2022-23CLのファイナリストが出そろった傍らで、そのU-19版にあたるUEFAユースリーグは一足早く4月22日にフィナーレを迎えている。CLグループステージの出場32クラブとUEFAリーグランキング上位32カ国の国内ユースリーグ優勝クラブのユースチームが欧州王座を争う中、大番狂わせを演じたのは準優勝のハイデュク・スプリトだ。クロアチアの古豪をマンチェスター・シティ、ドルトムント、ミランを破る快進撃へと導いた育成改革と地域一体に、5月31日に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』を上梓する長束恭行氏が迫る。
19歳以下のクラブチーム欧州王者を決める「UEFAユースリーグ」。10年目を迎えた今季は、初めて国内王者コースから勝ち上がってきたチーム同士のファイナルとなった。初優勝を飾ったのはオランダのAZ。ラウンド16ではバルセロナ(0-3)、準々決勝ではレアル・マドリー(4-0)、そして準決勝ではスポルティング(2-2/PK3-4)と名だたる名門クラブをなぎ倒してきた彼らは、決勝戦でもハイデュク・スプリトを5-0と一蹴した。文句なしのチャンピオンだ。
とはいえ、今大会で一番の盛り上げ役を買って出たのは、準優勝のハイデュクの方に違いない。クロアチア南部のダルマチア地方で支持を受ける古豪は、「トルツィダ」という名の熱狂的サポーターを抱えている。1994-95シーズンのチャンピオンズカップ(CLの前身)でベスト8まで進出した歴史がハイデュクにはあるものの、近年はライバルであるディナモ・ザグレブの後塵を拝しており、欧州カップでもグループステージに進出したことは2010-11シーズンのELの一度しかない(しかもグループ最下位)。それだけにトルツィダはユース世代の快進撃に陶酔した。
サポーターの「侵攻」に押され強豪クラブを次々撃破
ハイデュクの戦いぶりをラウンド16から振り返ろう。本拠地スタディオン・ポリュウドにマンチェスター・シティを迎えた試合では、北側のゴール裏席を中心に1万人のトルツィダが集まった。ハイデュクは前試合のレッドカードで規格外の16歳CBルカ・ブシュコビッチを欠いていたものの(2試合の出場停止)、特例となる2003年生まれの選手枠(3人)すべてを使用してきた富豪クラブのシティを2-1のスコアで退けると、試合後はトルツィダと一緒に喜びを爆発させた。
準々決勝のボルシア・ドルトムント戦はアウェイゲーム。ドルトムントU-19は2000人規模のスタジアムを本拠地としているが、ドイツ在住のクロアチア移民も含めたトルツィダが膨れ上がることが予想され、ハイデュク側がスタジアム変更を要請。紆余曲折を経てジグナル・イドゥナ・パルクでの開催が決まった。このようにアウェイサポーターが大挙押し寄せることをクロアチア語では「invazija」(侵攻)と呼ぶ。試合では5000人以上のトルツィダが「白い壁」を形成し、ドルトムントのサポーターを応援で圧倒。ゲームは76分に追いつかれたものの、続くPK戦では9-8という熱戦を制した。
続くファイナル4。UEFAが本部を置くスイスのニヨンで準決勝と決勝のセット開催が通例だったが、同市のコロブレー・スタジアムは7200人のキャパシティしかない。トルツィダの「侵攻」を鑑みて、特例措置で3万人収容のスタッド・ドゥ・ジュネーブに開催地が変更された。準決勝の相手はミラン。グループステージでミランと二度対戦したディナモが、戦術分析用に撮影した試合映像をハイデュクに提供し、マリヤン・ブディミル監督やスタッフもプリマベーラのゲームを10試合ほど分析することでミランを丸裸にした。トップチームからはブシュコビッチとアメリカU-20代表MFロクス・プクシュタスも加勢。後半の怒涛の3ゴールでミランを一蹴した(スコアは3-1)。この試合にも約5000人のトルツィダがスイスに集まり、定番の応援ソング『北からの嵐』(Oluja sa sjevera)が歌われた。
「オー、ハイドゥクよ。オー、ハイドゥクよ。子どもたちはいつもお前とともにいる。俺たちはチャンピオンだ。応援するぜ。ビーリ(クラブカラーの“白”)のために俺たちはいつも歌う」
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。