かつてはJ1のMVPと得点王を手にした男が苦しんでいる。チームのCFには元ブラジル代表のライバルが君臨し、出場時間も減少。ポジションもウイングに回ることが増え、6シーズンに渡って続けて来たリーグ戦での二桁得点も、実現は難しい状況になりつつある。それでも、その男はゴールにこだわり続ける。なぜなら、これまでずっと託されてきた役割は、そのまま自身の生き様だからだ。小林悠。川崎フロンターレのストライカーを担い続けてきた35歳は、いま何を思うのか。長年に渡って彼を見守ってきたいしかわごうが、その心境を探る。
ゴールを決め続けることで証明してきた自身の生き様
思うに、ストライカーというのはポジションではない。
あれは生き様を表す言葉である。そして、そんな姿を見せ続けているストライカーがいる。
川崎フロンターレの小林悠だ。
小林はこのクラブに携わる人たちが、何かを託すに足るだけのものをゴールで示してきた存在である。クラブが初優勝を獲得した5年前の2017年にリーグMVPと得点王を獲得したことは、多くのサポーターの記憶からいまだに色褪せていない。「自分のゴールでチームを勝たせる」と公言し、それを10年以上実行し続けてきたことが、小林悠が小林悠であり続けてきた所以だと言える。
一方で、ストライカーという生き物は、数字で評価される宿命も背負っている。得点数という客観的で明確な基準があることで、ある意味で曖昧さがなく、ときにシビアに評価も下されるのだ。
「もどかしさ」を抱えながらプレーしていた2022年シーズンの前半戦
リーグ3連覇を掲げた2022年シーズン。
34歳で臨んだ小林悠は、苦しみにあえいでいた。チームは優勝争いを演じていたが、夏場を超えても自身の得点数は、わずかに「3」。リーグ戦前半で記録したのは第17節の北海道コンサドーレ札幌戦で決めた2得点のみで、3点目が生まれたのは、34歳最後の試合となった第30節・柏レイソル戦だ。2016年以降、シーズン二桁得点を記録し続けていた小林にとって、不本意とも言える状況のままシーズン佳境に入っていた。
そこには、いくつかの要因がある。
もっとも大きな影響はポジション争いだ。[4-3-3]システムを採用する川崎フロンターレのセンターフォワードの位置には、昨年のリーグ得点王&MVPである元ブラジル代表FWレアンドロ・ダミアンが君臨し続け、ローテーションでは万能型FW・知念慶が重用されていた。
その結果、シーズン前半の小林は左右のウイングで起用される機会が多くなった。出場時間も限られていたことで、フィニッシュワークに顔を出す場面が少なく、得点が生まれない。さらに30代半ばともなると、今度は年齢という数字から結果との因果関係も語られるようになる。小林にとっては、「もどかしさ」を抱えながらプレーしているように見える期間が続いていた。
ストライカーという生き物は、みんな心の中に「猛獣」を飼っているものである。うまくいかない時の怒りや不満、そういうあらゆる感情を「猛獣」のようにピッチに解き放ち、そのパワーをゴールという形で表現していく。だがシーズン前半の小林は、自分の中に飼っている「猛獣」を解き放たなかった。
なぜか。
ベテランと呼ばれる年齢になったからである。しかも彼は単なるベテランではない。チームキャプテンも務めたことのある、実績のある重鎮だった。自身の振る舞いがチームに与える影響力の大きさをよくわかっていた。ストライカーとしてのエゴは出さないといけないが、そのことだけを考えて、チームの空気を乱すわけにもいかない。逆風が続く自分の立場を理解しながらも、「猛獣」は心の中で抑え込んでいた。無得点が続いていた時期を、彼はこんな風に振り返っている。
「良い意味ではなく、悪い意味で大人になっていたのだと思います。ベテランなんだから、周りのことを考えないといけないとか、そういう思いばかりが先行していました。それが前半戦は、試合に絡めていなかった原因だと思います」
それは“盟友”からの電話がきっかけだった
転機となったのは、盟友・中村憲剛からの1本の電話だったという。……
Profile
いしかわごう
北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。Twitterアカウント:@ishikawago