「『自分が中心で引っ張っていってやる』という気持ちが、あの試合の僕からは出ていた」 京都サンガF.C.川﨑颯太インタビュー(前編)
さらなる飛躍の年だったと言っていいだろう。自身初挑戦となったJ1リーグで28試合に出場し、チームの残留に大きく貢献。パリ五輪を狙うU-21日本代表にもコンスタントに招集され始めている、川﨑颯太が過ごした2022年のことだ。だが、もちろん高いレベルに身を投じれば、それには障壁や苦悩が伴うのも常。決して一筋縄ではいかぬ1年であったこともまた間違いない。今回のインタビュー前編では、開幕からターニングポイントになった“あるゲーム”のことまでを本人に振り返ってもらった。
指揮官に見抜かれた「弱気の虫」
――オフに入って結構時間が経っていますが、今って何をしていますか?(※取材日は11月30日)
「今季は慌ただしいシーズンだったので、割と体は休めている一方で、来季に向けた契約の話をしている中、いろいろな人に相談したりとか、大学に通ったりとか、意外と忙しい日々を過ごしている感じがします」
――シーズン中はオンラインでの授業が多かったそうですが、今はキャンパスライフを味わえているんですか?
「そうですね。時間がある時はなるべく大学に行くようにしています。オンラインだったら少し楽な体勢でできますけど(笑)、隣に友達や同級生がいると一緒に学んでいる感じがあるので、1人でやるよりは頑張ろうという気持ちにはなりますね」
――もう大学3年生なんですね。
「いやあ、早いですね。あまり大学生活でまだ思い出を作れていないので、もう3年が終わってしまうのは早いなあと感じています」
――あえてざっくりとお聞きしますが、2022年シーズンはいかがでしたか?
「一言で表現するのは結構難しいですね。本当にいろいろな時期があって、まず開幕戦の浦和戦でまあまあ良いプレーができたからこそ、その次のセレッソ戦や湘南戦でJ1の凄さを思い知らされましたし、そのあとに負けなしで行った時期は『自分たちのサッカーで完全に行けるな』と思いましたし、僕も1対1では負ける気がしなかったですし、攻撃にも絡んでいける手応えを掴んでいました。その中で少しひざのケガで離脱して、あまり試合に絡めなくなってから、復帰しても結構ひざを気にしながらプレーしていたので、あまり良いプレーもできずに、うまくチームとリズムが合わなかったかなって。
ただ、U-21日本代表でイタリアとスペインの遠征に行って、世界のレベルを感じてからは、『J1でレベルが高いと言っている場合ではないな』と。そこからは余裕を持ってボールを持てるようにもなりましたし、本当にいろいろなことがあったので(笑)、まとめるのは難しいんですけど、もちろん相手にやられたこともありましたし、成長もできましたし、成功体験は多く積めた1年だったかなと思います」
――ご自身としては初めてJ1で戦うシーズンでしたが、開幕前にこういうところにチャレンジしていきたいと思っていたのはどういうところだったんですか?
「とりあえず未知の世界でしたし、シーズン前は少し弱気になっていたんです。正直『1年間ずっとは勝ち続けられないだろうな』と。いつかはやられるでしょうし、やられてからどうするか、そこから修正していく中で、どう自分たちの強みを生かしていくのかということをシーズン前に考えていました。それを曺(貴裁)さんに見抜かれていて、まあまあ呼び出しを食らって(笑)、『最初から負けるかもしれないなんて思っているような、そんな気持ちのヤツはピッチに出せない』と言われて、自分でも『そうだよな』という想いはありましたね。なので、シーズン前は『自分のプレーができればいいな』『自分のプレーが通用すればいいな』ぐらいの気持ちだったと思います」
――そういう気持ちはやっぱり見抜かれるんですね(笑)。
「見抜かれますね(笑)。シーズン前の面談で、そこまで直球ではないですけど、そういう感じのことを言ったんですよ。それで『そこまでチームを勝たせようとしてないんじゃない?』と言われて、ハッとしました」
J1初ゴールに隠されていた意外な経緯
――お話のあった開幕戦では、ホームで浦和レッズ相手に決勝ゴールをアシストされています。個人的にも良いスタートを切れたのではないですか?
