ポジショナルプレーが象徴するサッカーの「デジタル化」とは?
【特別公開】『戦術リストランテⅦ』はじめに
1月27日発売の『戦術リストランテⅦ 「デジタル化」したサッカーの未来』は、ポジショナルプレーが象徴する「サッカーのデジタル化」をテーマにした、西部謙司による『footballista』の人気連載書籍化シリーズ第七弾だ。社会もサッカーも、より合理的で便利でストレスの少ない方向へ進んでいく流れは止まらない。そこに日本サッカーはどう向き合うべきなのか? 本書のコンセプトを記した「はじめに」を特別公開!
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リストランテもついに7号店(7冊目)となりました。これもひとえに皆様のおかげです。厚く御礼申し上げます。
さて、今回の大きなテーマは「デジタル化」です。
デジタルがあればアナログもあります。わかりやすい例でいうと、自動車のスピードメーターが数値で表示されているものがデジタル、針が動いているものがアナログということになるでしょうか。時計もそうですね。数字だけの時間表示がデジタル、針があるのはアナログです。
一般的には数値化されていて明確でパキッと割り切れそうなものがデジタルで、もっと曖昧で人の手のぬくもりみたいなものが感じられるのがアナログというような、そういう言い方もよくされていますね。まあ、本来の意味とは違うのでしょうけれども。例えばレコードに針を落とすレコードプレーヤーはアナログですが、「やはり音が違う」と音楽通の人が言っていたりします。私にはよくわかりません(笑)。
ポジショナルプレーは「カーナビ」と同じ
では、サッカーにおけるデジタルと何か。ポジショナルプレーはその象徴でしょう。デジタルそのものというよりデジタル的という意味で。
ポジショナルプレーの利点は判断の助けになるということが大きいと思います。ボールの位置によって選手のポジショニングが自動的に決まっていくので、次のプレーを早く正確に行う助けになる。車のカーナビゲーション・システムと似ていると思います。道順がわからなくても、カーナビが「右です」とか言ってくれるので、その通りに運転していれば目的地に着けます。便利です。
実際のプレーでわかりやすいのがゴールキックからのリスタートですね。GKからショートパスを繋ぐケースがここ数年で一気に増えました。GK以外の選手がペナルティエリア内に入れるようになった影響もありますが、ルール変更以前からゴールキックをショートパスで始めるようになっていました。これはポジショナルプレーのわかりやすい影響です。
自陣ではGKがいるので攻撃側に必ず1人の数的優位があります。相手のGKが攻撃側のFWをマークすれば別ですが、それはないので自陣内での数的優位は確定なわけです。ここで数的優位を生かしたボールの動かし方、それに適したポジショニングをすれば、あとは技術的なミスがなければ自動的にボールを前進させられます。カーナビの言う通りに進めば目的地に着けるのと同じです。
この時、個々の選手はその都度状況を判断しているのですが、誰がどこにいるのかはほぼ決まっているので、あとは相手の出方次第になります。これがどこに誰がいるのかわからない状態だったら、プレスされてパニックになってしまいますよね。相手がこう動いたらこうと、ある程度プレーがマニュアル化しています。
このように、より便利になる、ストレスが減る、マニュアル化されている状態がサッカーのデジタル化と考えられます。
スペイン代表が陥った「デジタル化の罠」
デジタル化が進むと、プレーの効率化も進みます。判断が早く正確になるからです。マンチェスター・シティの攻撃を見ていると、誰がどこにいるのかよくわかりません。それだけ選手が流動的に動いていて、いる場所の入れ替わりも多いからです。見ている方は混乱しそうになりますが、プレーしている選手はもちろん混乱していません。見た目は複雑ですが、実は一定のルールに従って動いているので混乱がないのです。その流動性と機械のような正確さは、まさにトータルフットボールの進化形と言っていいでしょう。
