プレミアリーグ開幕節のグディソンパークに新手の横断幕が登場した。ホームサポーターから「みんながついている」とのメッセージで励まされた選手は、エバートンの攻撃的MFデレ・アリ。自身は、移籍2年目の開幕をスタンドで迎えていた。昨年1月に心機一転でトッテナムを出た先での数字は、出場13試合で無得点。昨季開幕早々に期限付きで移籍したベシクタシュ(トルコ1部)でも、計15試合で3得点と精彩を欠いた。今季開幕前月の「告白」がなければ、8月12日にフルアムを迎えた一戦(●0-1)で、ホームの観衆がベンチ外の27歳に特別な声援を送ることはなかったかもしれない。
虐待、麻薬売買、命の危険…「やばい精神状態」に陥った
『YouTube』で流れるトーク番組『オーバーラップ』で、胸の内を語るデレの姿に涙した者は司会のガリー・ネビルだけではなかっただろう。プレミアリーグのビッグクラブでプレーするスター選手が、練習に「行かなきゃいけない」という心境で起床し、鏡の中の自分に「やめてしまおうか」と問いかける。ある意味、睡眠薬依存症だった事実よりもショックだった。試合で使われなくなっていたとはいえ、ジョゼ・モウリーニョ(現ローマ監督)率いるトッテナムで、年齢的なピークの手前でもあった24歳が、モチベーションはおろか、サッカーへの情熱そのものを失ってしまっていたのだ。
人間形成に影響がなかったはずのない幼少期の体験に至っては、ショックを通り越していた。両親は自身の出生を待たずに離婚。実母はアルコール依存症。その母の友人による幼児虐待は6歳の頃。住んでいた公団住宅の近辺に蔓延(はびこ)るギャング文化に取り込まれ、傍に抱えたボールで隠した麻薬を自転車に乗って売買する8歳となり、一味によって橋の上から吊るされて11歳にして命の危険を味わっている。「同情してほしいとは思わない」と言うデレだが、筆者には彼の身になって想像することすらできない。
ロンドンから北西に車で1時間半ほどの生まれ故郷、ミルトン・キーンズの地元クラブで育成され、そのMKドンズ(現4部)アカデミーでチームメイトだった選手の両親が育ての親であった事実は以前から知られていた。2015年に引き抜かれたトッテナムで弱冠19歳の1軍戦力となった当時、「国内最大級のタレント」とまで騒がれた若手だったからだ。ところが実際には、精神面での対応ツールを身につける機会がないまま育った若者が、トラウマを抱えながら、レベルが上がれば上がるほどメンタルの重要性が高まるプロの競争社会を生き抜こうとしてきたことになる。無理が利かなくなったからといって、本人の言葉を借りれば「やばい精神状態」に陥ったからといって、情けないなどと批判はできない。
「現実から逃げたくて、オフの日は昼前から睡眠薬を飲んでいた」
むしろ、凄いことだ。個人的には昔から気になる選手だった。初めて生のプレーを観たのは、通訳の仕事でMKドンズのホーム、スタジアムMKを訪れた10年前。10代らしい勢いの良さと、10代とは思えない巧妙さが印象的な、まだ見た目は少年風の選手だった。衝突を恐れずに頭からクロスに突っ込んだかと思えば、ノールックでスルーパスを試みたりしていた。トッテナム移籍後も、チェルシーファンの友人たちは「小手先野郎」などと言っていたが興味は尽きなかった。チェルシーが28年ぶりにホームでトッテナムに敗れた5年前の一戦でも、デレは完璧なファーストタッチから逆転のボレーを決め、混戦のボックス内で泥臭く駄目押し点を押し込んでいた。
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Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。