「間違いなくモチベーションはメチャメチャ高くて、その中で自分たちが開始すぐから激しくボールを取りに行けましたし、自分たちのサッカーで、自分たちが主導権を握れたことが非常に大きかったですね。だからこそ、僕がああやってワンツーで抜け出してアシストできたことは、本当に自分たちが準備してきたモノを誰も疑わずに『ここで出すんだ』と思ってきたからだと感じています」
――あそこでワンツーから一番深いところまで入っていったシーンに、J1への高いモチベーションを感じました。
「その時は『これ、行けそうだな』ぐらいしか考えていないですけど、本当にアップの時から京都のサポーターも浦和のサポーターも、本当に多くの人がスタンドにいましたし、そういうJ1の高揚感も感じていたので、ああいうプレーが出たのかなと思います」
――「浦和レッズと対戦する」というところにJ1を感じたところもありましたか?
「あのゴール裏の迫力は凄いなと思いました。でも、ビビるという感じではなかったですね。気持ちが怯むようなことはなかったです」
――J1初ゴールは第8節のサガン鳥栖戦でしたが、CKからのヘディングというのはちょっと意外な形に見えました。
「あれはデザインされたCKだったんですけど、実は前日練習はあの形ではなかったんです。僕がブロックして、その後ろから(武田)将平くんが叩く形だったのが、たまたまその練習でブロックしていた自分のところにボールが来て、ゴールを決めたんです。それを見た石川(隆司)さんや曺さんが『もう颯太がターゲットでいいんじゃない?』というふうに言って、急遽変わっての当日だったんですけど、練習で決めたからこそ、試合でも決められたので、そういう嬉しさはありました。たまたまボールが来たからではなくて、172センチの僕をターゲットにして、みんなが動いてくれましたし、(福岡)慎平くんもあそこに蹴ってくれて、それで決められたのはなかなか気持ち良かったです」
――なかなかCKからヘディングでゴールすることは多くないですよね?
「今までもほとんどなかったですね。でも、意外と練習でもヘディングは当てるんですよ。だから、自分の中では意外でもなかったかなと。結構嗅覚があるんじゃないかなと、自分では勝手に思っています(笑)」
失いかけていたアグレッシブさ。人生初のレッドカード
――J1のシーズンが進んでいく中で、特に前半戦で掴んでいった手応えや浮かび上がった課題の部分は実際にいかがでしたか?
「前半戦もケガをする前と後では違いますね。ケガをする前は、浦和戦みたいに最初から流れに乗れたら良いプレーができていたんですけど、セレッソ戦で清武(弘嗣)さんにいなされたり、湘南戦で田中聡や米本(拓司)さんのような同じタイプの選手に先手を取られた時に、それから僕に主導権を引き寄せる力がなくて、そのままやられたままになってしまうことは多かったですね。自分が嫌な流れを断ち切れずに、『ああ、ダメっぽいなあ……』ぐらいの気持ちで進んでいくような。
まだJ1の経験がないということもありましたけど、自分の中でもちょっとした弱さが出たかなと思います。ケガをした後は、あまり思い切ったプレーもできなかったので、J2時代だったらガンガン飛び込んでいっていたルーズボールも、ちょっと引くようになってしまったり、変に賢くやろうという感じになってしまっていたのは、もったいなかったですね」
――夏過ぎにお話を伺った時に、「責任感を持ち過ぎて、気負ってしまって消極的になってしまった」とおっしゃっていましたね。
「そういう感じもありましたし、自分の身体が動かない中で、アグレッシブさはなくなっていたのかなと。『負けないように』とか『足を引っ張らないように』というようなプレーだったのかなと、今から振り返ると思います」
――それこそJ1の壁を感じる部分もありましたか?
「確かにレベルは高かったですけど、『これは無理だな』みたいには感じなかったかなと思います。京都自体も内容も結果もボロボロで、という試合もそこまでなかったですし、みんながよく口にするのはアウェイの(横浜F・)マリノス戦なんですけど、僕はケガをしていて、その試合はベンチ外だったので……。でも、レベルは高いですよ。アウェイの広島戦はボコボコにやられましたし、『自分たちがずっと良い調子じゃないと太刀打ちできないな』というようなイメージです。浦和戦やホームの川崎戦のように、自分たちが良い流れでできれば問題はないんですけど、『これを34試合続けなくてはいけないのか』とは思いましたね」
――今シーズンの大きな出来事だったのかなと思うのは、ルヴァンカップのプレーオフステージ第1戦で、名古屋グランパス相手に前半で退場したことです。この経験は今から振り返っていかがですか?
