5月20日からアルゼンチンで開催されているU-20W杯。グループステージ初戦でセネガルと激突した日本は、15分に松木玖生が奪った先制点を守り抜き、1-0で白星発進を飾っている。試合終盤、アフリカ王者の猛攻から逃げ切るために冨樫剛一監督が下した決断と、それを昇華して「偽5バック」を生み出した若き選手たちの判断に、現地で取材中の川端暁彦氏が迫った。
U-20W杯の初戦でアフリカ王者・セネガルと対峙した日本は、「リーチの長さや縦への速さにちょっとビックリした」(MF佐野航大)ところはありつつも、1-0で粘り勝ち。「まずは勝つことが大事」(MF松木玖生)と意思統一していた初戦で貴重な勝ち点3をつかみ取った。
そんな試合後、殊勲の決勝点を叩き込んだ松木を捕まえて話していると、耳慣れぬ言葉が出てきた。「偽5バック」というフレーズだ。どのあたりが「偽」で、何が試合のキーとなったのだろうか。松木の持つ稀有な個性を組み込んだ仕組みがそこにはあった。
「[4-5-1]か[5-4-1]か」1点リード、残り20分での決断
日本とセネガルの試合は、どちらも初戦らしい硬さを感じる立ち上がりだった。その中で最初に試合を動かしたのは日本である。事前のスカウティングに基づいて「あそこが空くのはわかっていた」(冨樫剛一監督)というセネガル最終ライン手前のスペースを松木が有効活用。得意の左足ミドルシュートで先制ゴールを奪い取って優位に進めた。15分のことだった。
以降は互いに決め手を欠きつつ、しかし日本はスコアの優位を活かして心理面で上をいく流れに。途中出場のMF安部大晴が「全然味方の声が聞こえなくて驚いた」と振り返った世界大会らしい雑多な雰囲気に煽られつつも、1-0でのリードを保ったまま試合は終盤に差しかかった。
ここから「足も長いし、なんかめっちゃパワーもある」(DFチェイス・アンリ)アフリカ王者の攻勢を受ける展開となる中で、日本の指揮官には二つの選択肢が生まれていた。
「[4-5-1]で耐えるか、[5-4-1]で耐えるか」(冨樫監督)
[4-2-3-1]から守備時は[4-4-2]で構えてトップ下の松木玖生がプレスのスイッチ役としても機能するのが、この日の日本の基本戦術。かつて本田圭佑を使ってアルベルト・ザッケローニ監督も実践し、もはやトラディショナルなジャパニーズスタイルとも言える形だが、耐える展開になれば別の発想も必要になる。
「実際に長いボールが多くなっていたので、最終ラインで構えるのか。あるいは(セネガルの)発射台に少し制限をかけながら跳ね返すのか」
明確な正解はないが、残り20分の段階での5バック移行は早すぎるというジャッジもあったのだろう。採用したのは「[4-5-1]で構えて、あわよくば引っかけてカウンター」(冨樫監督)という選択である。
最も個としての守備強度もある松木の位置を下げて、中盤の[5]は横並びとなる[4-5-1]へシフトチェンジ。オールドファンには2010年南アフリカW杯における第二次岡田ジャパンの並びと言えばわかりやすいだろうか。阿部勇樹を中央に置いたあのやり方である。中盤中央に3枚のMFが並んで、察しと思いやりのポジショニングで攻守に対応する形だった。
「A代表でも絶対に必要な」適応力を重視したチームづくり
もともとこのチームは戦術的な多様性と柔軟性を追求してきた。「一つの立ち位置でしか戦えないチームではいけない」(冨樫監督)と考える指揮官は、複数のシステムを「相手、状況、時間によって使い分ける」ことを意図してきた。
システムも[4-3-3]や[4-2-3-1]を基軸としつつ、3バックにも対応できるようにしてきたし、3バック時の並びにも複数の選択肢を用意している。選手のキャスティングに応じて、同じ配置でも違う機能性を作ることを意識しており、たとえばこの試合では191cmの本来CBの高井を右SBに置くことで、「3っぽくやる」(DF田中隼人)こともできるようにしてあった。
こうしたことを全部トレーニングで綿密に仕込んでいる……というわけではない。……
Profile
川端 暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。