8月3日にセルクル・ブルッヘからクラブ史上最高額の1000万ユーロで上田綺世を獲得したことを発表したフェイエノールトの最前線には代々、個性豊かなFWが顔を並べてきた。その活躍を1998年から現地オランダで目の当たりにしてきた中田徹氏が、日本代表FWが名を連ねることになったストライカー列伝を4人の名手中心に綴る。
フリオ・クルス(1997-2000)
アルゼンチン人ストライカーのフリオ・リカルド・クルスは、私がオランダに来た1998年秋にはフェイエノールトのエースストライカーとして確固たる地位を築いていた。
リーベル・プレートから1997-98シーズン、フェイエノールトに来た当初のクルスはなかなかチームと馴染めず本領を発揮できなかったという。しかし、10月下旬にアリー・ハーン監督が更迭され、レオ・ベーンハッカーが後任に就くと事態が好転する。レアル・サラゴサ、レアル・マドリー(2期)で指揮を執ったことのある“ドン・レオ”は流暢なスペイン語でクルスの懐に入り込み、良好な関係を築くことでパフォーマンスを向上させた。
やがて『老貴婦人とのタンゴ』と呼ばれる11月26日の夜を迎える。それはユベントスをホームに招いたCLグループステージ第5節だった。0-0で迎えた66分、クルスは鮮やかにワントラップシュートを決めると、88分にはDFをブロックしながら胸トラップでボールを押し出し、左足で技ありのゴール。こうしてクルスは自らの2得点でチームの2-0の勝利に大貢献。しかも第1節で1-5で完敗した相手にリベンジを果たしたということもあり、ファンはいつまでも勝利の美酒に酔いしれた。
ボックス内の勝負強さはもちろんのこと、強烈なミドルシュート、美しい孤を描いてGKの頭上を超すシュート、間髪入れないノートラップシュート、マーカーの動きを逆手に取るフェイントシュートなど、ゴールのバリエーションが豊富だった。それでいて、背筋のすっと伸びた姿勢でテクニカルにボールを扱う様には品さえ感じられた。
99年4月25日のNAC戦を2-2で引き分けたことによって、フェイエノールトのエールディビジ優勝が決まった。クルスは右SBファン・ホベルのクロスに対して跪くように体を屈め、チームの2点目となるヘディングシュートを決めた。他のストライカーなら泥臭く見えたであろう執念のゴールですら、クルスにかかると雅やかに思えた。……
Profile
中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。