現在のサッカーはデジタル化の競争になっている側面があると思います。ポジショナルプレーだけでなく、トレーニングや体調管理などでもデジタル化が進んでいて、より合理的で便利でストレスの少ない方向へ進んでいます。これは社会のあらゆる領域でそうなっていますから、サッカーもこの流れに乗り遅れることはできない状態にあると思います。
ただし、サッカーにはまだまだアナログも必要です。
デジタル化の最先端にいるマンチェスター・シティですが、1人がポジショナルプレーというルールから逸脱したことをやってしまうとシティといえども混乱が生じます。もちろん修正能力も高いのですが、一定のルールの下に動いているから複雑化しても大丈夫なだけで、ルールがなければ大混乱になるはずです。いわゆる「信号のない交差点」になってしまうからです。皆が同じルールで動けるようにならないと機能しない弱さがある。
つまり、デジタル化はマニュアル化しているがゆえの脆弱性が含まれています。
このマニュアルにどっぷりと浸かり過ぎてしまうと、マニュアル外の出来事に遭遇した時に対処できない可能性が高くなります。想定外に弱い。そしてサッカーの想定外は実はかなり頻繁に起こるのです。デジタルの意味として「離散量(とびとびの値)」がありますが、その間を埋めるものがサッカーではけっこう必要とされてくるんですね。
1つ例を挙げましょう。カタールW杯におけるスペイン代表。
デジタルということでは最高レベルのチームです。ところが、結果・内容とも惨憺たるものだったと思います。グループステージで日本代表に負けましたし、ラウンド16でもモロッコ代表にPK負けでした。デジタル化の進んだスペインですからボールは持てます。ところが、「その先」がなかった。相手に想定外の状況を作ろうとしても作れなかった。パズルだからです。数的優位のある守備側にパズルを先に埋められたらそれで終わっていた。
現象的にはやり直しが多い、バックパスが多い。そのうちに追い込まれて想定外のボールの失い方をしたのが日本戦でした。これは多くの方々が目にした通りです。スペインは整然としています。整数だけで、まさに「とびとびの値」になっていた気がします。きれいに崩せなければ簡単に諦めるわけです。くだけた言い方をすると「迫力がない」サッカーだったのではないでしょうか。
デジタル的なサッカーが抱えている問題点が端的に表れていました。保持できるけれども崩せない問題です。崩すためには、たぶんアナログが必要でした。
グアルディオラが挑んだ「天才」の理論化
もしスペインにリオネル・メッシがいたら、あるいはネイマールがいたら、問題はおそらく解決していたと思います。メッシとネイマールは崩しの原理を体内に持っているからです。相手のDFを動かし、圧縮させて、ドリブルで突き破る。あるいは圧縮させたことでの隙をパスで突く。原理はシンプルですが推進力が必須で、相手を怖がらせる「迫力」がまず不可欠です。5レーンで区画された距離感でプレーしていたら、メッシやネイマールのようにはなりません。彼らは離散値の間にいるプレーヤーであり、ポジショナルプレーとは違うルールで動いて考えてプレーします。そのルールは実は昔から存在していて、説明しようという試みもありましたが、結局のところ「ある人にはある」とされてきた。「天才」と区分されてきたわけです。
唯一、ペップ・グアルディオラ監督が「天才」の理論化、一般化に近づきましたが、フィールドで実現するには「天才」が必要という堂々めぐりになった感があります。結論として、今のところは「天才」を並べて任すか、「天才」なしに筋肉でケリをつけるかの二択になっている気がします。どっちにしてもアナログ感が強い(笑)。
つまり、本当のデジタル化とは、この「天才」たちが実現してきた崩しのアナログ感をデジタルに落とし込めるかどうかに懸かっているのでしょう。
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<書誌情報>
定価:1,760円(10%税込)
発行:ソル・メディア
発売日:2022年1月27日
仕様:四六判/並製/288頁
ISBN:978-4-905349-67-9
Photos: Getty Images
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。