SPECIAL

アレクシス・マカリステル。父が語る“愛すべき恥知らず”な三男坊の「日々向上」人生【前編】

2023.09.04

遠藤航、ドミニク・ソボスライ、ライアン・フラーフェンベルフとともに今夏、リバプールの中盤に加わった期待の新「背番号10」が、ブライトンから移籍したアレクシス・マカリステルだ。元アルゼンチン代表DFの父を持ち、3兄弟の兄2人も現在プロ選手としてロサリオ・セントラル(アルゼンチン)とユニオン・サン・ジロワーズ(ベルギー)でプレーするサッカー一家で育った24歳。W杯優勝の立役者となるまでに成長を遂げたMFの半生を、幼少期から息子たちに「何事においても日々向上することを意識するように」と伝え続けてきたという父カルロス・ハビエル・マカリステル(Carlos Javier Mac Allister)に振り返ってもらった。Chizuru de Garciaさんによるルポを前後編でお届けする。

 2022年12月18日、カタールW杯決勝アルゼンチン対フランスが行われたルサイル・スタジアムのスタンドに、名将ホセ・ペケルマンの姿があった。

 一般席の目立たない位置で身を潜め、リオネル・エスカローニとパブロ・アイマール、ワルテル・サムエルら、かつての教え子たちが指導者として母国の代表を世界一の座に導く決戦に挑む光景を祈るように見守るペケルマン。その様子をTVカメラがアップで映し出した時、多くの人が1990年代にアルゼンチンユース代表の黄金期を築いた彼の偉業を思い出したことだろう。

 だが、そんなペケルマンの瞳にはもう1人、彼と深いゆかりのある選手の勇姿が映っていた。アレクシス・マカリステルである。

Photo: Getty Images

父はマラドーナと、叔父は日本でプレー

 アレクシスの父カルロス・ハビエル・マカリステル(以下ハビエル)は、かつてアルゼンチン国内のクラブでサイドバックとして活躍した元プロサッカー選手。1993年、アルゼンチン代表がまさかのW杯不参加の危機にさらされた際にはチームに初招集され、大陸間プレーオフの対オーストラリア戦に出場。ディエゴ・マラドーナとクラウディオ・カニージアが一緒にプレーして話題を呼んだ90年代半ばのボカ・ジュニオルスのレギュラーメンバーだったことから、当時のアルゼンチンサッカーを見ていた日本のサッカー愛好家の間では「マカリステル」と言えばアレクシスよりも父ハビエルの印象の方が強いのではないだろうか。

 そんなハビエルが故郷のラ・パンパ州サンタ・ロサでサッカーをしていた17歳の頃、彼の才能を見抜いてアルヘンティノス・ジュニオルスに入団させたのが、当時同クラブの育成部門で指導者として従事していたペケルマンだった。

 「私は2歳年上の兄カルロス・パトリシオ(以下パトリシオ)と幼い頃から地元のクラブでサッカーをしていて、13〜14歳になった頃にはもうトップチームで地方のリーグ戦に出場していました。やがて兄が首都圏ブエノスアイレスのクラブでプレーするようになると、私もあとを追うようにラ・パンパを出て、アルヘンティノスのトライアルに参加したのです」

 ゲーム形式のトライアルで、タフなDFだったハビエルが激しく競い合い、ファウルぎりぎりのスライディングもやってのけると、ほどなくしてペケルマンから「合格」のサインが出された。……

残り:2,511文字/全文:4,064文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

TAG

アルゼンチンアルゼンチン代表アルヘンティノスアルヘンティノス・ジュニオルスアレクシス・マカリステルブライトンリバプール

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

関連記事

RANKING

関連記事