準決勝で相対したユベントスを2戦合計2-3で上回り、クラブ史上7度目のEL決勝進出を果たしたセビージャ。今でこそリーガでも欧州カップ出場圏内に迫る勢いだが、3月時点では降格圏内まで勝ち点2差の14位に沈んでいた。そこから就任2カ月でホセ・ルイス・メンディリバル監督がアンダルシアの強豪を蘇らせたショック療法を、スペイン在住の木村浩嗣氏と振り返ってみよう。
ホセ・ルイス・メンディリバルとセビージャの幸せなカップリングは、監督とチームの間にある不思議な関係について教えてくれる。監督とチームに良い化学変化が起きれば成功する。悪い化学変化が起きれば失敗する。
良し悪しは予測できない。世界一の監督と世界一のチームの組み合わせが散々な結果になることもある。人間も人間集団も気紛れなダイナミズムに支配されており、両者のかけ合わせなんて気紛れの二乗であって、やってみなければわからないのだ。
セビージャに来る前にメンディリバルはアラベスで失敗している。スペイン一小さなホームタウンを持つ、スペイン一小さなクラブ、エイバルを5季連続で1部に残留させた後、降格した20-21シーズンを最後に浪人生活を送っていたところに声がかかったのだが、12試合で1勝しかできなかった。だから、3月にセビージャが新監督就任を発表した時には、懐疑的な声の方が大きかった。
残留目標のクラブ向きの監督であって欧州カップ戦の常連であるセビージャ向きではない、という「格」の違いを指摘する声がある一方で、降格圏から2ポイント差のチームを残留させるには適任、とする声もあった。もっとも、彼ら擁護派にしても残留後の来季は新監督にバトンタッチする、という未来を描いていた者がほとんどだった。そもそも、スポーツディレクター、モンチが提示したオファーが契約は今季末までで来季のことは話し合って決める、というものだったのだから。
あれから2カ月、劇的な良い化学変化が起きた。7勝7分12敗で14位だったチームは新監督の下で6勝2分1敗の9位にまで順位を上げ、残留どころかカンファレンスリーグ出場圏の7位アスレティック・ビルバオに2ポイント差まで迫っている。ELではマンチェスター・ユナイテッドとユベントスを撃破して決勝まで勝ち上がった。
なぜ、メンディリバルとセビージャの組み合わせは成功したのか?
後出しジャンケンであることを承知で言えば、予測不能ではあったのだが「予感はあった」。普通、前任者と真逆のプロフィールを持つ監督をわざわざ後任にしたりしないが、このケースは功を奏した可能性がある。つまり、瀕死のセビージャを甦らせるショック療法としてメンディリバルが起用された、ということだ。
キーワードは「前へ」。シンプルな戦術と采配
メンディリバルのシンプルさと前任者ホルヘ・サンパオリの複雑さを象徴するのが、システムのバリエーションだ。メンディリバルが[4-2-3-1]一辺倒なのに対し、サンパオリは[5-4-1]、[3-5-2]、[3-4-2-1]、[4-3-3]、[3-1-4-2]、[5-3-2]、[4-2-3-1]の7種類を目まぐるしく使い分けた。選手たちの配置も混乱を極め、ウインガーのブライアン・ヒルを3バックの左CBにしたり、CFのユセフ・エン・ネシリを3トップの左サイドにしたり、ウインガーのエリック・ラメラやルーカス・オカンポスをCFにしたり……。周りはもちろん本人さえが首を傾げるポジションで起用し、大方の予想通り結果が出なかった。さすがに、第一次政権時代には清武弘嗣を5バックの左SBで起用したこともある男である。
サンパオリには明確な狙いがあったのだろうが、選手たちも何を求められ何をすればいいのかがわからなくなっていた。
ある試合で、複雑なシステム変更とポジションチェンジを指示するためにメモを渡して伝えようとしたことがあったのだが、マルコス・アクーニャがそれを取り上げて芝に叩きつけたことがあった。残り5分でリードされた状況で図示しないとわからないような指示をするな、ということである。サンパオリの戦術や采配が理解されず、選手たちが欲求不満に陥っていることを象徴するシーンだった。
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。