その決断は、正しかったと言っていいだろう。主力の相次ぐ流出を強いられたサガン鳥栖は、2022シーズンの指揮を川井健太に託す。J1での監督経験を持たない若き指導者の手腕を疑問視する向きもあった中で、チームは11位という順位と、新たなスタイルの構築という確かな果実を収穫することに成功した。そうなると気になるのは、その過程で起きていた現実と理想のせめぎ合いだ。ここはそれをつぶさに観察してきた杉山文宣に、仮説と実験の日々を振り返ってもらう。
「最大の危機」に現れた新指揮官・川井健太の超攻撃的思考
今季はサガン鳥栖にとって2012年のJ1昇格後、最大の危機と目されたシーズンだった。伝統の堅守速攻からボール保持をベースとしたロジカルなスタイルへ。近年、その変革に成功していたが、その旗頭を担っていた金明輝監督が退任。また、経営面の問題から昨季に主力のほとんどが他クラブへと流出。そんな中で新たに指揮を託されたのが川井健太新監督だった。
愛媛FCでは小規模予算のクラブながら攻撃的なスタイルを構築。その手腕やサッカー観に一定の評価はあったが、2020年はJ2で21位に終わった。新型コロナウイルスによる特別措置で降格は免れたが、結果を残せず。J1での指揮は未経験ということもあり、就任に際して、不安視する声も少なくなかった。
ただ、クラブが限られた予算の中で川井健太監督を選定したことは明確な信念に基づいていた。予算規模と選手の質がおおむね、比例するサッカー界において、“持たざる者”である鳥栖は質的優位ではなく、数的優位で勝つことを推し進めてきた。鳥栖の伝統でもある運動量をベースに、選手たちが数多くの局面に顔を出す。そして、それを効率化するためにロジカルなポジショニングを展開する。この考え方は金明輝前監督も川井監督も共通している。
「愛媛時代、メッシを止めるにはどうしたらいいのかを考えた。それに対峙できるだけの質的優位を持った選手を保有できればいいんですが、そこはクラブ規模に影響される。それならば、極論で言うと誰が出ても2対1を形成できるような状況を作る。それができれば、勝つ確率は上がるはずです。そういう考えはずっと持っている」(川井監督)。ただ、川井監督が違ったのは超攻撃的思考であるという点だ。
金明輝前監督は相手の守備のやり方に応じた立ち位置を取らせ、プレスの勢いをいなすことでうまくボールを前進させる。相手を分析した上で組み立てるスタイルだった。しかし、川井監督はあくまでも自分たち主導。その違いを見るために最もわかりやすいのがGKの朴一圭だ。前体制では相手のプレスの枚数に対して、+1になる必要がある場合だけビルドアップに加わっていた。それが今季は最初からCBと同じラインに加わってビルドアップすることが増えた。
また、チームの攻撃的な思考を示すエピソードがある。3バックで両サイドの後方を受け持つポジションは一般的にはウイングバックと呼ばれるが、鳥栖では昨季、ウイングハーフと呼ばれていた。「バック」という言葉から後ろ向きのイメージが付くことを嫌ったためだったが、今季、同ポジションはウイングと呼ばれた。[3-4-2-1」の2、インサイドハーフの2人がボール保持時にはボランチ化し、サイドの2人は高い位置を取る。実際に求められる役割がウイングだったこともあるが、「ハーフ」という部分さえも取り除かれたことからも、その攻撃的思考がうかがえる。
ビルドアップの手数を減らす仕掛け
流れを汲んでいたからこそ、チームはゼロからのスタートではなく、開幕から高い完成度を披露する。開幕からリーグ戦7試合無敗のスタートを切るが、内訳は2勝5分。第7節北海道コンサドーレ札幌戦で5得点を記録するも、それ以外の6試合では3試合が1点止まりで残り3試合が無得点。「試合内容と得点の数がリンクしていない」(岩崎悠人)状況だった。……
Profile
杉山 文宣
福岡県生まれ。大学卒業後、フリーランスとしての活動を開始。2008年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフ千葉、ジュビロ磐田、栃木SC、横浜FC、アビスパ福岡の担当を歴任し、現在はサガン鳥栖とV・ファーレン長崎を担当。Jリーグを中心に取材活動を行っている。