ディナモ凱旋の喜びと悔しさ。「グループ“マテオ・コバチッチ”」が始まる
チェルシー、ミラン、ザルツブルク、ディナモ・ザグレブが同居した今季CLのグループEは、「グループ“マテオ・コバチッチ”」とも言える組み分けとなった。オーストリアで生まれ、ザグレブでプロになり、ミラノを経由し、ロンドンのチェルシーでプレーするコバチッチ。CL優勝4回、クラブW杯優勝4回、UEFAスーパーカップ優勝3回、EL優勝1回のタイトルを引っ提げて1人のフットボーラーがゆかりの地を訪ねる、そんな僥倖(ぎょうこう)がドローの巡り合わせで実現した。
今回の“コバチッチ現象”に関して、冗談を込めて語ったのが当時のチェルシー監督、トーマス・トゥヘルだった。
「クラブに割り当てられたアウェイゲームのチケットすべてをコバチッチの家族が買い取ってしまうので、我われは追加購入を急がねばならないと思う。他のプレーヤーの家族や友人のためにチケットが確保できるかどうかに今は焦点を当てている」
生まれ故郷リンツから家族とともにザグレブへ
ザルツブルクから電車で東に1時間。リンツはウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第3の都市だ。同地域には経済的理由もしくは戦争難民として移り住んだ旧ユーゴスラビア出身の人々が数多く生活している。
ボスニア出身のクロアチア人、コバチッチ夫妻は戦争以前の1990年にリンツ郊外に移り住み、その長男としてマテオは生を受けた。母親ルジツァに導かれて5歳からLASKリンツのユースに通い始め、魔法使いのようなボール扱いとスピードに磨きをかけると、その才能にビッグクラブが次々と気づき始める。キャンプに2度参加したインテルからは10歳でオファーを受け取り、アヤックスの入団テストに招かれた12歳の時には高額の奨学金オファーを受け取った。シュツットガルトは息子の移籍に併せて父親にメルセデス・ベンツ社の仕事を提示し、バイエルンもスカウトを何度もリンツに送り込んだ。
最終的にクロアチアの名門、ディナモ・ザグレブへの入団を決め、家族と一緒に同国の首都に引っ越したのが、彼が13歳の時。それは「ザグレブに住むのが夢だった」という父親スティペの願望でもあり、マテオ本人の意思でもあった。彼の部屋の壁には当時ディナモのスター選手だったルカ・モドリッチのポスターが貼られていたという。
「リンツからザグレブに引っ越した時のことはよく覚えている。僕たちはオーストリアで良い生活をしていたのに、父さんは仕事を辞め、家族でクロアチアに移り住んだ。それはリスクだったけど、父さんは僕がディナモで大きなことを成し遂げられると信じていたんだ。最終的にそれは正しかった。父さんや家族は最大の支持者だったよ。僕のために彼らは多くのものを犠牲にした。それだけに自分は良き息子であるよう、家族と素晴らしい関係を築けるよう、別の形でお返しできるよう頑張ってきたんだ」
父親スティペはザグレブのガス会社で仕事を始めたのち、より息子の近くにいられるようディナモの用務員に転職した。ところが、コバチッチが14歳の時、試合中にタックルを受けて右脚を複雑骨折。4カ月間は立つことができず、筋肉も衰えて選手生命が危ぶまれたものの、家族の支えとキリスト教への厚い信仰心で10カ月のリハビリを克服した。復帰直後の試合で右脚に激しいタックルを受けたコバチッチは、「聖なるユニフォームをまとって殴り合うのは不適切な行動だ」として自分のユニフォームを脱ぎ捨てて乱闘に参加した、という激情的なエピソードも残っている。
ハリルホジッチの下でトップデビュー
ユースチームで「神童」の呼び声が高いコバチッチをトップチームに引っ張り上げたのが、かのヴァイッド・ハリルホジッチ。2010年11月20日、フルバツキ・ドラゴボリャッツ戦に途中交代で投入されると、62分にはヘディングシュートで初ゴールを決めた。16歳198日は当時のクロアチアリーグ最年少ゴール記録。衝撃のデビュー戦を受けて「クロアチアのリオネル・メッシ」と騒ぎ出すメディアに報道規制を敷いたのも、とことんスターシステムを嫌うハリルホジッチならでは。当時をコバチッチはこう振り返る。
「ディナモでのデビュー戦は本当に特別だった。今となってははるか昔のことだけどね!一番幸せだったのが僕の父さんだ。ケガをしていた時期は彼もかなり苦しんでいた。それだけにあのゴールは父さんに捧げたものだった。サッカーをやることはいつも大好きだし、自分の実力を信じてはいたけど、チャンスを与えてくれたディナモにはあらためて感謝したい。戦術的には然るべきレベルにない16歳の少年にチャンスを与えるなんて尋常じゃなかった。彼らは僕の弱点には目をつむって、より良いプレーヤーになるよう後押ししてくれたんだ。おそらく当時の僕は100%の準備ができていなかったけど、ディナモはちゃんと信じてくれて、最後には僕もディナモも報われたんだ」
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。