フィリピンからACLに挑む日本人監督の軌跡――三菱養和の恩師・同期が語る星出悠の実像
2022/23シーズンのフィリピンフットボールリーグ。日本人監督率いるカヤFC-イロイロ(以下、カヤFC)は5月末に行われたリーグ最終節、スタリオン・ラグナFC戦を3-1で制し、リーグ初優勝を飾った。この結果により、カヤFCは2023年9月にグループステージが始まるAFCチャンピオンズリーグ2023/24(以下、ACL)の出場権を獲得。東地区のPOT3に入り、Jリーグ勢と対戦する可能性もある。
カヤFCで監督を務める日本人の名は星出悠。Jリーグでのプロ選手経験を持たず、アメリカやトリニダード・トバコ、インドのクラブを渡り歩き、現役最後の国となったフィリピンで2016年から指導者としての活動を始めた異色の経歴を持つ。
星出はなぜ母国から離れた東南アジアの地で結果を残すことができたのか。そして、この先のキャリアに何を見据えているのだろうか。星出本人に加え、学生時代の恩師や同期へのインタビューを通じて、その実像に迫る。(※文中、敬称略)
選手兼任監督としてのオファー
現役引退後、帰国するという選択肢は一度も考えたことがなかった。
所属クラブからの給料未払いや、プライベートでは些細なコミュニケーションの齟齬から銃を頭に突き付けられたこともある。お世辞にも環境が良いとは言えないフィリピンでの生活だが、星出は「意外になんとも思わなかったですね。トリニダード・トバゴよりマシなので」と意に介さない。
そんな懐が深い男だからこそ、フィリピンでも「おそらく前例がない」オファーを受ける決断ができたのだろう。現役引退を考え始めていた2016年、フィリピンのマリキナを本拠地とするJPボルテスFCから届いたオファーは『選手兼任監督』。日本でB級コーチライセンスを取得していたとはいえ、現場での指導経験がない現役選手に監督オファーがあること自体が驚きだが、実態はさらに役職を兼務する仕事内容だった。
「選手の獲得や評価、Jリーグクラブで言うところのGMや強化部長の仕事もしましたね。(JPボルテスFCは)日本人がオーナーを務めるクラブで、フィリピンを知っている日本人に監督をやって欲しいという希望があったみたいです。自分のプレーが中盤でチームをオーガナイズするようなタイプだったので、(監督や強化を)できると思ってくれたみたいで。まあ、フィリピン以外ではありえないオファーですよね(笑)」
フィリピン国内でも懐疑的な見方をされていた星出の選手兼監督就任ではあるが、JPボルテスFCは2部リーグからの昇格初年度にも関わらず、当時の国内トップコンペティション(1部リーグ)にあたるユナイテッド・フットボールリーグで4位と好成績を残す。戦力的には他クラブを構想外になった選手も多く、「中位ぐらいが目標だった」中での躍進だった。
JPボルテスでの手腕が評価され、翌年には前シーズンのリーグ優勝クラブであり、選手として在籍経験のあったグローバル・セブFCに選手兼任監督として復帰。フィリピン王者として出場したAFCカップでグループステージを突破するなど、一定の成績を残すも、クラブの経営難を理由に2シーズンで退任。2019年からは現在も監督として指揮を執るカヤFCに籍を移す。
「2014年くらいから連続してオファーをもらっていたんです。GMとは何度もご飯に行っていましたし、お互いに理解が深まっている関係でした。大村真也という選手が2011年からカヤFCでプレーしていて、彼の影響で日本人の勤勉さや規律正しいところをチームが評価していた。そうした意識改革を含めたマネジメントを期待されてのオファーでした」
リーグの規定変更で2019年から監督を務めるにはA級コーチライセンスが必要になったため、カヤFC在籍初年度はアシスタントコーチとして活動(選手は引退)。実際に監督に就任したのは2020年から。監督1年目はリーグ準優勝、2年目はカップ戦優勝(リーグ戦はコロナの影響で開催なし)、そして、リーグが秋春制に移行された2022-2023シーズンで念願の初優勝を果たす。
一見、順風満帆な指導者キャリアだが、その裏では異国で指導する難しさを何度も痛感していた――。
チーム内の橋渡し役として
「フィリピンでは仕事を頻繁に休むんです。少し体調が悪かったら休む。家族の誕生日にも休む。それがこちらでは常識です。練習が仕事という感覚はないですね」
