廣末陸は華のあるGKだ。青森山田高校の3年時には、プレミアリーグでも高校選手権でも日本一を経験。いわゆる“鳴り物入り”のルーキーとして、中学時代を過ごしたFC東京でJリーガーとしての道を歩み出した。だが、そこからのキャリアは思ったような未来を描かない。他クラブへの期限付き移籍も経験しながら、J1とJ2でのリーグ戦出場は1試合も叶わないまま、2020年にクラブを退団。一昨年からはJFLのラインメール青森FCでプレーしている。自身にとっての“パワースポット”だと語る青森の地でいま、廣末は何を考え、どんな心境でサッカーと向き合っているのか。インタビュー後編では日本一に輝いた高校選手権の思い出や、苦しい時間を過ごしたというJリーガーとしての4年間を振り返りつつ、改めて感じているサッカーへの情熱を語ってもらった。
かつての“第一志望”に敗れた3年のインターハイ
――3年生の1年間はそれまで以上に個人としての注目度も高まっていて、それに見合う結果も十分に残した時間だったと思いますが、まずはインターハイでの思い出はありますか?
「インターハイに行く前にプロ入りが決まったんですよね。7月にリリースを出してもらって、プロ内定者となって初めての全国大会だったので、注目されていることは僕も感じていましたし、その中でもっと良い結果を残したかった想いはありましたけど、なんせ青森のチームはインターハイに弱いんですよね(笑)。あの暑さに慣れてなさすぎて」
――しかも負けたのが、本来は第一志望だった流経でしたね。
「しかもそのインターハイが終わって、一番最初のプレミアの試合が流経とだったんです。もう中断期間中もずっと流経の話をされるんですよ。『こんなんじゃまた流経に負けるぞ』と発破を掛けられて、『絶対に負けねえ』と。結局2-0で勝ったのかな。インターハイだとあの勢いで70分は持っちゃうんですよね。最後までダレずに、走り切ってしまえるというか。
インターハイの時は流経と宿泊した場所が一緒だったんですけど、一番ビックリしたのは僕らが朝の体操をしている横で、試合当日の朝の6時半ぐらいから流経はボールを使った練習をしているんですよ。『え?どういうこと?』って(笑)。それを毎日ですよ。駐車場で基礎練とかをやっていて『マジか!』と。それであの勢いに負けたんです。しかも準決勝からサッカー部が全員応援に来たんですよ。広島までマイクロバスとかで『来たぞ~!』とか言ってくれた試合で、負けてしまって。あの35度ぐらいの中で、1週間で5試合というのはキツかったですね。まあ、僕らが暑さに弱かったと」
プレミアEAST優勝を懸けて激突したFC東京U-18との“決勝戦”
――この年のプレミアは、優勝の懸かった最終節がアウェイのFC東京U-18戦という、もう廣末選手のための試合のようなシチュエーションでしたね。……
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!