JFLからJ1優勝まで駆け上がった信念の人。横浜F・マリノス 小池龍太インタビュー
2022年のJ1ベストイレブンに横浜F・マリノスの小池龍太が選出された。高校を卒業して、最初に加入した当時JFL所属のレノファ山口FCでアマチュア契約からスタートしたキャリアには、今や日本代表選手という肩書に加えて、J1優勝という栄冠まで書き加えられている。大きな夢を不断の努力で掴んできた男にとって、さらなる飛躍の年となった2022年シーズンはどういう1年だったのだろうか。
J1優勝が決まった瞬間に湧き上がった2つの感情
――率直にJ1優勝、いかがですか?
「言葉では言い表せないぐらい嬉しいですし、想像できないものを経験させてくれるような、この経験や感情というのは実際に優勝してみないとわからない、知る人ぞ知る体験という感じですね」
――優勝が決まったタイムアップの瞬間はどういうことを考えましたか?
「すぐに『よし!』という部分も実際にありましたけど、僕の中では嬉しさと“苦味”みたいな感情が2つありました。素直に嬉しいんですけど、自分たちがホームで優勝できる可能性があったところを逃してしまいましたし、みんなが喜んでいるあの姿をホイッスルが鳴った後に見て、この5倍や6倍ぐらいのサポーターの皆さんと一緒に喜びたかったなという気持ちが本当に強くて、それが少し苦味となったというか、自分の中で爆発的に来る喜びではなかったかなと思いますね」
――でも、あの瞬間にそれを考えられるということは、本当にF・マリノス愛が強いんですね。
「はい。僕はそういう気持ちでいますし、それこそ優勝したこと自体はとても嬉しいですけど、その優勝が決まった瞬間にも、未知の領域である“連覇”への挑戦権を得られたなと思いましたし、そこに早くトライしていきたいと同時に感じました」
――ラストプレーになったシュートでゴールを決めていたらメチャメチャカッコよかったですね(笑)
「そうですね。もう力が入らなかったです(笑)。時間もなかったですし、最初は『ファーに打とうかな』と思ったんですけど、2点差があったのでリスクが少ないとはいえ、カウンターのことを考えると、やっぱり相手に触られないような、ゴールの枠から外れるかもしれないニアの方が、その後の確率として自分たちが不利にならないかなと思って、ああいう形になってしまいました」
――喜田(拓也)選手がシャーレを掲げた時の感覚はどんなものだったんですか?
「もちろん彼の頑張りとか人間性を知っていれば嬉しくないわけはないですし、彼自身を日本一にしたいとか、最高のキャプテンにしたいというのは常日頃みんなが考えていて、サポーターもそう思っているはずですけど、彼の人間性や彼が持っているF・マリノスへの想いというのを噛み締めることもできて、僕にとってもF・マリノスに来てから最高の思い出になりましたし、最高の瞬間だったと思います」
足の状態は『次の日の練習、できるかな……』ぐらいのレベルだった
――2022年シーズンを通じたご自身のパフォーマンスはいかがでしたか?
