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即興と再現性の共存に「偽SB」の原型も。現代サッカーにも通ずる「黄金の4人」擁した1982年ブラジル代表の伝説

2023.07.13

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

独特のリズムを刻む華麗なパスワークで敵を翻弄し、ひたすらに相手ゴールへと迫る――1982年のブラジル代表が披露したサッカーは、強烈なインパクトを残し今なお語り草となっている。超攻撃的なスタイルに不可欠だった「黄金のカルテット」の凄みから、こと攻撃面に関しては現代サッカー的な要素も内包していたという戦術面まで、伝説のチームが伝説たる所以を紐解いてみたい。

歪なフォーメーション

 ジョゼ・オスカル・ベルナルディが描いたフォーメーションは歪だった。

 1982年スペインW杯のブラジル代表は、史上最高クラスの芸術的なチームと言われている。GKバウディール・ペレス、DFはレアンドロ、ルイジーニョ、オスカル、ジュニオール。MFはファルカン、トニーニョ・セレーゾ、ジーコ、ソクラテス。この4人は「黄金の4人」として有名だ。FWはセルジーニョとエデル。

 ところが、このチームのCBだったオスカルが求めに応じて紙の上に描いたのは、通常の[4-4-2]とはかなり違う配置だった。GKペレス、CBのオスカル、ルイジーニョ、CFセルジーニョは普通だが、その他のポジションが全部少しずつずれている。まず、左SBジュニオールのポジションがほぼボランチで内側にいる。FWエデルは中盤の左サイド。ジーコとソクラテスはハーフスペースを分け合う形の並列の「10番」で、中盤底はトニーニョ・セレーゾ、その少し前にファルカン。右SBレアンドロも上がり目だった。

ブラジル代表時代のオスカル。現役最後の2年間、日本サッカーリーグの日産でプレーした

 それはシステムというより、それぞれの選手がプレーしたい場所にいるとこうなるという図だった。そして、実際そのようにプレーしていた。

 伝説的なセレソン82は即席である。W杯が始まるまでは[4-3-3]でプレーしていた。緒戦のソビエト連邦戦はトニーニョ・セレーゾが出場停止で、代わりに出場したファルカンの出来が良かったために次のスコットランド戦から「黄金」が組まれた。このメンバーでの試合はW杯の4試合しかない。綿密に準備されていたわけではなく、ぶっつけ本番に近い編成でもあった。

 ただ、偶発的に素晴らしいチームが生まれるのはよくあることで、スーパーなチームほどそうした傾向がある。ブラジルが初優勝した1958年W杯の当初のメンバーにはペレとガリンシャがいない。3回目の優勝を成し遂げた1970年も大会直前にメンバーとポジションを修正している。

 「どうプレーするか言われる必要のない選手とともにあるかどうかが重要だ」

 セレソンを3度率いたマリオ・ザガロ監督の言葉だが、82年を率いたテレ・サンターナ監督の方針も同じと言っていい。「戦術」はすでに選手の中にある。それを引き出すのがブラジル代表監督の仕事だ。

 「ブラジルのフットボールとは音楽である」(ジョアン・サルダーニャ)

 サルダーニャは1970年のザガロ2度目の就任前にブラジル代表監督だった人物。ジャーナリストで革命の闘士であり、全盛期のボタフォゴを率いた。かなり特異な経歴の持ち主だが、セレソンとサンバの親和性はよく知られる通り。譜面通りに演奏するオーケストラではなく、ジャズのセッションに近い。即興の連続、しかし再現性がある。同じことは繰り返さないが、同じようなプレーは繰り返される。根底に原理があるからだ。今日、「リレーショナル・プレー」と呼ばれて再発見されているが、セレソン82にはそれが横溢(おういつ)していた。

天才は5人いた

 原理の土台となるのは、複数の相手を操る能力だ。こうすればこうなる、それをわかっていること。あるいは、パッと見た瞬間に何がどうなっているのか勝手に把握してしまえる能力。理屈もないわけではないが、それよりも自動的、本能的に最善手を打てる。なぜそれができるのか本人にもたぶんわからないが、インスピレーションが湧いて出てくる選手がいる。いわゆる天才だが、セレソン82には少なくとも天才が5人いた。

 その筆頭だったジーコはとびきり俊敏で、ボールと敵を自在に操りながら味方の動きを完璧に把握する。得点とアシストの傑物、10番らしい10番だった。ジーコと名コンビを組んだソクラテスは「ドトール」と呼ばれたキャプテン。医師免許を持つインテリでもあり、長身で長い足を駆使したエレガントなスタイルはクイックなジーコとは対照的にゆったりしていたが、原理の体得者という点では共通していた。

82年W杯イタリア戦でゴールを挙げたソクラテスと飛びついて喜ぶジーコ。タイプの異なる天才だった

 パウロ・ロベルト・ファルカンはジーコ、ソクラテスよりもプレーエリアが低めの「8番」と「5番」の中間的なタイプ。フィールドの縦軸を支配する運動量と優れたビジョンがあった。トニーニョ・セレーゾは古典的なボランチだが、ファルカンと組んだことで前線まで飛び出す攻撃能力を発揮している。

82年W杯アルゼンチン戦でボールを運ぶファルカン。後方と前線を繋ぐ潤滑油だった
トニーニョ・セレーゾは最終ライン前方の番人を務めつつ、機を見た攻め上がりで攻撃に厚みを加えた

 5人目はジュニオール。いちおう左SBだが、攻撃時にはフリーロール。現在の「偽サイドバック」の原型だが、むしろ司令塔だった。ちなみにビーチサッカーの名手でもあった。

