私が「マイェル沼」にハマった理由。多くの人に知ってほしい「推し」の尊さ
12月12日発売の『footballista1月号』では、大会直前に収録したロブロ・マイェルのインタビューが収録されている。聞き手は、カタールW杯で3位に輝いたクロアチア代表の“詳細過ぎるレポート”で活躍してくれた長束恭行氏だ。様々な偶然が重なり、次世代スターと知り合うことになった彼は、すっかり「マイェル沼」にハマってしまったらしい。W杯レポートの番外編として、「推し」を追い続けるW杯の楽しさを伝えてもらおう。
あっ、これが「推し」というものか?
私はサッカージャーナリストの肩書きをすっかり忘れ、カタールW杯では1人の選手に思いを託していた。
24歳のクロアチア代表MF、ロブロ・マイェル。
前大会ではイバン・ラキティッチが背負った「7」を受け継ぐレフティMFだが、今では「ルカ・モドリッチの後継者」と期待を寄せられる逸材だ。モドリッチ、マルセロ・ブロゾビッチ、マテオ・コバチッチの「黄金の中盤」に割って入るのは難しいが、W杯開幕前は右ウイングのレギュラー候補に挙げられていた。代表チームでは実際にそのポジションをこなしていたし、所属先のレンヌでも中央から右に流れてのチャンスメイクを得意とする。シュートセンスもピカイチだ。私も各誌の予想スタメンに自信を持ってマイェルの名前を書き込んでいた。
ところが、ズラトコ・ダリッチ監督はそのオプションを本大会であっさりと捨ててしまった。途中交代でマイェルは毎試合出てきたものの、指揮官の交代策はいつも遅く、彼自身も限られた時間ではインパクトを残せずにいた。日本とクロアチアがラウンド16で戦うことになり、クロアチアサッカー通として私がテレビ出演した際も「延長戦で推しのマイェルがゴールを決めて1-0でクロアチアが勝つ」とフリップに書いて予想したほどだ(無論、放送ではすべてカット)。
「ダリッチ! いつになったらマイェルをスタメンで出すんだ?」
準決勝までクロアチアが勝ち続けているうちに『footballista Issue 094』の発売日、12月12日を迎えた。その号には私が担当した、5ページぶち抜きのマイェル独占インタビューが掲載される。これでは企画倒れになってしまうじゃないか! 私のマイェル、僕のマイェル、俺のマイェル。「推し」を推し過ぎるあまり、とうとう自分が「マイェル沼」にハマっていることに気づいてしまった……。
出会いはオルモのインタビューの直後、隣のテーブルで…
冒頭からポエム調になってしまって申し訳ない。それほどまで私がマイェルに思いを寄せるのには理由があるのだ。「推し」との関係を少し語らせてほしい。いや、きっと少しじゃ済まないかもしれない(苦笑)。
「私たちに見えていないものが彼には見える。ようやく私たちにそれが見えるのは彼がパスを出してからだ」――マイェルを指導したコーチは口を揃えて、数手先を読む彼のプレービジョンを絶賛する。ロコモティーバで2年連続クロアチアリーグ最優秀若手選手に選ばれたマイェルが、鳴り物入りでディナモ・ザグレブに入団したのが2018年夏。ただし、1年目はケガも重なり、出場機会は限られていた。
2019年春、クロアチア取材で5年ぶりに現地に渡った私は、ディナモの試合で噂のマイェルにもカメラのファインダーを向けた。その時はプレー中にいつも髪型を気にしている「今どきの若者」というイメージしか抱いていなかった。もちろん、ボールを持たせれば華麗なテクニックを披露するし、プレーの節々に光るものは見せる。しかし、現代サッカーで消滅しつつあるファンタジスタの香りが強く、アレン・ハリロビッチやアンテ・チョリッチら「消えていったスター候補生」と姿をダブらせていた。
2年目になってもマイェルはネナド・ビエリツァ監督(当時)に冷遇され、スターダムへと伸し上がるダニ・オルモとポジションがかぶったために苦しい立場に立たされた。
そんなマイェルと知り合ったのは、年内2度目の渡航となる2019年11月24日のことだ。ディナモのクラブハウスを訪れ、某誌向けにオルモの独占インタビューを敢行。オルモはスペインA代表でデビューして初ゴールを決めたばかり。東京五輪のスペイン代表候補であり、バルサ時代にはカンテラで久保建英と親交を結んだだけに日本のメディア的にもテーマは尽きない。しかし、クラブ広報から与えられた時間は10分ほど。インタビューと写真撮影を無事に終えてホッとしていたら、隣のテーブルでコーヒーを飲む男性4人が私に声をかけてきた。
その中の1人がマイェルだった。彼らのテーブルに移動し、自己紹介がてら定番のジョークを飛ばしてゲラゲラ笑い合っていると広報が飛んできて、「いつまでお前はここにいるんだ!」と私を叱りつける。すると、マイェルは「僕が彼を呼んだんだ!」と広報を追い返した。しばらく雑談を続けていたら「気に入ったよ! 試合で着たユニフォームを君にプレゼントしたいので、ちょっと待ってて」とドレッシングルームに駆け込み、「MAJER」の名前と「10」の背番号が入ったディナモのアウェイ用ユニフォームを手にして戻ってきた。私は感激した。
その2日後、彼と再会した場所はミラノのサンシーロ。CL第5節「アタランタ対ディナモ」ではベンチ外となり、同じくベンチに入れなかった遠征メンバーと練習見学する彼の姿を見つけて挨拶に行く。あちらも「おっ!」と破顔した。しかし、「こんな大舞台でチャンスが得られないとは気の毒だ」という同情の方が私の胸にチクリと刺さった。
「この子はマイェル?」国内外で話題になった“奇跡の写真”
帰国してまもなく、私は新たにInstagramを始め、20年近く撮り溜めた写真を少しずつ公開することにした。翌年夏にInstagramで何か載せようとアーカイブを探っていたら一連の写真に目が留まる。2008年5月7日に撮影したクロアチアカップ決勝第1戦「ディナモ対ハイデュク・スプリト」。選手入場時にディナモの主将、モドリッチと手を繋いでいるエスコートキッズの顔には見覚えがある……もしかしたらこの子はマイェルじゃないのか?……
Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。