「大きな出来事でした。レッドカードをもらったのも人生で初めてでしたし、言い方は難しいですけど、ファウルを受けた相手のリアクションにも思うところはありましたね。J2だとあれぐらいで行っても、相手がちょっと踏ん張ってくれたりして、ノーファウルでボールが取れる場面もありましたし、いわゆるマリーシアみたいな部分も、よりJ1の選手はあるなと感じました。
その試合もたぶんあまり自分が最初から乗り切れていなくて、焦って、焦って、変な足の上げ方をしてしまいましたし、遅れて行ってのイエローカードでもあったので、そこは変わらなきゃいけないなと思いました。それ以降から自分の中では冷静になれましたね。『最初は流れが悪くても、まあ大丈夫だろう』みたいな気持ちになれたので、チームに迷惑をかけたので良い話にはしたくないですけど、1つ課題を乗り越えるきっかけになったという意味でも、大きな出来事でした」
「あの日は正直『何でオレを出さないんだ』ぐらいムカついたんです」
――僕が取材に伺ったアウェイの清水エスパルス戦(第27節・8月27日)は、後から考えると川﨑選手にとっても凄く重要な試合でしたね。
「そうなりましたね。あの試合は何の前触れもなく、急にスタメンを外されたんです。J2時代にベンチになった時も、もちろん『嫌だな』とは思いましたけど、『オレを出さないのかよ』という感情にまでなったのは、プロになってからあの試合が初めてだったと思いますね。
プロ1年目は自分の中では一番下からのスタートだと捉えていて、試合に出られないのが当たり前ぐらいだったのが、ちょっとずつ庄司(悦大)さんの代わりぐらいの立ち位置で試合に出始めて、少しずつステップアップしてきた中で、あの日は正直『何でオレを出さないんだ』ぐらいムカついたんです。残り20分ぐらいで、0-1で負けている状況で投入されて、『何が何でもオレが流れを変えてやる』ぐらいの気持ちで試合に臨めたのは大きかったですね。『自分が中心で引っ張っていってやる』という気持ちが、あの試合の僕からは出ていたと思います」
――でも、それはチームの中心でやってやるという想いが、ルーキーの時とは全然違ってハッキリと自分の中に強くあることの現れですよね。
「そうですね。しかも、J1を戦う中でそういう気持ちになれたことも大きかったと思います。たとえば去年がJ2を戦う3年目のシーズンで、リーグにも慣れた状況でそうなったわけではなくて、J1の舞台だったことと、またそろそろ順位も気になりだすような時期だったので、そういうタイミングでそう思えたのは、自分にとっても大きなことでしたね」
――投入されてすぐにシュートを放ったのが印象的でした。
「たぶんこぼれ球で、まあまあゴールまで遠い位置からの左足シュートでしたけど、いつもだったらパスを探すか、やってもワンツーくらいだったと思うんです。でも、あの時は別に周りが見えなくなっているわけではなくて、『ここはシュートだな』と瞬時に判断したことは、たぶん順当にスタメンのままだったら出せないプレーだったんじゃないかなと思いますし、ああいう思い切りの良さは、ベンチから行ったからこそではないかなと感じています」
――あの日のミックスゾーンでは「周りのメディアの方も『残留』という言葉を使い出したことで、心のどこかで怖さを感じて、ミスしないようなプレーを選択したり、後手に回るようなプレーになっていたのかなと思います」とおっしゃっていました。
「曺さんもその清水戦から『残留』という言葉を使い始めたんですよね。でも、みんなもちょっとずつは状況もわかっているじゃないですか。心の中ではわかっているけれど、メディアの前では『残留したい』とか言わないようにしていたんですよ。でも、そこで口に出すというか、残留への覚悟を見せるという意味では、その試合からスイッチが入ったのかなと思います」
――その清水戦以降は、プレーオフ決定戦までずっと川﨑選手はスタメンだったと思うんですね。あの一戦を境に、よりゲームに出たくなったような感情はありましたか?
「そういう感情に変わったと思います。前半戦も自分が足を攣って交代することが何度かありましたけど、後半戦に入ってからは足を攣っていても『代わっていられないな』という気持ちはありましたね。だいぶ早い時間から攣っている試合もあったんですけど、とりあえず頑張って戻して(笑)、『何とかしないと』という気持ちで試合に出ていました」
――結構足が攣っても、また戻せるタイプなんですか?
「『完全に攣ってはないかな』みたいな感じです(笑)。相当動けなくなったら、自分で走り方がおかしくなっていることはわかるんですけど、『まだ走れるから!』みたいな(笑)。だから、本当には攣っていないのかもしれないですね」
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!