トッド・ベーリー率いる新経営陣の下、補強体制の刷新に動いているチェルシー。マイケル・エドワーズ(元リバプールスポーツディレクター)やクリストフ・フロイント(ザルツブルクスポーツディレクター)らの入閣が取り沙汰されては立ち消えとなる中、リクルートディレクターへの任命発表が秒読みと噂されているのは、今夏にサウサンプトンのシニアリクルートメント責任者に就任したばかりのジョー・シールズだ。かつてマンチェスター・シティでも辣腕をふるった名スカウト引き抜きの背景を、西ロンドンで長年チェルシーを追う山中忍氏に解説してもらった。
引く手あまたの「能動的スカウト」
2009年からの12年間に預けた選手29名の中に2人だけ。ロマン・アブラモビッチ前政権下のチェルシーが、やはりロシア人を後ろ盾とするフィテッセ・アーネムを非公式なフィーダークラブとして活用した放出に関する数字だ。オランダでのレンタル修行を経てチェルシー1軍の主力となった2人とは、ネマニャ・マティッチ(現ローマ)とメイソン・マウント。前者は選手としても祖国セルビアで育成されており、アカデミー自体が国内外でユースレベルの優勝争い常連と化していた事実を考えると、チェルシーは1軍戦力となり得る人的リソースを無駄にしていたとも言える。
今夏のクラブ買収に25億ポンド(約4200億円)を費やした新オーナーが、この経営上の問題を改善したがるのは当然。その一環として、「内定」が報じられるジョー・シールズのリクルートメントディレクター就任がある。
まだ30代半ばのシールズだが、傑出したスカウト、より厳密に言えば「観察して報告するだけではない能動的なスカウト」として知られるようなってからはすでに10年近くになる。個人的にシールズの名前を初めて耳にしたのは、イングランドの育成界ではかねてから定評のあるフルアムから、元パートタイムスカウトがクリスタルパレスに再ヘッドハントされたと聞いた2011年。その2年後にはマンチェスター・シティに引き抜かれている。ロンドン担当のユーススカウトに始まり、シティアカデミー全体のスカウティングマネージャーを経て、ユース選手の採用と管理に関する総責任者となったシティでの9年間には、アーセナルがシールズに育成部門のポジションを用意しかけたこともある。そしてチェルシーは、今年7月にサウサンプトンの新シニアリクルートメント長としてのステップアップで話題を呼んだ注目の人物をリクルート責任者として迎え入れることになった。
1000万が13億に!サンチョとシティの事例
シールズをめぐる動きの背景には、プレミアリーグにおける補強に対するコンセプトの変化が窺える。いわゆる全権監督は過去のものとなり、フットボールディレクターが懇意の大物エージェントとともに権力を握る仕組みも分業化が進み、ビジネス感覚の強いクラブ経営者の下で複数の「エキスパート」による連携体制が増える傾向にある。
その専門分野の中でも、シールズが地元の南ロンドンにある少年チームで指導を始めた15歳当時から実績を築いてきたユースレベルのスカウトは、シニアレベルのスカウトより難しい分野だとも言われる。見た目に明らかな速さ、上手さ、強さといった要素ではなく、選手としての賢さを含む将来性を見抜く直感的な能力は生まれ持っているか否かの世界だと理解されているためだ。
同時に、高い対人能力が必要だとも言われる。アーセナルやトッテナムのスカウトが顔を見せることのあるロンドン北部の少年チームでプレーする息子を持つ知人は、「子供にとっても親にとってもスカウトがクラブの顔。やっぱり、彼らの人となりには気になる」と言っていた。シールズはというと、初めてクリスタルパレスから声がかかった際、手伝っていた地元アマチュアチームの仕事をシーズン途中で投げ出すことはできないとしてプロクラブを待たせた逸話の持ち主でもある。……
Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。