吉田麻也「地球8周分」移動の裏にあるサッカーエコシステムの中央集権問題
6月7日、吉田麻也が出席したFIFPRO( 国際プロサッカー選手会)主催のオンライン記者会見で衝撃の事実が明かされた。調査によると、この日本代表主将はロシアW杯以降の4年間で国際Aマッチに出場するため、地球8周分に相当する約31万8000km もの長距離移動を強いられていたという。「このままいくと、いつ体が壊れてもおかしくない」――吉田の口から発せられた悲痛な声の背景にあるサッカーエコシステムの問題点と、その解決策とは?同会見を手引きしたFIFPROアジア支部代表の山崎卓也氏が解説する。(取材日:2022年6月27日)
※『フットボリスタ第92号』より掲載。
長距離移動は選手だけの問題ではない
── 6月の国際Aマッチ期間中、日本代表・吉田麻也選手のオンライン取材対応を主催していただきました。「4年間で地球8周分」という壮絶な移動距離が明示され、アジアで戦う欧州組の現実を突きつけられましたし、非常に意義のある問題提起だと感じました。そもそもあの企画は、どのような経緯で実現したのでしょうか。
「初めに背景を説明しますと、この前FIFAがW杯を2年に1回の隔年開催に変える構想がありましたよね。その時にFIFPROとしては選手の意見を聞こうと思い、各国のキャプテンを中心とする代表選手に男子女子含めてアンケートを取りました。例えば3年ならどうか、国際Aマッチウィークを長くする代わりに回数を少なくしたらどうか、連戦はどれくらいならいけるかなど、いくつかのシミュレーションをしたんですね。その中で出てきた問題点や、実際の選手の移動や試合スケジュールなど客観的なデータをまとめて、それをもとにFIFPROとして、2022年5月に『ワークロードレポート』として発表しました。そのことをアジアのみなさんにもお伝えすべく行われたのが、今回のオンライン記者説明会の趣旨です」
── そこで日本からは吉田選手が登場したわけですね。
「地域ごとに記者説明会をすることになり、アジアはどういう形でやろうかと考えていた中、かねてからW杯隔年開催構想のことも含めていろいろと意見交換をしていた日本代表のキャプテンである吉田選手に相談したところ、趣旨を理解し引き受けてくれたという経緯です」
──近年の日程過密化は世界共通の問題だと思います。ただ移動距離に関しては、欧州でプレーするアジア国籍の選手に顕著だとあらためて認識しました。
「アジアの選手はやはりどうしても移動距離、移動時間が長くなりますね。例えばトッテナムのソン・フンミン選手は、同じチームの同じポジションであるハリー・ケイン選手との移動距離の差が露骨にあるわけです。また、W杯アジア2次予選の試合数も増えています。これは主に放映権料に依存するビジネスモデルが、試合数を増やす形での大会のフォーマットの変更を促しているという事情に基づいています。環境面にも問題はあり、ある日本代表選手はミャンマーでの試合の後、『ああいうグラウンドでプレーしたのは高校生以来だ』と話していました」
──僕もミャンマーに行きましたが、練習場のピッチはスコールで泥だらけでした。
「仮に放映権料が重要であるとしても、ファンが真に求めることと選手の負担というバランスの中で、そういうマッチメイクが本当に最適なものなのかがもっと議論される必要があります。どうしても大会主催者が目先の放映権料に魅力を感じて、試合数を増やし続けてしまう性質はあり、それが極限にまで達しているというのが今の状況です」
──W杯アジア予選を主催しているAFC(アジアサッカー連盟)からすると、そうした国々のファンの「日本のような強豪国の試合を見たい」という需要を満たすという思惑もあると思います。また放映権料の高騰もサッカーファンの「多くの試合を見たい」という需要の結果ですよね。ただ、そのことが日程や移動の厳しさに繋がっている側面もあると。今回はサッカーファンにそうした議論を理解していただけたらという想いもあるのですが、そうした危機感は現場に広く共有されているんでしょうか。
「まさにそこが本質的に議論されなければならないポイントですよね。この問題を例えば単純に『試合数を増やすな』という選手のクレームだと捉えると、本質から外れた議論になってしまいます。選手はもちろんファンに喜んでもらうことが大事なので、試合をやりたいということがまずベースにあります。ですから、ここで考えなきゃいけないのは、どういう興行のあり方、どういう試合のあり方にすれば量と質のバランスを最も保てるかということです。確かに量を増やせばファンエンゲージメントという形では効果のある方法かもしれませんが、一つひとつの試合の質を高めるのも考えられるべきテーマですよね。例えばアメリカンフットボールのNFL(ナショナルフットボールリーグ)は、1チーム年間17 試合しか行いませんが、あれだけの人気スポーツで、選手の収入も桁違いです。インドのIPL(インディアンプレミアリーグ)というクリケットのリーグもわずか2カ月くらいの期間ですが、物凄い収入を挙げています。