週に5日練習して、週末に試合を行い、試合翌日はオフで体を休める……監督としてのマネジメントは、プロサッカー選手として当然だと考える1週間の生活サイクルを理解してもらうことから始めた。当初、他クラブが連休中のタイミングで行う練習には不満も出たが、「ACLなど国際大会で結果を出すためには生活の基準を上げる必要がある」と粘り強くコミュニケーションを続け、選手たちの意識を少しずつ変えてきた。
コミュニケーション術においては選手時代の経験も活きている。
「選手時代は治安的に危ないとされるローカルエリアでチームメイトとご飯を食べたりして、信頼関係を築いていました。彼らは人前で怒られることを極端に嫌うので、何か注意する時はこっそり伝えるとか。そういう気遣いを大切にしています。
監督になってからは、ピッチ外では兄貴的な感じで選手のプライベートの話をすることも多いですね。コミュニケーションは最も重視していることの1つです。フィリピンのチームは大体フィリピン人、外国育ちのハーフ選手、外国人選手の3グループに分かれるんです。僕は外国人ではありますが、両方の感覚が分かるので、その橋渡しを選手時代はキャプテンとして、今は監督として求められてきたと思います」
興味深いのは、そうした星出のマネジメントが「実は結構、無意識で」行われていることだ。選手時代から最初に練習場に来て、チームメイトの様子を観察するのが習慣だった。ルーティーンが違ったり、早く練習から帰ったり、変化を見つけると何気なく「何かあった?」と声をかけた。
本来備わっているパーソナリティによるところも大きいだろうが、誰かの影響を受けているのではないか。星出に自身のキャリアで恩師と呼べる存在の有無を質問すると、即答である人物の名前を挙げた。
「(三菱)養和でお世話になった、漆間さんですね」
一緒に三菱養和を強くしていく仲間
「寡黙にプレーするタイプの子で、積極的に周りの選手に声をかけていた記憶はないです。大人しいというか、内向的な性格というか。フィリピンで監督をやっていることを知った時はビックリしましたよ。尊敬もしています。そういう一面を持っていたんだなと」
中学生~高校生時代の星出の印象を語る“恩師”の表情は穏やかで、教え子についての記憶をたどる取材を歓迎してくれた。星出から聞いていた「怖いですよ。特にフィジカルトレーニングの時は追い込まれました」という話から想像していた人物像とは違う、優しそうな風貌に安心する。
漆間信吾。2025年に創立50周年を迎える三菱養和ユースの1期生であり、大学卒業後に「恩返しのつもりで」同クラブに就職。以降、星出をはじめ、土屋征夫、加賀見健介、三上和良、土岐田洸平、田中順也など、のちにJリーガーになる選手たちを数多く育ててきた名指導者である。三菱養和会在籍38年目となる現在は、指導の現場から離れ、第二事業部部長の肩書きでサッカー以外にも水泳、体操、テニスを統括する立場となっている他、東京都サッカー協会の副会長も兼務している。
そんな漆間の長い指導者キャリアの中でも、星出の代は特に印象に残っていると語る。
「今でこそ三菱養和ユースは高円宮杯プリンスリーグに所属して、様々なチームと試合ができますが、昔は(三菱養和ユースをはじめとする)クラブチームが出場できる大会は限られていました。才能がある中学生は高校生になるタイミングで(公式戦機会の多い)高体連のチームを選択するのが当たり前。だけど、星出くんの代は仲が良くて『みんなで(中学~高校の)6年間やろうよ』と“残った代”だったのでよく覚えています。ちょうどクラブチームと高体連が同じ土俵で試合ができるようになり始めた時期でもありました」
クラブチームでの成績が評価されない時代。高体連出身の選手が推薦で大学に進学する一方で、同程度の実力を持っている三菱養和ユースの選手が評価されないこともあった。クラブチームの価値を認めてもらうためには何が必要なのか。三菱養和に残ってくれた星出たちのために何ができるのか。漆間は考え続けた。
「高体連の有名な先生たちと話していると『サッカーが上手ければ良い』ではダメで、人間形成の重要性はよく話題になりました。例えば、挨拶ひとつとっても、受け身ではなく、主体的にどれだけ行えるか。他にも、食事、睡眠、勉強……ピッチ外の振る舞いについてですよね。高体連のチームから(クラブチームは)『チャラチャラやっているんだろ』というイメージを持たれていたと思うので、『自分たちがどのように外から見られているか』の意識は大切にするようにという話は選手によくしました』
