カタールW杯でオランダ代表を牽引したのは、PSVの新星コーディ・ガクポだった。3試合連続ゴールでさらに価値を高めたFWは、この冬プレミアリーグのリバプールへと活躍の場を移した。苦しむ名門の救世主として期待される24歳のルーツに迫る。
セネガルの守護神、GKエドゥアール・メンディがクロスを弾こうとした瞬間、コーディ・ガクポが死角から疾風のごとく姿を現しドンピシャのタイミングでヘディングシュートを決めた。続くエクアドル戦ではボックスの外から弾道鋭い左足シュートを左隅に突き刺し、カタール戦では15mの距離からコントロールを定めて右足で冷静に決めた。これでガクポはW杯開幕から3試合連続ゴールだ。いずれもオランダを1-0のリードに導く貴重なものだった。
オランダ2トップのレギュラー格、メンフィス・デパイ(スパルタ→PSV)、スティーブン・ベルフワイン(アヤックス→PSV)はW杯でのパフォーマンスが今ひとつだったが、育成の最終局面をPSVで仕上げ、トップチームで華々しく活躍したアタッカーだった。ガクポは主にシャドーストライカーを務め、2トップの一角でプレーすることもあった。そのためオランダ国内では「カタールW杯のオランダはPSV勢によって攻撃陣が形成されている」と話題になっていた。
6歳からPSV一筋。テゼやオビスポは“幼馴染”
PSV――それはガクポにとって特別な存在だ。デパイ、ベルフワインと異なり、ガクポは生粋のアイントフェーンっ子であり、6歳の頃からPSV一筋で育ってきた選手である。トップチームを応援するためフィリップス・スタディオンのZZ席(2階にある角席)から声を枯らし、ドリブラーのファルファンやPSV育成の大先輩MFアフェライに憧れた。
ガクポの世代はPSVの中で「1999年組」と呼ばれている。DFヨルダン・テゼ、アルマンド・オビスポ、そしてガクポは6歳の頃からずっとPSVでプレーし、トップチームに上り詰めた。
「ユースでプレーしていた時、『育成のチームからトップチームに上がることができるのは普通なら1人』とよく聞かされていた。ずっと一緒にやってきた3人が今、PSVのトップチームでプレーしている。オビ(オビスポ)と自分が一緒にDFラインを形成しているのは感慨深い」(テゼ/『フットボール・インターナショナル』誌より)
「練習では、FWの僕とDFのアルマンド(オビスポ)が頻繁に対峙した。僕はドリブルしたり仕掛けたりするのが好き。アルマンドはそれを激しく止めにきた。ピッチの上で喧嘩になることはしょっちゅうで、更衣室でも諍いが続くこともあった。それを数日引きずることもあったんだ」(ガクポ/PSV公式より)
「ピッチの上でやりやったからこそ、本当の友情が育まれたんだ」(オビスポ/PSV公式より)
U-17PSVにMFミハル・サディレク(チェコ代表。現トゥエンテ)が、リザーブチームにMFマウロ・ジュニオール(ブラジル人)、FWドンイェル・マーレン(現ドルトムント)が入団し「1999年組」はより充実した陣容になった。
「(1999年組で)一緒に優勝することが若い時からの夢。誰かが『アヤックス戦(22年1月23日)のPSVはDFライン4人のうち3人が1999年組だった』と言った。マウロ・ジュニオールも僕たちの世代なんだ」(オビスポ/『フットボール・インターナショナル』誌より)……
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中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。