これに対してサッカーは非常にグローバルなスポーツとして、世界中で年間通じて行われる形で機能してしまっている。またFIFAという中央でコントロールをする団体があり、そこから各大陸連盟に委ねて興行している構造です。そうするとIOC(国際オリンピック委員会)が典型ですけど、収入の90%がスポンサー料と放映権料のようなことになり、向き合う相手が変わってくるんです。スタジアムに来る個々のファンよりも大きな企業を主要な顧客と見てしまう。実際に東京オリンピックは無観客でも成り立ちました。すると大会主催者は、スポンサー料、放映権料を出してくれる人ばかりに向き合い、個々のファンとは向き合わないようになってしまいます」
──確かにW杯でもそうした構造は見えてきます。
「実はアジアでも同じことが起きていて、私もACL(AFCチャンピオンズリーグ)のタイでの試合に行きましたが、日曜日の夜9時キックオフという試合があって、そういう試合に観客はほとんどいないんですよね。それでも放映権料は入るから試合はやる。そういうところに選手が様々な負担を負いながら行ってプレーして、果たしてどれくらいやりがいを感じるかという話です。もちろんそれで放映権料が入り、給料の原資に繋がることもありますが、主催のAFCが直接選手に給料を払うわけではありませんから、ほとんどのお金は選手以外のところに消えていくわけですよね。その資金が素晴らしいエコシステムを生んで、サッカー界の未来の役に立っていることが見えるのであればともかく、AFC はそれをどういうふうに使っているかを公開していませんので、果たしてこれは本当に持続可能な形なのか、質と量のバランスが取られているのかを選手が疑問に思うのは当然のことです」
欧州スーパーリーグと重なるW杯隔年開催
──選手にとっても過密日程や長距離移動でクオリティを下げたくないでしょうし、ファンにとっても試合数よりクオリティを上げてほしいという願いはあると思います。サッカーにはホーム&アウェイという地域的な価値観もあるので、ジレンマは起こり得るでしょうが、今の方向に進み続ける危険性は認識できます。
「またこの問題点の理解のためにはもう1 つ重要な背景を理解する必要があります。FIFAのW杯隔年開催を実現する場合、誰の投票を得れば実現するかわかりますか」
──各国協会ですかね。
「その通りです。各国の協会は、世界に今211あるのですが、そのほとんどがサッカー小国です。その中で『W 杯が2 年に1 回行われれば、これだけお金が入ってきます。そのおかげで例えばこんな新しい施設を建てられます』という話をしたら、そうした協会は、いい話だということで賛成したりするわけです。それによって大きな負担を負うことになる選手やクラブ(リーグ)に投票権はなく、逆にプロサッカーリーグのない小さな“A協会”が1票を持っていたりする。“A協会”の人にとって、そうした選手の負担が他人事であれば、自分のところにお金が入ってくる提案に反対する理由はないことになります。そうした一部のステークホルダーだけを相手にすればいい構造のガバナンスを背景に、FIFA はW杯隔年開催を提案したわけですが、結局は、UEFAやFIFPRO、ワールドリーグフォーラム(5 大陸から計40 以上のリーグが加盟している国際的なプロリーグの代表組織)の反対を受けて潰れました。この動きって何かに似ていると思いませんか」
── 欧州スーパーリーグ構想ですね。
「そうです。おそらくレアル・マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長からすれば、予想していなかったレベルの反発をファンから受けた。コロナ禍の状況から放映権収入の危機ということが頭にあったペレス会長と、ファンが求めているものが違ったということです。つまり放映権や大きなお金ばかりを見ているビッグクラブに対してファンも嫌気が差していて、自分たちの手からどんどんフットボールが離れていっていると感じているのです。放映権料を支払う大きな企業やファンドの投機的な提案に伴うこうした動きは、ファンを巻き込まない形で、つまり一部のステークホルダーだけで意思決定されており、それに嫌気が差した結果が欧州スーパーリーグへの反発であり、W杯隔年開催への反発だと思います。