星出が監督としてフィリピンで実践しているチームマネジメントの原点ともいえる話である。星出に関しては「もともと謙虚な姿勢を持っていて、私生活も真面目に過ごしていたと記憶しています。問題が起きた時に監督や親のせいにすることなく、自問自答して解決する子だった」ようだが、漆間のピッチ外も含めた指導によってチームが強くなっていく経験は大きなものだったのだろう。
同期に西村卓朗、1学年下には永井雄一郎など、のちにJリーグでも活躍する選手が在籍していたチームは「トップ下の星出くんのスルーパスで永井くんが裏に抜ける」形を武器に、高校2年生時には[高円宮杯全日本ユース選手権:ベスト8][日本クラブユース選手権:ベスト8]、高校3年生時には[日本クラブユース選手権:3位]など、好成績を残している。
星出の監督としてのチームマネジメントが三菱養和のそれに近いこと、そして、恩師として漆間の名前を挙げていたことを伝えると、「それは本当に嬉しいことです」と目を細め、少し間をおいて話を続けた。
「厳しいことを言ったこともあったと思いますが、原点として星出くんら選手のことを『一緒に三菱養和を強くしていく仲間』という意識をもって指導していました。今も三菱養和に対する気持ちをもってサッカーに関わる仕事をしてくれているのは嬉しいです。近い将来、同じOBとして一緒に仕事もできたらいい……なんてことも考えます。『おじいさんコーチが必要ならいつでも呼んでね』と伝えておいてください(笑)」
最近はコロナ禍もあり、直接は会えていないが、教え子の近況はずっと気にしている。今度、会話をする機会があれば、監督と選手ではなく、同じ指導者として話すつもりだ。「もしアドバイスを求められたら何を伝えますか?」と聞くと、三菱養和が伝統的に大事にしている指導方針を教えてくれた。
「 “個性”を尊重することですね。最近だと、相馬(勇紀)くんや中村(敬斗)くんが分かりやい例だと思います。高校卒業時には選手として完成されていないかもしれませんが、良いところを見てあげると選手は伸びるんです。田中順也くんも順天堂大学でフィジカルが強化されて、もともと高かった技術力を発揮できるようになりました。監督はチーム全体に対するマネジメントも必要でしょうが、選手をマンツーマンでしっかり見てあげる。一人ひとりの話を聞いてあげる。それは世界のどこで指導しても大事なことではないでしょうか」
経験値が図抜けている存在
漆間へのインタビュー取材後半、「彼らの代は特に仲が良かった印象がある」という話を聞いて、星出が頻繁に名前を出す三菱養和の同級生の存在を思い出した。
西村卓朗。星出とは中学~高校の6年間一緒にプレーしている。現在は水戸ホーリーホックでGM兼強化部長を務め、自身のSNSやnoteで発信される論理的かつ哲学性も伴ったサッカー論が定期的に話題になる元Jリーガーだ。
そうした西村の印象を星出に伝えると「えっ!?卓朗ってサッカーファンからそんな風に思われているんですか?」と意外な表情をされ、漆間からは「いや、星出と同じサッカー小僧ですよ(笑)」とやんわりと否定された。身近な人の印象は少し違うのかもしれない。ならば、西村に話を聞けば星出に関しても意外な一面を知ることができるかもしれない。
「星出の転機は30歳でアメリカのクラブに移籍したことでしょうね」
シーズン中の忙しい最中、「星出のためなら」と取材を請けてくれた西村は、同級生が現在フィリピンで監督として成功しているターニングポイントとして2008年の出来事を挙げた。
「(星出が当時所属していた)YKK APサッカー部が北陸電力(サッカー部アローズ北陸)と統合して、カターレ富山になる直前にふるいにかけられてしまった(戦力外になった)。仕事をしながらサッカーを続ける選択肢もあった中で、脱サラしてサッカー1本で勝負することを決めたのは、控え目であり、保守的な彼の性格からすると信じられない決断だったのでよく覚えています」
アメリカを皮切りにトリニダード・トバゴ、インド、フィリピン……海外でのキャリアが長くなることに比例して「どっしり構えるというか、落ち着きが増した」と、西村は星出の変化を振り返る。
