宮市亮が復帰までの10カ月で“マリノス・ファミリー”にもたらした大きな財産
何度もキャリアを左右する大ケガに直面してきた宮市亮がそれを克服して日本代表に選ばれる――しかし、その晴れの舞台で再び右ひざ前十字靭帯断裂という悪夢に襲われ、サッカーファン全体が大きなショックを受けた。しかし、宮市亮は諦めなかった。301日ぶりの公式戦復帰。本人の努力はもちろん、その前向きさを失わないが姿勢が“マリノス・ファミリー”に与えた影響を舩木渉がレポートする。
「選手の交代をお知らせします」
ついにその時がやってきた。
「横浜F・マリノス、背番号18、水沼宏太に代わりまして…背番号23ッ!……失礼しました。背番号23、宮市亮が入ります」
札幌ドームのスタジアムDJが選手交代をアナウンスする。でも、なぜ途中で訂正を入れたのだろう。言い直しても内容は変わっていないのに。理由を探るべく聴き直してみると、交代選手の背番号をホームチームと同じテンションで読み上げてしまっていた。
スタジアムDJがわざわざ訂正した真意はわからないが、自然と力が入ってしまうのも無理はない。なぜならホーム側からもアウェイ側からも万雷の拍手で迎えられたのが宮市亮だったから。マリノスの23番を背負うスピードスターは、日本代表戦で右ひざ前十字靭帯断裂という大ケガを負って以来、301日ぶりに公式戦のピッチへと帰ってきた。
奇しくも「あの時」と同じ水沼との交代
2023年5月23日に行われたYBCルヴァンカップ・グループステージ第5節、北海道コンサドーレ札幌戦の82分。水沼との交代でタッチラインをまたぐ宮市の脳裏に「あの時」のことがよぎった。
「僕が日本代表の韓国戦で交代する時の画が思い起こされる感じがして。その時『ああ、あの時と一緒だな』と」
昨年7月27日、豊田スタジアムで韓国代表戦に59分から途中出場した宮市は水沼との交代でピッチに入った。そして、長期のリハビリを乗り越えて戦いの場に帰ってくる瞬間も水沼との交代に。再出発を象徴するような瞬間だった。
しかし、水沼は「僕は全然思い出していなかったですけどね」と笑う。
「確かに言われてみればそうだったなと。あの時からいろいろ乗り越えて復活して、入れ替わってピッチに出ていく瞬間に言葉をかけられたのは僕だけでした。その最初の場面に立ち会えたのは嬉しいですね」
ルヴァンカップの札幌戦から4日後の5月28日。今度は2人とも途中出場で、同時にJ1第15節・アビスパ福岡戦のピッチに立った。水沼は「普段なら自分でシュートを打っていた場面も、亮にパスをしていたんです」と明かす。
「勝手にあのプレーが出たので、自分の中で『亮に点を決めさせたい』という気持ちだったんだなって」
宮市のもとにどんどんボールが集まってくる。水沼だけでなくマルコス・ジュニオールも、喜田拓也も、自然に左サイドへパス出していた。
「ああやってボールを持たせたり、スペースにパスを出して走らせてあげたり。それが亮の良さだし、久々にあのピッチで駆け回ることは本当に亮にとっても幸せなことだったと思う。だから、パスを出したくなりましたよね」
日産スタジアムに帰ってきたトリコロールの23番は、アディショナルタイムも含めて15分ほどのプレーにもかかわらず次々にチャンスを作り出した。爆発的な加速力は健在で、ひざへの不安を微塵も感じさせないプレーに会場が沸いた。
喜田が、白坂が、榊原がそろって絶賛する人間性
試合後、取材エリアに現れた宮市は「スタジアムが作り出してくれた雰囲気に改めて圧倒されましたし、心が震えました」と326日ぶりとなったホームでのプレーを感慨深げに振り返った。
「スタジアムに入ると僕のユニフォームを掲げてくれる人がすごくたくさんいて、試合に出るという時にもすごい歓声をくれて、本当にありがたいなと思いました。プロを続けてきて良かった。やっぱりそういう(支えてくれる)人たちがいなかったら現役を続けるという選択はなかったと思うし、本当に感謝でいっぱいでした」
宮市の復帰はマリノスのファン・サポーターのみならず、日本のサッカーファン全員が心待ちにしていたと言っても過言ではないだろう。ただ知名度があるからではなく、卓越したパーソナリティを示してきたからこそ、誰からも愛される選手なのだ。
マリノスのキャプテンを務める喜田は「亮くんの選手としての魅力や人としての魅力が大きいゆえに、周りの期待が大きくなりすぎて多少プレッシャーにもなっていたと思う」と気遣いつつ、次のように述べる。
「(復帰は)マリノス・ファミリーだけではなくてサッカーファンにとって嬉しいニュースだったと思います。それを圧に感じすぎず、彼の良さを出して楽しんでほしいなというのが一番だし、みんなで一緒に楽しめればいいなと思いが大きいです。帰ってきたことが本当に頼もしくて嬉しいですね」
離脱期間中はJリーグやマリノスの顔として多くのメディアに出演し、自身の経験や人生、リハビリの様子などについて発信してきた。3年ぶりのリーグ優勝が懸かった昨季終盤にはホームタウンの商店街や駅などを回るPR活動への参加を買って出るなど、目に見える形で多大な貢献を果たしたのは誰もが知っている。
一方、外側からは見えないところでもチームのために力を注いできた。クラブハウスのロッカーが隣だというGK白坂楓馬は「もちろん過去に携わっていただいた選手たちのパーソナリティも非常に高いものがありましたけど、亮くんの優しさや心の広さはまた違ったものでした」と語る。……
Profile
舩木 渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。