古巣・鹿島のアカデミースカウトという新しい旅について聞いた。
実家のある北九州とオンライン取材で繋がった瞬間、本山雅志は画面に向かって大きく手を振り、「お久しぶりで~す!元気っすか?」と敬礼する仕草で笑っていた。はつらつとした表情と張りのある声に「今」の充実ぶりが伝わってくる。
昨シーズン、43歳で現役引退を決断するまでの長い競技生活は「笑って」振り返れる経験ばかりではなかったはずだ。それでもなぜか「うん、大丈夫」と、いつも笑っていた姿の方を思い出す。どんなに辛い病気でも、引退を覚悟しなければならない大ケガでも、選手としての看板である軽やかなドリブルと笑顔でヒラリとかわしてきたのではないか。
新・三種の神器と歩く日々
7月下旬、鹿島アントラーズのアカデミースカウト担当に就任した。15年に契約満了で退団し8年ぶりに帰った古巣で、東福岡高校から選手として加入して以来2度目の「ルーキーイヤー」を過ごしている。
担当としてカバーするのは主に九州で、時には中国地方、四国にも足を伸ばす。しかしスカウトのメインにする小学生年代(U-11)の地域大会には日程や会場が記されたパンフレットもなければ、サイトでの詳しい案内もない。必要な情報は自分で集めるしかないので時には空振りもある。しかしそんな無駄足も少しも苦にならない。そうしてこんな時こそ、あの人懐っこい笑顔と、百戦錬磨のピッチで培ったコミュニケーションが力を発揮する。
子どもたちには「最近、調子どうなの?」と聞きながら、いつの間にか一緒にボールを蹴っている。保護者には「子どもさんはどの選手ですか」とさり気なく聞き、ポジティブな感想を伝える。やがてその的確さを見破られ「あれぇ?もしかして本山さんじゃないですか?」「ずっと応援していました!」と、子どもより早く、指導者や親たちが一気に盛り上がる。事前に見学のあいさつはしても、周囲はまさかこんな場所にあのスター選手がいるなんて、と、「モトヤマ」にピンと来ないのだ。
指導者の育成方針や選手の特徴を聞き、チームの予定、どんな大会がどこで行われるかを取材する。スカウトを始め、これらをノートに細かくつける習慣が身についた。必ず持ち歩く「三種の神器」がある。
ノート、調べものをするためにもスマホ、そして折りたたみ式の椅子。スタンドが設置されている所はないので折りたたみ式の椅子を持ち歩く。本山スカウトはスパイクに代わるこれらと共に、将来のアントラーズを背負い、いつか日本代表に成長していく選手を探す新しい旅を始めたばかりだ。おそらく長い旅になるが「とてもワクワクしている」と言う。
「子どもたちを見ながら、これからもっとサッカーができて、もっとサッカーが上手になるなんて羨ましいなぁ、自分もまだまだやりたいな、なんて思っている。アントラーズに入った時と同じように、今また、成長させてもらっています」
再起を危ぶまれる病気や大ケガ、常勝チームでの14冠の栄光と、昇格を争うJ2(ギランヴァンツ北九州)での苦闘、アジアのプロクラブでの新発見。こんな豊かなキャリアを持つスカウトは、どんな資質を持つ選手を見つめているのだろう。
何度も何度も足を運んで点より線で見てあげたい
――スカウトという仕事、ご自分に合っていると思いますか?
「スカウトです、と胸張って言えるような仕事はまだまだできていないので何とも言えませんけれど、いろいろな所に出かけて行って子供たちやサッカーが大好きな人たちに会えるのは本当に楽しい。サッカーをもう一度学び直している気がしますね。夏には、U-15の全国大会で鹿島のユースに帯同させてもらい、とても勉強になった。でも身体は1つしかないでしょう? 何だかもったいないというか、悔しいよね」
――その様子では、もし身体が2つあっても足りないと言いそうですね? アカデミーに入る前の小学生、中学生を主に視察されているんですね。身体が2つ欲しいと願う理由は?
「ある選手を見ると、1回とか数回じゃなくて何度も何度も足を運んで見てあげたいな、と強く思うんです。ちょっとした変化は短い期間でもあります。先輩方は皆さんそうされているんですが、やはり、点を見るのではなく線で見たい。線も直線ばっかりじゃなくて曲がったり下がったり、急に上がる時もあるはずですから、できるだけ長く、いろいろな線を追って選手を見たいと思うと体が足りなくなっちゃう」
――Jリーグ30年の歴史の中で、高校時代には史上初の3冠、日本のユース年代が世界で戦えると示したワールドユース選手権(現U-20W杯)での準優勝から常勝チームでの14冠と、ご自身の輝かしいキャリアはスカウトにどう活かされていますか?
「ぼくらの頃は、海外でサッカーをするなんて身近な目標ではありませんでした。ところがこの前、小学校6年生がこの夏にスペインに遠征してきます!って言うんですよ。いいなぁ、こんな年齢でスペイン遠征なんて恵まれているな、とむしろ彼らの経験を羨ましく思いました。自分にとって特別だった経験も、彼らにはこんな風に日常的な強化の一環です。ただ、ワールドユースで一緒に戦ったチームを通して学んだことは本当に多かったと若い選手たちを見るようになった今、改めて感じています」
サッカー選手としての「才能」とは?
――同じ鹿島のアカデミーで育成に携わる小笠原、自身もアカデミー出身の曽ケ端、中田浩二、今年引退を表明した高原、小野(インタビュー後、23年限りでの引退を発表)、遠藤と稲本は今も現役ですね。
「みんなのプレーも、サッカーへの取り組みも個性的でした。10代から知っていて、40歳になってもまだサッカーが上手くなると心から信じている。お互いがどんな状況でも刺激し合って、自分もサッカー選手としてまだまだ成長できるんじゃないかってずっと思わせてくれた存在です。何が才能と呼べるものだったんだろう、って、子どもたちを見ながら振り返るんです。彼らはみんなサッカーに対して本当に素直でした。個性は強いし、そりゃもうとんでもない負けず嫌い。でもサッカーが上手くなれるんだったら何だってやってみる、聞いてみる、取り入れる。そういう素直さは共通していました。スカウトになってみて、それは素質だったんだと改めて気付かされた。だから素直な選手かどうかは見ています」
――「何か」がなければ、上手いだけではみなさんの年齢まで続けられないのかもしれませんね。
「サッカーがどれだけ好きなのか、大切にしているのかも、子どもたちを見ていて感じます。自分は北九州の小学1年でサッカーを始めてからは毎日、毎日、坂道を走って公園に通いました。芝じゃなくて雑草の上だってボールを蹴れるのが嬉しくって。伸二(小野)のテクニックはもちろん好きですが、自分が大好きなのはプレーしながらいつも笑っているところ。何でしょうね、あの楽しそうな様子って」
――モトもそうでは?
「子どもの時からずっと変わらなかったかもしれない。高学年でも自分の身長は143センチとちっちゃかったので、工夫して努力した。だから今、身体の小さい子たちがどんな工夫をして、どういう努力や技術で自分よりも体の大きな相手に対応しているのか、興味深く見ていますね。上手いだけでは響かないんです。逆に、技術だけでなくいつも一生懸命に声を出し味方を励ます子や、とにかく全力で走ってボールを追っかける子、楽しそうにプレーする子にも魅かれます。伸びしろがあるんだろうなって。そういうところは、年齢もキャリアも関係ない。苦しい時に必死に声を出すなんてすげぇな、と同じサッカー選手として尊敬できる。そういう目線で見ていますね。この前も小6がメインの大会で4年生が、もう僕たちもびっくりするスーパーゴールを決めた。思わず親御さんのところに駆け寄って、今のビデオにしっかり録りましたか? と聞きました。ワクワクするプレーでした」
――ここを原点にしたいと思う資質はありますか? モトのようなドリブル、スピード、どんな技術でしょう?
「技術も含めて追い込まれた時にどうするかですね。チームも個人も苦しい時、上手くいかない時、調子が悪い時こそ、どんなプレーや姿勢で臨むタフな選手なのかを大切に見ています。スカウトって、選手、指導者、親御さんに選択肢を示す仕事だと思うんです。選択肢を示すタイミングや伝え方も選手を見る目と同じくらい重要な仕事なので、自分も成長していかないと。本当にまだまだ駆け出しです」
<出場記録>
Masashi Motoyama
本山雅志(鹿島アントラーズアカデミースカウト)
1979.6.20(44歳)JAPAN
1998-2015 鹿島アントラーズ 507試合68得点
2016-2018 ギラヴァンツ北九州 52試合0得点
2021-2022 クランタン・ユナイテッド
J1通算 365試合38得点
J2通算 36試合0得点
J3通算 14試合0得点
Jリーグ通算 415試合38得点
Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。