「海外では物事が思い通りに進まないですよね。それをどのように受け入れるのか。彼は謙虚な性格で、いろんなことを吸収できたのでしょう。良い意味で自分を変化させることができたのが、異国で居場所をつくれた要因だと思います。このあたりについては、当時から彼とよく話しました」
知識と経験は違う。西村自身、「おもいっきり星出の影響をうけて」決断した約1年半のアメリカでの選手生活は、事前に聞いていた異国で生活する難しさを痛感する日々だった。思想、宗教、所得……多様なコミュニティが存在する社会で生活する中で「きっちりしている日本とは違う。細かいことを気にしていると、ストレスで物事が進まない」という星出の言葉を何度も思い出した。
だからこそ、そんな異国で現在は監督を務める友人のことを「経験値が図抜けている存在」と評価する。
「彼の特殊性はまず海外数カ国でプレーしたことがあること……まあ、ここまでは他にも経験した選手はいますが、彼は選手兼任で監督も経験している。さらに選手を探して、交渉して、チーム編成まで行う強化経験もある。そういう兼務が許されるフィリピンのレギュレーションもすごいですけどね(笑)。JPボルテスFCでは経営も見ていたという話を聞きましたし、海外でここまでのチームマネジメント経験を積んでいる存在は日本ではいないと思います」
GM兼強化部長として、普段は監督を評価する立場である西村が続ける。
「外国人監督がチームをマネジメントすることは口で言うほど簡単なことではありません。文化も考え方も違う中で、選手をモチベートする難易度は相当なもの。彼が監督として結果を出せているのは、選手としてフィリピンで活躍した経験もあるし、人に対して愛情深い性格も大きいと思います。ここは漆間さんをはじめとする(三菱)養和のコーチからの影響もあるかもしれませんね。怒られたこともあったでしょうけど、(コーチは)真剣だし、一生懸命さは選手に伝わる。そうした姿勢は彼の中に刻み込まれているはずです」
選手時代は「週に1回以上は長電話をしていた」ほど仲が良い二人は、今でも星出の帰国時には必ず食事に行き、練習メニューやクラブ作りについて意見交換を行っている。ただ、そんな相手にも伝えられていないことが1つある。
「今までの人生で、一番サッカー観が合うのが星出悠です。中学~高校時代には当たり前の存在だったから気が付かなかった。お互いに何も言わなくてもプレーのイメージが合う。以心伝心というか。高校卒業以降、一度でも一緒のチームになっていれば、違ったキャリアになっていた可能性もあるんじゃないかと……今でも後悔しています。でも、幸運にもまだお互いサッカー界にはいる。同じフェーズにいると思っているので、いつか一緒に働けたらいいなと思っています」
日本を離れたことで失ったものは何もない
漆間、西村が学生時代の星出の印象として「内向的」「控え目」と話していたことを本人に伝えると、苦笑いとともに「その通りだと思います。否定しません」と認めた。西村が話した通り、星出自身もキャリアのターニングポイントはアメリカ移籍にあったと語る。
「アメリカ移籍までの人生は、自分で何も決断していないんですよ。(三菱)養和は親が勝手にセレクションに応募していたからだし、大学も漆間さんの知り合いがコーチとして在籍している明治を推薦されたから。就職も大学の関係者から『お前はYKKに行け』と言われて決めました。人に選んでもらった人生を歩んでいたら、突然戦力外になった。日本でチームを探したけど、(30歳という)年齢的にも見つけられなくて……。最終的にJFLで働きながらプレーするか、海外に挑戦するかの二択になったんですけど、当時よく相談していた卓朗からプロとして生きる覚悟を感じる言葉を聞いて、『自分に足りないのはそこなんじゃないか』と挑戦する道を選びました」
同級生の西村、一学年下の永井、三菱養和のチームメイトがJリーグで活躍する姿を見て何も思わなかったと言えば嘘になる。高校3年生時には浦和レッズの練習にも参加し、プロへの憧れはあったが、『自分には無理だろう』と本当の気持ちに蓋をして過ごしてきた。
