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モラス雅輝に聞いた中村敬斗の今。オーストリアで大ブレイクした理由

2023.02.20

欧州のビッグクラブにステップアップする若手を多く輩出しているオーストリア・ブンデスリーガ。ガンバ大阪から10代で海を渡った中村敬斗は、このリーグのLASKリンツで10ゴール5アシストと大ブレイク中だ。オランダ、ベルギーで苦悩していた22歳のキャリアは、なぜオーストリアで好転したのか。昨シーズン同国2部のバッカー・インスブルックの監督を務め、現在は同リーグのザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクターとして活躍するモラス雅輝に聞いた。

日本人監督の誕生とトップチーム消滅

――モラスさんは昨季途中からバッカー・インスブルックの監督(代行)に就任しました。日本人が欧州でトップチームの監督を務めるのはレアケースですが、その経緯を教えてください。

 「2021年にインスブルックに呼び戻され(2017年に同クラブの女子部門で監督兼スポーツダイレクターを務めていた)、最初は3部に所属していたセカンドチームの監督になりました。そんな時、オーストリア2部で戦っているトップチームが順調とは行かず、クラブのGMからトップチームの現状について聞かれました。セカンドチームから昇格した教え子もトップチームにいたので、ある程度の状況は把握していて、そこで自分なりに『こうした方がいいんじゃないか』という意見は伝えました。その時はあくまでアドバイスしただけだったのですが、その後トップチームの監督をやらないかと打診されました。伝えられたのは、ちょうど僕が率いるセカンドチームが3部の優勝候補のチームを倒した日でした。その試合をGMが見に来ていて、数日後に『トップチームの監督になってほしい』と言われました」

――U-23からいきなりトップチームを指揮するのは難易度の高い挑戦になると思うのですが、不安はなかったですか?

 「僕はトップチームの環境も知っているし、長く働いているオーストリア2部についてもわかっています。だから、GMには『不可能ではない』と伝えました。これまでに培ってきた経験がありますし、難しい仕事になるとは思いませんでした。そこからトップチームを率いていたのは(2022年)1月の下旬までですね。ただ、僕の代わりにセカンドチームの監督になった人が(2021年)12月で契約解除になってしまって、セカンドチームの監督が不在になり、その後は僕がトップチームとセカンドチームの監督を兼任する形になりました」

――それはやばいですね(苦笑)。

 「昼間はトップチームを指導して夜にセカンドチームを見る。土日は両チームの試合を見るんです。それができたのは、コーチングスタッフのおかげです。セカンドチーム時代のコーチをトップチームに引き上げて、サポートしてもらったので」

――モラスさんが監督時代にはユニークな取り組みを行っていて、その1つに東大ア式蹴球部との提携がありますよね。

 「僕がトップチームの監督を任されていた時は、東大ア式蹴球部と頻繁に連絡を取り合っていました。実は協力者がもう1人いて、Rangnism(ラングニズム)さんという方です。RBライプツィヒやマンチェスター・ユナイテッドで監督を務めたラルフ・ラングニックのマニアで、東大ア式蹴球部とRangnismさんとの“三人四脚”で試合に臨みました。特に試合の分析は参考になりました。前半が終わってハーフタイムになると、スタジアムからロッカールームに戻るのですが、最初の2分間は東大ア式蹴球部とRangnismさんの分析を読んで、それをコーチングスタッフに伝えて、まとめたものを選手に話します。

 インスブルックのコーチングスタッフも彼らの仕事ぶりを高く評価していましたよ。ピッチ目線で試合を見る僕らと違って彼らはピッチを上から見ることができるので、彼らが見ていた景色、そこからの予想、相手がどの選手を交代するのか、どういうシステム変更を行うかなどは、実際チームのためになっていました。彼らは英語ができるので、フリップの解説がすべて英語だったのも助かりました」

――そもそも、どういうきっかけで提携することになったのでしょう?

 「SNSで東大ア式蹴球部の取り組みを見かけて、面白いことをやっているなと思って僕から声をかけさせていただきました。セカンドチーム時代は、チーム全体の分析や若い選手をどう成長させるのか、ポジション変更の相談もしていました」

――東大の頭脳をサッカーに活かすという理屈はわかりますが、自分で声をかけて現場で実際にそれを取り入れようとするモラスさんのバイタリティが凄いですね。ただ、インスブルックのトップチームはその後、いろいろ大変なことになりましたね

 「そうですね。(2022年の)1月に突然、経営陣の交代がありました。ドイツのシュツットガルトから投資家兼経営者グループがやってきて、ハンブルクやニュルンベルクで監督をやっていたドイツ人監督を連れてくること、日本円にして約14億円を投資することの2点を条件にクラブ経営の権利を獲得しました。前の経営陣がクラブを去るのは残念でしたけど、14億円もの大金が入るのならセカンドチームの監督に戻っても問題ないとクラブに伝えました。ですが、実際にシュツットガルトからやってきた新しい経営陣は酷いものでした。契約書上では14億円がクラブに振り込まれることになっているのですが、実際にクラブが手にした金額はゼロです」

――それではクラブの資金がショートしてしますよね……。

 「最後の3カ月間はどのようにしてクラブが消滅するのかを経験しました。毎日のように選手から『いつ給料が振り込まれるのか』、僕にセカンドチームが移動するバスのガソリン代を立て替えてくれなんて言われたこともありました。オーストリアじゃこんなことはあり得ない。前の堅実な経営陣は騙されてしまったわけです。

 それでも、やりがいのある仕事だったとは思っています。トップチームの監督をやりながら、ラングニックのようにセカンドチームもマネジメントする。監督室にはトップチーム、セカンドチーム、サードチームと3つのホワイトボードがあってチーム全体を管理していました。素晴らしい経験をさせてもらえたと思っています。ただのピッチ上の監督ではなく、チーム全体を見通して仕事ができた。非常にやりがいを感じていたので、経営陣が変わらなければインスブルックで仕事を続けたいと考えていました」

「再生」を導いた冷静なキャリアプラン

――モラスさんは、そこから今季はザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクターとしてクラブの強化を担っているわけですが、オーストリア・ブンデスリーガで長く働き、強化と現場の両方を知る人だからこそ、聞きたいことがあります。キャリアの踊り場にあった中村敬斗はなぜ、オーストリアで再生できたのでしょうか?

 「まず中村が目標としているドイツ1部のブンデスリーガに行くために、どこの国でプレーするのがステップアップへの近道になるのか、逆算したらオーストリアが一番だと中村はわかっていました。論理的にキャリア形成を考えられる選手です。基本的に彼は頭がいい。非常にクレバーな選手です。今までたくさんの若手に会ってきましたけれど、彼ほど将来に明確なプランがあって、過去から多くのことを学んでいる選手はいませんでした」……

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オーストリアン・ブンデスリーガザンクト・ペルテンバッカー・インスブルックモラス雅輝中村敬斗

Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。

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