ケルンを「ブンデスリーガの中で一番日本から近いクラブ」に――ブンデスの舞台で奮闘する日本人スタッフ、笹原丈がたぐり寄せた≪運≫と≪タイミング≫【インタビュー前編】
ブンデスリーガ1部の1.FCケルンはかつて奥寺康彦がクラブ史に残る活躍を見せ、その後も槙野智章、長澤和輝、大迫勇也がユニフォームに袖を通しているクラブだ。近年は2部降格を経験し1年での昇格後も残留争いが定位置だったが、2021-22に就任したシュテファン・バウムガルト監督が積極的でインテンシティの高いサッカーをチームに植え付け、7位でフィニッシュ。2021-22はUEFAカンファレンスリーグへ出場中だ。
そんなケルンに現在、クラブの国際マーケットを広げるための人材として日本人スタッフが在籍しているのをご存じだろうか。笹原丈、28歳。トップチームに所属している日本人選手はいない中、なぜクラブは日本人スタッフを必要としているのだろうか。どんな戦略がそこにはあるのだろうか。そもそも、笹原はどんな経歴でケルンへとたどり着いたのだろうか――ドイツ在住の中野吉之伴氏が、本人を直撃。インタビューを前後半に分けてお届けする前編。
高卒→現地での社会人経験を経てケルンへ
――笹原さん、こんにちは。本日はよろしくお願いします。まず、なぜケルンが日本人スタッフを?というところから聞きたいのですが?
「自分はケルンにはかれこれ5、6年ぐらいいまして、やっぱりこの街のクラブなんでケルンはずっと応援していて、一番好きなクラブの1つでした。
当時僕が働かせてもらっていた会社が、今もそうなんですけどケルンのパートナー会社の1つで。社長さんとよく知っている方がクラブの中にいたりするという繋がりがありました。
もともとケルンは、これはもう秘密でも何でもないですけど、3年ぐらい前まで目標としてのマーケットを中国に置いていたんです。ただ、それがあんまりうまくいかず、その次のマーケットとして日本をという流れになりました。そこで日本人フロントスタッフを探していた時に、お話をいただいて。
自分はドイツに来た頃からブンデスリーガで働くのが夢で、特にフロントで働くという夢を抱いていたので、紹介していただいた時に絶対やりたい!という思いがありました」
――何人か候補者がいた中で、笹原さんが選ばれたということですよね?これが決め手になったみたいなことって何かありましたか?
「そういった話は今のところ聞いていません。実は僕、学歴がそんなにないんです。高卒でこっちに来て、ドイツでも大学へ行っていなくて。やっぱり、ブンデスリーガのクラブで働いている人たちはエリート層が多くて、ケルンだったらケルンのスポーツ大学を卒業して働いている人が多い中で、高卒の自分を取ってもらえた。自分の中では、その前の5年間働いていた職場での経験を買っていただいたのかなと思ってます」
――その5年間のお仕事というのは、どういうことをされてたんですか?
「飲食系の会社ですね。ドイツのスーパーとかにもいろいろと入っています。寿司マネージャーをさせてもらっていました。
当時は14店舗分の管理と、60人ぐらいの従業員のマネジメントを担当していました。最後の6カ月間はデンマークに行って、そこでオープニングのマネージャーを務めたりもして。そういう経験が人よりあったのかな自分では思います」
――前の会社でそのポストまで行くのも結構すごいことだと思うんですが、ご自身ではどう思われてますか?
「そうですね。振り返ってみるとここに今いられるのは、やっぱりいろんな運とタイミングがすごいなっていうのは自分の中でもあります。それだけじゃないのかもしれないですけども、それがなかったら次に続いていませんからね」
――その運とタイミングというのは、例えばどういったことがありましたか?……
Profile
中野 吉之伴
1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。