「プロの世界でもがく卓朗の姿を見ながら、自分はそういう経験をしてこなったなという後悔はあります。だから、今後は自分の選択を後悔しない人生にしようと決めました。もう日本でサッカーはできないけど、人より良い人生を必ず送る。アメリカに出国する時、空港でそんなことを考えたのをよく覚えています」
その決断から15年が過ぎた。
「日本を離れたことで失ったものは何もない」と断言する星出の姿に学生時代の面影はないはずだ。異国での生活では、自分が外国人であることを自覚し、違和感をすべて受け入れた。そうした日々の中で、自身の性格がポジティブになっていく変化は自信にもなった。グローバル・セブFCで本来のキャラクターからは考えられないキャプテンを打診された時も、「海外で生きていくにはやるしかない」と引き受けた。今やリーグ優勝監督として現地の人々からリスペクトされる存在である。
もう次のステップに進んでもいいのではないか。指導者として日本で再挑戦する意思を問うと、積み重ねた実績とはギャップを感じさせる謙虚な一面を見せる。
「選手としてJリーグでプレーできなかった悔しさはあるので、チャンスがあればやりたい気持ちはありますけど……自分なんかが日本で通用するのかという不安が正直あります。フィリピンだから結果を残せたのではないかと」
ならば、自身と日本の距離を測る絶好の機会が今秋に控えている。フィリピン王者として出場するACLだ。同大会では監督を務める条件としてS級コーチライセンスが必要となるため、A級コーチライセンス保有者である星出がどのような立場で参加するかは「現在、クラブとAFC間で調整している」状況ではある。ただ、実態として星出がチームをマネジメントすることに変わりはない。
2021年以来、2年ぶり2回目のACL出場となるカヤFCは東地区のPOT3に入り、Jリーグクラブと対戦する可能性もある。前回は0勝6敗(2得点16失点)でグループステージ敗退という悔しい結果になっただけに、今大会にかける思いは強い。
「前回大会(2021年)ではかなり差を感じたので、それが縮まっているのか、離れているのか。戦術的な部分も含めて、クラブとして積み重ねてきたことはあるので、それを測る大会になりますね。厳しい戦いになるのは分かっていますけど、チームとして勝ち点を狙いにいきます」
国内リーグでは4-3-3を基本システムとして採用し、ハイプレスからの得点を得意パターンとしているカヤFC。押し込まれる展開の戦い方に慣れていない選手もいることをふまえ、今シーズン開幕前のトレーニングでは、ブロックを組む守備的な戦術練習にも取り組んできた。選手には「普通にやったら負けるよ」と伝えている。
「カタールW杯で、日本代表が相手にポゼッション率では圧倒的に上回られても勝ったじゃないですか。ハードワークを徹底して、トライしている守備的な戦い方がはまれば可能性はあるはず。美しく戦おうなんて思ってないですよ。そんな考えはフィリピンにはないです。どんなグループに入ってもチーム力は一番下でしょう。その現実を認めて泥臭く戦います」
横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府、浦和レッズ……今季のACLはどのJリーグクラブと同組になっても日本での試合は関東開催になるため、三菱養和や明治大学時代の仲間がスタジアムへ応援に駆け付けることが予想される。彼らの応援はきっと星出の力になるはずだ。
ACLで結果を出して、次のステップへ――。
カヤFC、そして星出にとって今後の行く末を大きく左右する可能性のあるACL。グループステージの抽選会は8月24日(木)に行われる。
Yu HOSHIDE
星出 悠
1977年生まれ、東京都板橋区出身。中学・高校は三菱養和に所属。明治大学卒業後は社員選手としてYKK APサッカー部に入団。2008年、30歳でハリスバーグシティ・アイランダーズ(アメリカ)へ移籍以降はトリニダード・トバゴ、インド、フィリピンと、海外での選手キャリアを重ねる。選手引退後は指導者の道へ。2020年からカヤFCの監督を務め、2022-2023シーズンのフィリピンフットボールリーグを優勝。今季、監督として二度目のACLに挑む。
Photos:MitoHollyHock, Naoki Furubayashi , Koichi Tamari
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime