ここまで6試合ノーゴール。しかし大会最多タイの3アシストを記録し、何よりその「チームのため」の献身的な守備が光る。フランスを2大会連続のW杯決勝に導いた“陰の立役者”であり、チームメイトも現代表の「イメージそのもの」と称賛する31歳、アントワーヌ・グリーズマン。その決して平らな道ではなかった代表キャリアを振り返る。
14歳の時にはフランスのプロクラブから見向きもされなかった少年が、17年後、フランス代表の大黒柱として、チームをW杯2連覇に導こうとしている。レ・ブルーの「7番」を背負う司令塔、アントワーヌ・グリーズマンだ。
ワインの産地で有名なブルゴーニュ地方のマコンで生まれたグリーズマンは、地元のアマチュアクラブでプレフォルマシオン(13~15歳の前期育成)を終えた後、プロクラブのアカデミーに入所すべくトライアルに臨んだ。しかし「体が小さい」ことを理由に、どのクラブも彼には興味を示さなかった。
ところが、失意の中で出場していたユースのトーナメントで、一人のスカウトマンが彼の素質に目をつけた。渡された名刺には「レアル・ソシエダに1週間トライアルにいらっしゃい」と書かれていた。
トライアルの結果は合格。しかし14歳で親元を離れて一人でいきなり外国暮らしをするというのはあまりに大変だろうと、最初の1年間はスペインとの国境に近い町バイヨンヌに住み、グリーズマンをスカウトしたリクルーター、エリック・オラッツがコーチングスタッフを務めていたローカルクラブで育成を受けることになった。
そしてそのクラブ、アビロン・バイヨネこそ、現フランス代表監督ディディエ・デシャンの出生クラブだ。のちに指揮官と司令塔という関係になる2人の縁は、すでに17年前のこの時、交錯していたのだった。
“若気の至り”な黒歴史
それからおよそ9年後、23歳の誕生日を迎える数週間前に、グリーズマンはデシャン監督から初めてA代表に招集された。そして2014年3月に行われたオランダとのフレンドリーマッチに先発起用され、輝かしい代表キャリアの一歩を踏み出した。
そのちょうど1年前には、ポール・ポグバとラファエル・バランがW杯予選のジョージア戦でデビューしていた。彼ら3人を新世代のレ・ブルーの中核メンバーとして育てるというのが、デシャン監督のプランだった。
2歳下のポグバとバランからひと足遅れ、しかも23歳でA代表デビューというのは、近年のサッカー事情としては少し遅い気もするが、グリーズマンにはとある“若気の至り”な黒歴史があった。
当時U-21代表のメンバーだった彼は、2013年のU-21欧州選手権出場が懸かった予選のプレーオフ真っ最中に、チームメイト5人とタクシーでパリのナイトクラブに繰り出すというやんちゃな行動をしでかしたのだ。さらに夜遊びのツケか、その後の試合でノルウェーに5-3で敗れて予選突破を逃すという大失態をさらすと、フランスサッカー連盟は、首謀者のヤン・エムビラは2014年6月まで、グリーズマンら残りの4人は2013年いっぱい、あらゆる代表の試合に出場させないという謹慎処分を下したのだった。
デシャン監督は、その謹慎期間が解けるのを待っていたかのように、さっそく2014年の最初の代表ウィークでグリーズマンを招集した。その時、彼はこうコメントしている。……
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。