2018年夏から今冬までチェルシーに所属したジョルジーニョ。ナポリ時代の恩師でもあるマウリツィオ・サッリをはじめとする4人の監督に唯一無二の司令塔として重宝され、20-21シーズンにはビッグイアー獲得の原動力としてバロンドールに推す声も挙がっていた。アーセナルへと去った功労者との別れに寄せて、在籍4年半を西ロンドン在住の山中忍さんが振り返る。
「頭脳」から「ペット」まで…サッリ時代の極端な賛否
観る者を唸らせる「パスマスター」か、苛立たせる「横パスキング」か?
ファンの間でも意見が分かれる選手だったが、個人的には「ファイター」がチェルシー時代のジョルジーニョ像だ。
ナポリからの移籍は、古巣を率いていたマウリツィオ・サッリ(現ラツィオ)がチェルシーの監督に就任した2018年7月14日。イタリア人指揮官は、アントニオ・コンテ(現トッテナム)の後釜として広く地元サポーターに歓迎されていたわけではない。ポゼッションを前提にショートパスを繋ぐ“サッリボール”のキーマンも同様だった。
幕を開けた2018-19シーズン、リーグ戦12試合無敗を続けた最初の3カ月間は良かった。イタリア代表MFのタッチ数やパス本数の多さが話題となり、チームの「頭脳」や「中枢」と称えられた。だがサッリのチェルシーが、[4-3-3]で並ぶイレブンの顔ぶれから繋ぐこだわりが“遅攻”を招く戦い方まで、手の内を読まれやすいチームとして負け始めると、エンゴロ・カンテをインサイドハーフに回して中盤の底で先発するジョルジーニョは、新監督に贔屓されている「お気に入り」と言われるようになった。英語では「ペット」で、日本語よりも辛辣なニュアンスが強い。
同シーズン後半、プレミアリーグ26節でマンチェスター・シティに撃破(0-6)される頃には、ジョルジーニョへの賛否も極端になっていった。29節フルアム戦(2-1)では、自らの勝ち越し点を含むマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍でアウェイに駆けつけたサポーターから名前を連呼されていたはずが、ホームでの翌節ウォルバーハンプトン戦(1-1)ではパスをカットされた途端、記者席付近で男性ファンが「引っ込めろ!」と叫んだことを覚えている。その数分後、実際に交代が告げられた際にはスタンドの一部から歓声まで起こった。1年限りで指揮官を追ってイタリアに帰っていたとしても、西ロンドンでは大して惜しまれなかったに違いない。
ランパードの下で弱点改善、粘り強いキープに合唱も
だが本人はチェルシーに残って戦う気概を示した。続くフランク・ランパード体制下での2019-20シーズンは、ジョルジーニョが最も頼もしかったシーズンだ。監督となって戻ってきたチェルシーレジェンドが信頼を置く副キャプテンという「オブラート」に包まれた感もありはしたが、自身の存在を消されやすい一方で、なかなか相手の攻撃を止められないという弱点の改善努力があったことは間違いない。囲まれても執念深いキープで攻撃を繋げたり、スライディングで敵のカウンターを阻止したりしようとする場面が増え始めた。まだ英語力は限られていたがピッチ上での声も大きくなった。
得意のパスワークにしても、相手ゴールへとより速くボールと人を動かすことを求める指揮官の注文に応えるべく、長短を問わず目的意識のある前方へのパスを即座に試みる姿が目立つようになった。ダイレクトで敵の最終ライン越しに届けるパスは、それこそ「名人級」だ。久しぶりにファンが「ジョルジ〜ニョー!」と歌ったのはアウェイでの3節ノリッジ戦(○3-2)。シーズン初勝利への追加点を目指してドリブルで上がり、ファウルを誘ってフリーキックをもらった場面でのことだった。同じボールキープでも、ブラジル生まれらしい「足裏」にホームの観衆が思わず「オーレィ!」と声を上げる試合もあった。
……
Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。