アカデミー時代から周囲の耳目を集めてきた才能は、今年で25歳になる。松本山雅FCのストライカー、小松蓮のことだ。想像していたような成長曲線を描けなかったプロでの5シーズンを経て、ようやくその大器は覚醒の予感を漂わせ始めている。では、その変化の裏側にはどんな日常が隠れているのだろうか。今回も山雅とともに生きる大枝令に、小松の今を綴ってもらおう。
不完全燃焼の5シーズンを経て、迎えた飛躍の時
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
スポーツの現場を取材していると、サッカーに限らずこの文言に出合うことはしばしばある。松井秀喜さんが星稜高時代に恩師・山下智茂氏から贈られた言葉だというが、けだし名言だと唸らされる。
というのも今季の松本山雅FCにおいて、それを地で行くストライカーが大きな飛躍の時を迎えようとしているからだ。
小松蓮。
長野県で育ち、松本山雅FCのアカデミーでU-15からプレー。高校3年時のJユースカップではベスト4入りを経験した。トップ昇格は見送られたものの、産業能率大時代に年代別日本代表に抜擢されて脚光を浴びた。その経験が基になり、大学を中退して松本に加入。プロとしての道を歩み始めた。
しかし昨季までのキャリアは、必ずしも思い描いていたような成長曲線を描けていたわけではない。1年目の2018年は公式戦の出場はなし。19〜21年はツエーゲン金沢、レノファ山口FCにレンタル移籍して経験を積んだ。柳下正明監督の元で徹底した守備戦術の遂行を、霜田正浩監督と渡邉晋監督からは、サッカーの奥深さを学んだ。
だが、ストライカーとしては不完全燃焼のシーズンが続いていた。キャリアハイは5ゴール。山口時代を振り返り、「守備の部分での貢献度が高かったのが試合に出続けられた要因かもしれないけど、それで点を取れていればもっと良かった。結果がついてこなかったので、そこの部分をもう少し考えていかないと」と話していた。
3年間の武者修行から戻ってきた昨季も、それは同様だった。前線から惜しみなく走力を注ぎ込み、プレスをかける。2度追い、3度追いは当たり前。かつて松本で、同じようなプレースタイルで愛された塩沢勝吾と同じ背番号「19」を背負い、前線を奔走した。それでもチームは至上命題としていたJ2復帰を逃し、自身も5ゴールにとどまった。
別人のような変貌の陰にあるマインドセットの変化
今年で25歳。何かを変えなければいけない――。
「プロのキャリアを歩んできて、どうしても結果が出ていなかった。たまたまではなく必然的な『ブレイクの年』というのは、やっぱりFWである以上は作らなければいけない。どうやったらそういうシーズンを得られるのかと考えたとき、自分の場合はメンタルの部分だという結論に達した」
メンタルトレーナーをつけ、マインドセットを変えることを決断。そこから、まるで別人のように変貌を遂げた。
まず生活リズム。睡眠への意識を変え、十分な睡眠時間を確保するため、夜ふかしは一切しないよう徹底した。夜9時を過ぎたらスマホの画面は一切見ず、10時には就寝。朝早く起きてからは自主トレに打ち込むし、もちろん食事にも細心の注意を払う。
「9時以降は携帯使えないって多分、現代人からしたら相当キツいし僕も相当キツい。けど、今それをやってサッカーで大きなものを得られたり、自分がなりたい姿になれたりするのであれば全然安いもの。サッカーを続けられるのが30代までだとしたら、その期間ぐらい『やれよ』という話」……
Profile
大枝 令
1978年、東京都出身。早大卒。2005年から長野県の新聞社で勤務し、09年の全国地域リーグ決勝大会で松本山雅FCと出会う。15年に独立し、以降は長野県内のスポーツ全般をフィールドとしてきた。クラブ公式有料サイト「ヤマガプレミアム」編集長。