【対談前編】加藤遼也×河内一馬:低所得世帯の子どもにとってサッカーは「贅沢」か?
サッカーエリート育成熱が加熱の一途をたどる、日本サッカー育成年代。その育成ピラミッドで目を向けられることが少ない、「サッカーをしたくてもできない子どもたち」。多くの場合は経済的・社会的な理由から、サッカーを続けることが難しい状況下にいる彼らに対して、サッカーをする環境を提供するという支援活動を行うlove.fútbol Japanの加藤遼也代表と、同団体の理事を務める河内一馬氏(鎌倉インターナショナルFC 監督 兼 CBO)に、対談してもらった。
前編では、加藤氏がlove.fútbol Japanを設立した背景、そして低所得世帯の子どもへの支援としてサッカーやスポーツは「贅沢」なのかを考えてみた。
love.fútbolとは?
――まずlove.fútbolとはどのような活動を行う団体ですか?
加藤「経済・社会的な背景にかかわらず、子どもたちが安全にサッカーできる『環境』づくりに取組むNGO団体です。主には、コミュニティ型と呼ばれるサッカーグラウンドづくりを通じて、子どもたちが抱える薬物や教育などの問題や、地域の大人たちがグラウンドの運営に主体的に関わることで、コミュニティの課題の解決に取り組んでいます。2006年に米国で設立され、本部は米国にあります。ブラジル、メキシコ、日本に支部を展開し、世界各地で活動しています」
――では加藤さんが、その日本支部としてlove.fútbol Japanを立ち上げられた経緯を教えてください。
加藤「私は2011年にサッカーを通じた国際開発の仕事を南アフリカで始めたのですが、その時、大きな失敗をしました。それは、子どもたちを裏切ってしまうような経験で、その苦い失敗から『活動は(一過性のものではなく)続いていくものでなければならない』ことを痛感しました。当時、サッカーを通じた国際開発に取り組む団体は、世界におよそ100団体あり、そのうちの約9割はサッカーを教育プログラムとして捉え、例えば犯罪撲滅や、HIVの啓発活動などを行うソフト支援的な団体でした。世界100団体をWEBサイトですべて調べて、それぞれの団体の活動内容をリサーチした時に、love.fútbolを知りました。その後米国に行き、love.fútbolの代表に連絡を取って話を聞かせてもらい、代表たちの人柄と活動に魅了されました。『ぜひ日本でもこの活動を広めたい』とお願いしたところ、最初は断れましたが(笑)、その後私も経験を積み、再度打診をしたところ、『その熱意と経験があるならいいですよ』という形で、2012年にlove.fútbol Japanを設立させてもらうことになりました」
――例えば、自分で団体を立ち上げるという選択肢は頭にありましたか?
加藤「なかったですね。love.fútbolの人にも活動にも魅了されて、この人たちと一緒にやりたいと。その一心でしたね」
――何がそこまで加藤さんを魅了したのでしょうか?
加藤「love.fútbolの活動は、ただグラウンドを作って提供するといったものではありません。経済・社会的な理由で安全にサッカーができない子どもたちの居場所をつくるという思想と、それを実現するための非常に細やかな取り組みに惹かれました。活動では、安全にサッカーをすることができない地域にスタッフが実際に入り、100人以上の地域住民と一緒に、子どもが遊べる場所を4カ月、5カ月をかけて一緒に作っていきます。安全にサッカーができる環境を整えながら、その場所を地域の社会課題、例えば教育やギャング問題、ジェンダーといった様々な問題を解決していくための拠点にして、運営していきます」
――love.fútbolが作ったグラウンドは、誰が運営するのですか?
加藤「地域住民たちで作る運営チームが行います。ルールづくりやマネタイズ、より効果的に地域に活用されていくためのアイディア出しから試行錯誤まで、すべてをやります。言ってみれば、私自身が南アフリカで失敗した時に感じた、『活動自体が続いていくものでなければならない』という点を、まさに体現しているわけです」
――サッカーを通じた支援活動の中で特に難しい部分というのは、活動の「持続可能性」にあるのでしょうか?
加藤「課題は持続可能性だけではありませんが、それは大きな課題の1つです。例えば、学校や図書館を作る支援活動がありますよね。でも、1年後に実際にその場所を訪れてみると、作られた学校や図書館がきちんと使われてないというケースも少なくないんです」
――グラウンドを作って終わりではなく、そこを起点にしたコミュニティを作るノウハウがlove.fútbolにはあるわけですね。河内さんがlove.fútbol Japanに関わるようになったのは、いつ頃ですか?