「全然良くなかったかなと思っています。序盤は自分も納得の行くプレーが多かったですけど、やっぱり5年ぶりのケガをしてから、なかなか自分の身体というところで満足な状態に持っていくことが難しかったですし、その中でもやり続けなければいけないことややるべきことはやりましたけど、自分がもっと良い状態でいられることができれば、より勝ち点を獲れたり、自分自身も点を獲れたりと、その数字をもっと伸ばせたんじゃないかという自信はありましたし、圧倒的に優勝を決められるような年にできたのではと感じているので、そこはこれからもっと成長できる部分を与えてもらったのかなと捉えています」
――終盤戦はかなり足が厳しい状態だったみたいですね。
「そうですね。かなり厳しかったですし、『次の日の練習、できるかな……』ぐらいのレベルだったので、本当にその日の練習を乗り越えることに必死で、翌日のトレーニングのことすらも心配になりましたし、もちろん次の試合のことなんて考えられないぐらい、その日の準備やケアに集中しなければ、試合に出ることはできなかったんです。そういう状況は経験したことがなかったので、凄く特別な時間でしたし、だからこそ良い状態でサッカーをし続けることが大事なんだなと、改めて思いました」
――それが優勝という形で報われて本当に良かったですね。
「はい。『優勝できなかったら僕のせいだな』と思っていましたし、このチームはそれぐらいの気持ちを持ってみんなが試合に出ているんです。だから、結果を出すことで試合に出られなかった選手や一緒に戦っているメンバーを納得させるというか、そこで認めてもらえたり、一緒に戦ってもらえるというのは、僕自身も出られなかった時に感じていたことなので、最高の仲間と戦えて本当に良かったです」
ベルギーで知った“数字”を出すことの大切さ
――今シーズンは右サイドバックはもちろん、左サイドバックで出る試合も去年より増えましたし、とうとうボランチでスタメン出場する試合もあって、ポリバレントさが際立ちましたね。
「監督が信頼してくれたところが一番大きな要因かなと。どこのポジションでも自分のスタイルを出し続けることは、練習でもずっと見せられていたと感じていますし、監督が僕に要求することが、今年は自分の考えることとよりマッチしていましたし、僕がその期待に応えられたからこそ、思い切った采配もしてくれたんじゃないかなと思います」
――とはいえ、さすがにボランチ起用は意外だったんじゃないですか?(笑)
「さすがに『自分にできるのか?』とは思いましたね(笑)。でも、意外とやってみると面白いもので、『1試合ぐらいならできるかな』と思うんですけど、これを毎試合やっているボランチが本職の選手とは重圧が違いますし、改めて『ボランチの選手って凄いな』と感じた試合でした」
――そのボランチとして出た清水戦(3節)で、シーズン初ゴールを決めてしまうという。
「そうなんです。かなり自分でもビックリするようなゴールでしたしね。まさか自分が左足でゴールを決められるなんて、僕も知らなかったので(笑)、『アレを決められるんだったら、最終戦のあのシュートも決められるだろう』という話ですけど(笑)、ここも今シーズンのF・マリノスが優勝できた1つの要因だったんじゃないかなって。厳しい序盤戦の中で、あのゴールでかなりチームを勢い付けられましたし、自信や良い風をF・マリノスに持ってこられたかなと思うので、そこの部分は僕自身もあのゴールを評価したいです」
――F・マリノスに加入してからは毎年ゴールを決められていて、レイソル時代にあれだけ決められなかったのがウソみたいですね。
「あれは何だったんですかね(笑)。でも、僕自身がゴールを獲ることによって、呪縛から解き放たれたのかなと。1点獲ってからはリラックスした状態になったというか、それは凄く大きいかなと思います。あとはベルギーに行って、数字の大切さをかなり思い知らされましたし、それによって評価が上がることを身に染みて感じたんです。チームメイトからの信頼、ファン・サポーターからの応援の熱量や、それこそ僕の評価もチームの評価も、自分がもっとゴールを求めることによって上げられるということを海外で知れたのは大きかったですね。
現に昨年もゴールを多く獲ることによって、Jリーグの優秀選手にもなれましたし、今年も同じように結果を出し続けたからこそ、優秀選手に選んでもらえることを勝ち得たと思っています。ゴールを決められるようになると、やはり来年以降も『ゴールを獲れる選手』と認識してもらえるという重圧はあるんですけど、そこが自分の強みになるように、唯一無二のサイドバックになれるように頑張っていきたいです」
――二桁ゴール、期待しています(笑)
「チャンスで全部獲れれば二桁は行っていたので、このチームであれば可能性はあると思います(笑)」
このクラブをどれだけ大きく、価値のあるクラブにできるか
――7月には念願の日本代表初招集がありました。中国戦で代表デビューも飾りましたが、あれはどういう経験になりましたか?
