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【インタビュー前編】新卒監督から25歳の強化育成部長へ。異色のキャリアを歩む小谷野拓夢の新たな挑戦

2023.05.02

“新卒監督”として福山シティFCで3シーズン指揮を執り、広島県1部リーグ(6部相当)から中国サッカーリーグ(5部相当)に昇格させた小谷野拓夢が、ガイナーレ鳥取の強化育成部長に就任した。天皇杯でJクラブ相手に堂々たる戦いを見せた青年監督は、なぜ現場からフロントに新天地を求めたのか。

前編ではガイナーレ鳥取の強化育成部長に就任した経緯、クラブとしてのゲームモデル導入の必要性について掘り下げてもらった。

noteでアピール!斬新な就活戦略

――今回はなぜガイナーレ鳥取の強化育成部長に就任したのか、新しい舞台ではどのような取り組みを行っていきたいのか、この2点について伺いたいと思います。まず、3シーズン指揮を執った福山シティFCの監督を退任されたことが驚きでした。

 「福山シティでの3年間の指導者生活は今振り返っても充実していたと思います。選手を指導していく中で自分の監督としてのベースを作ることができましたし、もっと上を目指したいと考えるようになりました。3年間の間にJリーグに個人昇格した選手もいますし、僕自身もこれからの成長を考えた時にもっと上のレベルで戦いたいという想いが日々強くなっていきました。

 当然、JFLより上のチームを率いるにはA級ライセンス、S級ライセンスが必要になってくるわけですが、そのライセンスの取得に関しても福山シティで監督を続けながらだと難しいというジレンマがありました。去年もA級ライセンスを受講できるチャンスはあったのですが、地域CLと日程がかぶることになってトライアルを受けられず取得を断念しました。ライセンスがないとJクラブでの監督を目指すという目標のスタートラインにも立てないので、監督としてのキャリアアップを望むなら環境を変えるしかないと考えました」

――福山シティからの契約延長のオファーはあったんですよね?

 「はい。クラブから契約更新のオファーをもらっていました。あとは書面に判子を押すところまで進んでいたんですけど、最後に新しいチャレンジを決断しました」

――福山シティを辞めた時点で他クラブからのオファーはあったのでしょうか?

 「いえ、その時点で進路は決まっていませんでした。なので、福山シティを辞めてから就職先を探すことになりました。仲介人などもいなかったので、noteで自分のこれまでの実績やサッカー界で何を実現させたいのかという想いを書くという博打みたいアピールをしました」

――すごいですね。noteで自分がどういう人間かを知ってもらって、もし自分と一緒にやりたいと思ってくれたクラブがあれば声をかけてくださいという意図であえてそういった形にしたんですよね。

 「はい。自分で言うのも何ですが、リスクのあるやり方ではあったと思います。noteに実績を書いてはいますけど、福山シティの所属カテゴリーが影響しているのか、実際に指導者を雇う側、Jクラブの強化部長やGM、SDの層には届いていないのが正直なところでした。なら、それを伝えるためにどうするかとなった時に、少し馬鹿げているかもしれませんが、noteでアピールしようと」

――実際、オファーは来たのでしょうか?

 「オファーは全部で10個くらいありました。Jクラブに数人知り合いはいますけど、あえて僕からクラブに問い合わせることはせず、受け身でオファーを待つ形を取っていました。理由としては、例えば僕の希望としてライセンスを取りたいというのは1つありますが、『役職は何でもいいので、ライセンスは取らせてほしい』なんて都合のいい話は通らないですよね。僕を本当に必要としているクラブというのを第一条件にしていて、その中でクラブの発展に貢献してほしいという熱意を最も感じたのが鳥取でした。監督としてのオファーもありましたし、鳥取以外のJクラブからのオファーもありましたが、ここしかないなと思いました」

――鳥取は監督ではなく、強化育成部長としてオファーをしてきたんですよね。

 「はい。最初、お話をいただいた時は何かしら協力してほしいという形でしたが、その後に具体的な話し合いを重ねる中であらためて強化育成部長として正式なオファーをいただきました」

――強化育成部長というのは、アカデミーの責任者ということですか?

 「いえ、アカデミーに限らずトップチームも兼ねた両方の責任者です。いわゆるSD(スポーツダイレクター)と呼ばれる立場ですね。僕も突拍子もないオファーが来たなと思いました。おそらく最年少(25歳)ですし、僕みたいなクラブの外から来た人間がいきなりやる仕事でもないので」

――鳥取が小谷野さんにオファーした理由は何だったんでしょうか?……

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ガイナーレ鳥取小谷野拓夢

Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。

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