河内「5、6年前です。僕は、海外に行く前からlove.fútbol Japanのことは知っていて、活動の情報をチェックしていました。僕自身、サッカーを通じて社会課題に取り組んでいきたいという想いを持っていたのですが、ひょんなことから加藤さんと出会い、帰国したタイミングで、お手伝いをさせてもらえませんかと申し出たのが、24歳か25歳の時だったと思います」
――love.fútbol Japanの活動は今年で10年ということになりますね。
加藤「そうですね。2012年から2017年までの5年間は、いわゆる任意団体で、私もこれだけで食べていくことはできず、別のNGOで仕事をしていました。ですから、love.fútbol Japanの活動は、仕事が終わった後や休日にしていました」
――今は専任でやられているんですか?
加藤「はい。2018年にNPO法人化して、それ以降は専任でやっています」
――河内さんが関わるようになったのもそれくらいの頃ですか?
河内「僕が関わるようになったのは、もうちょっと前ですね。そのタイミングで僕はアルゼンチンに行って3年間、リモートのボランティアという形でお手伝いをさせてもらっていました」
――河内さんがlove.fútbol Japanに興味を持ったきっかけは?
河内「Facebookでlove.fútbolを知って、素敵な活動をしている団体だなと感じました。それ以来、個人的にlove.fútbolの情報を追いかけていたのですが、僕が海外に行くタイミングで加藤さんと偶然の出会いをしまして、その時にlove.fútbolの活動を追っていたことを伝えました。そして、ヨーロッパ放浪の旅から帰国したタイミングで、love.fútbol Japanがボランティアを募集していたので、加藤さんに会いに行き、ボランティアを申し出ました」
加藤「一馬とはいろいろ話しました。なぜ私がこういった活動を続けているかと言うと、私自身がずっとサッカーを続けてきて、南アフリカに行った時に初めて、サッカーをしたくてもできない子どもたちと出会いました。ずっとサッカーを続けてきた私は、その状況が悔しかったんですよね。ただ、海外にはそういう子どもたちの環境を変えようと活動する大人たちがたくさんいます。自分の生活が安定しているわけでもないのに、彼らは日々、笑顔を絶やさず、子どもたちを支援し続けています。そんな彼らを見て、その生き方に尊敬と憧れを抱くようになり、私も彼らの仲間として生きていきたいなと強く思うようになりました」
「グラウンド」を起点にしたコミュニティ作り
――love.fútbol Japanやlove.fútbolが行っている、コミュニティとして機能するサッカーグラウンドを作り、それを拠点として地域課題を解決するという理念は、1つの理想的な形だと思います。それをどのような手法で実現させていくのでしょうか?
加藤「グラウンドをつくる目的としては、3つ掲げています。1つ目は、子どもたちが安全に遊べる場所をつくること、2つ目は、地域住民のオーナーシップを高めること、そして3つ目は完成した場所をスポーツ以外の目的で地域を良くするために使っていくことです。活動を機能させるために最も重要なのが、2つ目のオーナーシップの部分です。『この場所は自分たちの場所だ』と認識してもらい、責任感と愛着を持って運営してもらうために、地域住民を巻き込んで4〜5カ月間ほどの時間をかけて、活動を進めていきます。浅野さんも『フットボリスタ・ラボ』を運営されていますが、課題感は似ていますかね」
――コミュニティ運営は「自分たちの場所だ」と思ってもらえることが非常に大切ですよね。具体的にどういう方法で、それを実現していくのか興味があります。
加藤「例えば、地域住民の中から10人くらいの人に、スポーツチーム、音楽チーム、食事チームなどのリーダーになってもらいます。リーダーが中心となって、具体的に何をやるかを考えていきます。そしてリーダーは、『自分のチームにこの人が欲しい』みたいな感じで、ドアノックをしたり、集会に参加してほしいと呼びかけたりして他の住民を勧誘していきます。この活動によって、最初の10人が、30人、50人、100人といった具合に増えていくんです。私たちが活動する地域の人たちの傾向として、自信を失っているとか、地域に対する不安感が強いということがあります。しかし、この活動を続けていくと、ここは自分たちのつくった場所だという意識が醸成され、自分たちが力を合わせればできるんだ、子どもたちにとって誇らしい活動ができるんだ、という自信が芽生えてきます。『私が幼少期に欲しかったこの場所を、子どもには孫の世代まで繋いで欲しい』という想いや、『このプロジェクトは、町の眠れる巨人を呼び起こした!』と地域が取り戻した力について話す人もいます。そういった変化のプロセスを実現するために、love.fútbolはこのようなプロジェクトの形態をとっています」
――love.fútbolが活動を行う場所の基準は?……
Profile
浅野 賀一
1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。