実際のところ、そうしたファンの肌感覚を理解している選手も多いのが現状です。選手もファンが本当に喜んでくれるんだったら多少厳しい日程や長距離移動も考えるけれども、実際ACLないしW杯アジア2次予選でアジアの国々に行っても、観客も入っておらず、環境的にもクオリティを上げようとする努力も見られない中で試合が行われる現実に触れると、『果たしてこれは本当にファンが求めていることなのだろうか』と思うのは自然なことです。極端に言えば、放映権料は試合さえやれば入ってくるので、それ以上に観客を増やしたり、試合会場のクオリティを上げるインセンティブは働かないわけです。それだと選手が、酷暑や過密日程、長距離移動など自分たちが払っている壮大な努力に対して、ファンの満足というゴールに向けた大会主催者側からの努力が見合ってないと思うのは当然です」
──とてもわかりやすいです。ちなみにW杯の隔年化は「小国でもW杯に出られる可能性が高まる」という“間口を広げる”改革ですけど、欧州スーパーリーグは「ビッグクラブに限定する」という“間口を狭める”改革ですよね。矛盾した両者の動きはどう解釈すればいいのでしょう。
「ここには先ほどお話ししたガバナンスの問題と、クラブフットボールと代表フットボールの対立という問題があります。そもそも選手の給料はクラブから出ているわけで、FIFAや大陸連盟のような代表フットボールの大会主催者は給料を払うというリスクを負っていません。にもかかわらず、FIFA は世界のサッカーの統括団体として、時にあたかも『中立』な政府や国際連合のように振る舞っている。ところが実際は、自らも大会を主催して儲けているわけであり、FIFAは自分が主催する代表の試合数が増えれば増えるほど潤って、クラブはそれだけ割を食う構造にあるわけですから、それぞれは選手に試合をさせるという収入源を奪い合うライバルという構造なんです。
さらに対立を深める要因となっているのは、FIFAはクラブW杯を改革しようとしていて、クラブフットボールの利権も増やそうとしている点です。UEFAはCLというクラブフットボール最大の利権を持っているので、その点ではFIFAとUEFAの対立もあります。ただ、ちょっと待てと。そもそもなぜ給料を払っているわけでもないFIFAやUEFAが決めるのかと。本来は給料を払い、もらう労使の当事者であるクラブ(リーグ)と選手との間で決めることなんじゃないかと。選手契約は選手とクラブの間に存在していて、FIFAやUEFAと結んでいるわけではありません。なので今、FIFPROはクラブ・リーグの利益を代表するワールドリーグフォーラムと、これからこういうことは原則に立ち返って、クラブ(リーグ)と選手、つまり労使の直接の当事者の話し合いで決めていこうという話をしています。例えばプレミアリーグのクラブに所属する選手が年間どれぐらいの代表の試合に出て、CLに出てというのを決めるのを、先ほどで言う小さな“A協会”とか、それらの票を集めるFIFAが決めるのは本質的に利益相反がありますよねという話です」
──FIFAのW杯拡大化、UEFAのCL拡大化、強豪クラブの欧州スーパーリーグ化の構造がクリアになった気がします。
「今のガバナンスの構造だと一部のステークホルダー、FIFA でいえば、究極的には211の各国協会の支持さえ取っておけば何でもできるという感覚になるわけです。またその中ではお金を渡せばそうした支持は得られるだろうという感覚もあるわけです。ファンが求めるものの肌感覚とは離れたところで、商業スポーツとしてのサッカーが肥大化し、来るところまで来てしまったという状況だと思います。なぜこうしたことが起きるかというと、やはりガバナンスが選手とクラブ中心になっていないからなんです。プロサッカーリーグもなく、サッカーの労使関係の知識に乏しい国の“A協会”には投票権があって、ひょっとしたらそうした協会が十分な情報もスキルもなく投じた1票に全世界のステークホルダーが応じなければならないというガバナンスはおかしいですよね。それを変えなきゃいけないというのが大きな1つの柱です。……
Profile
竹内 達也
元地方紙のゲキサカ記者。大分県豊後高田市出身。主に日本代表、Jリーグ、育成年代の大会を取材しています。関心分野はVARを中心とした競技規則と日向坂46。欧州サッカーではFulham FC推し。かつて書いていた仏教アイドルについての記事を超えられるようなインパクトのある成果を出すべく精進いたします。『2050年W杯 日本代表優勝プラン』編集。Twitter:@thetheteatea