82年ブラジル代表の“もう1人の天才”ジュニオール。「音楽」にたとえられるパス回しの重要な奏者だった

 黄金の4人+1。「どうプレーするか言われる必要のない」5人。彼らの織りなす即興的なパスワークはまさに「音楽」だった。

 原理の基本は「ゲート」の把握。2人の守備者が作る「門」は収縮と拡散を繰り返す。そのゲートの開閉を逆手に取る。ゲートが閉まれば外は開く。3人並んだ守備者の2つのゲートの1つが閉まれば、もう1つは必然的に開く。開いているゲートなら、その中間点を通過する。黄金の「5人」はパスでもドリブルでも実にあっけなく、スルスルと、ゲートを潜っていった。

 およそ25年後に、シャビ・エルナンデス、リオネル・メッシ、アンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケッツを擁するバルセロナがセレソン82と同種のパスワークを披露する。相手を操り、収縮させ、束にして置き去りにするやり方だ。ただ、ブラジルの方が仕掛けは早い。相手を収縮させる手間を省けたのは時代の違いだろうが、相手の配置と動きを把握して瞬殺している。

希望の糸

 天才が1人だけだと「黄金」たちのようなプレーはできない。2人なら少しできるが限定的。3人いればかなり事情は違ってくる。

 1970年のブラジルにはペレ、トスタン、リベリーノの3人の「10番」がいた。さらにジェルソン、クロドアウドの後方支援、彼らとは違う武器としてガリンシャの系譜を継ぐ突破者ジャイルジーニョがいた。しかし、これ以降はしばらくブラジルらしさを失っている。

 欧州勢のフィジカルに対抗しようとするあまり、ブラジルならではの特徴を見失っていたのかもしれない。74、78年の2大会はベスト4には入れたが、あまりそれらしくないブラジルだった。

 82年の指揮を執ったテレ・サンターナはフルミネンセの名手で、「希望の糸」というニックネームがあった。ファンの公募によってつけられたものなのだが、試合を分析して次の機会に解決策を見出すのが由来である。サンターナ監督はセレソンでも「希望の糸」だった。

 「どうプレーするか言われる必要のない選手」を可能な限り並べるという、伝統的な手法を復活させた。ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾがそろったのは前記の通り半ば偶然ではあるが、どのみち3人は共存させるつもりだった。ボランチをトニーニョ・セレーゾかファルカンかで迷っていただけで、その分パウロ・イジドーロやディルセウといったウイングを起用するところを、ウイングを削って「黄金の4人」に託したわけだ。「ガリンシャ」がいないのでパスワークに特化した攻撃にはなったが威力は十分。国民が渇望していたブラジルらしいチームを誕生させている。

結果こそ伴わなかったものの、プレーの内容で歴史に名を刻んだチームを作り上げたテレ・サンターナ監督

 弱点はCFとGK。敵味方のゴール前が課題というのはけっこう大きな弱点だ。サントスで活躍していたセルジーニョは大柄でパワフルなストライカーだが、スペインW杯では雑なフィニッシュが目についた。当時ベンチに座っていたカレカの起用か、むしろジーコやソクラテスの「ゼロトップ」の方が良かったかもしれない。

 戦術的にはリスクマネジメントができていない。トニーニョ・セレーゾは「守れるのはCBと私だけだった」と述懐している。守備力というより守備をする場所に人が足りなかった。キープ力があるので後方からもどんどん攻撃に絡んでいく。ジュニオール、レアンドロの両SB、ファルカン、さらにトニーニョ・セレーゾ本人、場合によってはCBルイジーニョまで前線へ出ている。その時は誰かが後方に待機はしているのだが、カウンターを受けやすいのは確か。セルジーニョを外して守備的MFバチスタを起用すべきという論調は当時からあった。もしそうしていれば、あそこまで攻撃過多にはならなかっただろう。ただ、あのような芸術的なチームにはならなかったかもしれない。

 1992年のトヨタカップの時、テレ・サンターナとヨハン・クライフは決戦を前に東京のホテルで語り合っていたという。サンパウロに敗れたバルセロナのクライフ監督は記者会見で「どうせ轢かれるならフェラーリの方がいい」と話した。サンターナが敗れても同じことを言った気がする。人々が漠然と望んでいたことを現実にした2人は、リスクを承知で飛翔した監督だ。理想は現実になって初めて、それこそが望んでいたものだと気づく。テレ・サンターナが作り上げたチームは、クライフだけでなくペップ・グアルディオラ、ユルゲン・クロップなど、多くの名将が実現された理想として語り継いでいる。

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伝説として語り継がれる1982年のブラジル代表。その中核を担い「黄金の4人」と称されたジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

その「黄金の4人」に加え、リシャルリソンら現役のブラジル人スター選手たちがラインナップされた“Q(Quarter) Anniversary LEGEND SCOUT”がスタート!

さらに、★4バージョンの「ジーコ」「ファルカン」「ソクラテス」「トニーニョ・セレーゾ」が手に入るスペシャルログインボーナスや、豪華特典が満載の【Q Anniversary】記念キャンペーンも併せて開催中だ。

すでにゲームをプレイ中の方はもちろん、「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひゲームにトライして、現代にも通じる「黄金の4人」の奏でる旋律を再現してみてほしい。

<商品情報>

商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガ

さらに詳しい情報を知りたい方は公式HPへアクセス!
http://sakatsuku-rtw.sega.com/

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Edition: Yuichiro Kubo
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サカつくRTWジーコソクラテストニーニョ・セレーゾファルカンブラジル代表

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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