「優勝と一緒で、代表も入ってみなければわからないですし、試合に出てみないとわからないですし、あの時の感情というのは特別なものでした。代表に選ばれたことに対しては、自分が嬉しいというよりは、やっぱり家族や応援して下さる方、お世話になった方が喜んでくれているのを感じて、『幸せだな』と思いましたし、自分が今まで目指してきた場所で、目指してきたユニフォームを着て試合に出られたことは、『頑張ってきて良かったな』という想いを嚙み締めることのできた瞬間でした」
――それこそ高校を出て、レノファ山口FCでキャリアをスタートさせた時はアマチュア契約だったわけじゃないですか。そこから日本代表に選ばれて、J1で優勝するという“世界線”って実際にいかがですか?
「冗談で『オマエみたいなヤツがいるから、サッカーを諦められないヤツが出てくるんだ』と言われたりするんですけど(笑)、それこそ僕を見ることで諦めないでやってほしいですし、近年では僕みたいな状況は作りやすくなったんじゃないかなと。僕がJFLにいた時は、誰もこんなストーリーを想像できなかったですし、下のカテゴリーから引き抜かれることも多くなくて、上のレベルでやるにはチームが昇格しないと難しかったですけど、今ではJ1のチームがJ2やJ3の選手を獲ることが当たり前になってきています。その道を切り拓いたのは僕でもあると思っているので、その価値はもっと引き上げたいですし、僕がそういうストーリーを新たに加えていくことによって、そこに挑む人を増やしていきたいですね」
――レノファサポーターも小池選手がどんどん上のレベルに駆け上がっていくことを喜んでいるんじゃないかなって。
「そうですね。今でもずっとメッセージを下さる方もいますし、僕のことを本当に応援して下さるサポーターの方が多いので、彼らの分も頑張らなければいけない気持ちはもちろんあります。僕自身がJ1に居続けることによって、J1で山口と戦える日が来ることを本当に楽しみにしていますし、いつになるかはわからないですけど、彼らの力になれる日がまた得られたなら、それは幸せなことだと思います」
――レイソルサポーターの方々も、今は同じカテゴリーで戦っている相手とはいえ、小池選手の活躍を喜んでいると思います。
「はい。僕自身が一歩ずつですけど、毎日積み上げてきたものが、1人でも多くの方々の応援に繋がっていると実際に感じてきましたし、これを積み上げていくことは本当に難しいことで、その大事さを教えてくれたのも山口のサポーターであり、柏レイソルのサポーターであり、そこで一緒にプレーした選手たちなので、僕が適当なプレーをしてしまうのは簡単ですけど、しっかり毎日を過ごしていくことが、これから先の道をさらに切り拓くのかなと思います」
――JFLからキャリアをスタートさせたことを考えれば、かなりいろいろなものを手に入れてしまったとは思いますが、さらにここからご自身が成し遂げていきたい夢や目標はどうなっていくでしょうか?
「自分が叶えたかった夢は、正直ほとんど叶えたなと思っています。想像してきたものより、遥かに大きなものも得られてきたと感じています。何かの目標を設定する時に、自分の中でこれだと明確化しやすいものは達成してきましたけど、何が成功なのかがわからないことで言えば、今はF・マリノスというクラブをどれだけ大きな、価値のあるクラブにできるか、そこが今の自分の中で一番の目標になっているんです。
これはどうなったら成功なのかはまだ見えていないですけど、今回タイトルを獲ったように結果を残していくことによって、それが成し遂げられていくのかなとは考えていますし、今F・マリノスにいる選手たちが、サッカーが上手いだけではなくて、人間としての価値も十分にある人が揃っているということも、このクラブの価値をより大きくしていると思うので、そういった選手たちとともに成長したいですし、そのみんなを僕が引っ張っていけるような存在になることが、今の大きな目標ですね」
Photos: (C) DAZN, Getty Images
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!