好評発売中の本誌『フットボリスタ第92号』では、「W杯から学ぶサッカーと社会」と題した特集企画を実施。開催国カタールのサッカーというソフトパワーを活用した国家ブランディング戦略から、サッカーファンの政治への向き合い方、さらには拡大するW杯の行き先まで、4年に一度の祭典を切り口に見えてくるサッカーと社会の関係性を考えた一冊だ。
その中で「スポーツウォッシングの歴史」を解説してくれたYuki Ohto Puro氏が問うのは、半年以上が経過した現在も終わりが見えないロシアのウクライナ侵攻におけるスポーツの責任。今でこそウクライナへの支援を呼びかけているサッカー界だが、この戦争が始まるまではむしろロシア大統領ウラジミール・プーチンに利用されていたのではないかという仮説だ。
“You may not be interested in war, but war is interested in you”(「あなたは戦争に関心がないかもしれないが、戦争はあなたに関心を持っている」)。これはウクライナに生まれロシア十月革命を指導したとされる革命家レフ・トロツキーが発した言葉と紹介されることが多いが、彼が実際にこのような発言をしたとされる記録は残されていない。しかしこの言葉がトロツキーと必ず1セットにして語られるのは、彼自身が戦いに身を投じ、倒れて行った人生とオーバーラップするからだろう。
2008年夏季北京五輪開幕と時を同じくして南オセチア戦争の撃鉄を引き、2014年ソチ五輪の聖火台の炎が消えて間もなくクリミアへの軍事侵攻を行い、さらには2022年北京冬季五輪の最中にウクライナ東部・ドンバスへ派兵したウラジミール・プーチンにとっては、「あなた」とはまさにオリンピック、ひいてはスポーツ全般が当てはまろう。五輪のようなスポーツ界のメガイベントは、ロシアの疑わしい他国への関与を覆い隠す蓑として機能した。
2007年にソチ五輪招へいに成功した当時より、彼は虎視眈々とスポーツの力を使った戦争を画策していたかもしれない。そもそもソチという街は南オセチア戦争においてロシアと協力した未承認国家アブハジア共和国の国境線から50kmも離れていない場所に位置している。当時はとてもオリンピックを開催できるだけのインフラが整っておらず、そのための準備はアブハジア(当然のことだが彼らは正式にはジョージアの一部)の協力を前提としたものだった。
スポーツの中でもとりわけプーチンが重要視したのがフットボールだった。ロシアは半国営企業ガスプロムやオリガルヒたちの力を介してフットボール業界での存在感を徐々に高めていき、そのソフトパワーを掌中に収めることに成功した。今回は、いかにしてフットボールがプーチンの野望を手助け「してしまったか」、その一部始終を語ろう。
プーチン支持率回復の錬金術はスポーツと戦争
「言葉の違いにも、イデオロギーの違いにも、信仰の違いにも屈しないこの団結の中にこそ、フットボール、スポーツ全般の偉大な力、その人道的原則の力があります。私たちの使命はスポーツを発展させ、人々の間の平和と相互理解を強化するために、この力、この団結を将来の世代のために維持することです」
これは2018年6月14日、ロシアW杯の開会式が催されたルジニキ・スタジアムでプーチンが行ったスピーチの一節だ。今にしてみれば嘘で塗り固められた理想を口ずさんでいるだけに聞こえるが、ある意味では彼とロシアに対し疑いの目を向けていた者たちへの勝利宣言だったようにも受け取れる。
ロシアW杯は、開催そのものが疑惑にまみれていた。2010年に行われた開催地選定に携わったFIFA関係者のうち14名が起訴、7名が逮捕されるという大スキャンダルを巻き起こした。さらにクリミア併合やアメリカ大統領選の妨害行為、ウクライナとの戦闘行為、シリア・アサド政権への軍事協力、元スパイの暗殺未遂事件、国内における野党勢力の弾圧――雨後の筍のように明らかになる様々な薄暗い背景から、ホスト国としての適格性に嫌疑の目を向けられる。当然のごとく国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも黒い記録に警句を鳴らし続けた。にもかかわらず、結果的にはW杯はつつがなく開催された。
再びプーチンの言葉を借りよう。彼はW杯開催直前にモスクワで行われたFIFA総会の席上で、こんな話をした。……
Profile
Yuki Ohto Puro
サミ・ヒーピアさんを偏愛する一人のフットボールラバー。好きなものは他人の財布で食べる焼肉。週末は主にマージーサイドの赤い方を応援しているが、時折日立台にも出没する。将来の夢はNHK「映像の世紀」シリーズへの出演。