「この感動はベルマーレじゃないと味わえない」――”元選手スタッフ”島村毅、猪狩佑貴が語るセカンドキャリア
サッカー界の旬なテーマを豪華講師陣が解説する動画コンテンツ『フットボリスタビデオ』。
現役時代は湘南ベルマーレの選手として活躍し、現在は同クラブのフロントスタッフとして働く島村毅氏と猪狩佑貴氏を講師にお招きし、”セカンドキャリア”をテーマに現在の仕事について紹介してもらっている。
本記事では両名にビデオ収録を終えた感想や、動画には入りきらなかったエピソードを話してもらった。
引退の理由
――収録お疲れ様でした。2人ともNGが少なく、カメラの前で話すことに慣れているように見えました。手応えはいかがですか?
猪狩「楽しかったです。これまで自分の仕事について話す機会はあまりなかったので、(今回の収録を通じて)頭の整理をできたのも良かったです」
島村「ラジオ感覚で話したのが、スムーズに収録を進められた要因かなと。猪狩が話を振って、僕が答えるという役回りで。実際にカメラの前に立つと緊張しましたけど、ある程度はイメージ通りにいきましたね」
猪狩「僕たち『ベルマーレホルダースタジアム』(FM湘南ナバサ)というラジオ番組を3、4年やっていたんですよ。毎週木曜日夜8時半から30分間の生放送で」
島村「猪狩が8時29分30秒くらいにスタジオに入ってくる番組ね(笑)。いつも『オープニングは1人かなぁ』と思っているとギリギリに現れる」
猪狩「ちゃんと間に合うんですよ、そこは(笑)。1回も遅刻したことないですから」
――事前に広報さんから話は聞いていたのですが、今回の収録で進行役を務めていただいた猪狩さんのトークスキルには驚きました。
島村「僕はずっと猪狩の面白さは神奈川県でベスト3に入ると言い続けているんですよ。イベントなど人前で話す時、僕は元選手としての恩恵を受けていて、自分のキャラクターを理解してもらっている前提があるんです。けど、猪狩は元選手とか関係なく笑いを取っていますから」
猪狩「島さん、それは少し寂しいじゃないですか(笑)」
島村「いや、マジで関係ないんですよ(笑)。それが本当にすごい」
猪狩「ありがとうございます(苦笑)」
――(笑)。この息ぴったりの掛け合いは現役時代からのものですか?
島村「いや、現役の頃は猪狩に同年代のチームメイトが何人もいて、ご飯もその(同年代)グループで行っちゃうから交流は今ほどなかったですね。だから、現役引退後の方が仲は良いと思います」
猪狩「そう思います。今は同じ”元選手スタッフ”という立場もあって、島さんには他の人には言えないことも相談できるので」
島村「僕も含めてフロントスタッフは選手にリスペクトを持って接しているのですが、元選手の目線でダメな部分はちゃんと指摘するとか、そのあたりは猪狩とも意見交換しながら社内で話すことはありますね」
――選手とフロントスタッフの関係という点では、2人は現役時代からフロントとの距離が近かったそうですね。
島村「僕の場合は地域やパートナーさんのイベントに参加するのが元々好きだったのもありますね。回数を重ねると、クラブから何を求められているかも理解できました。ベルマーレの在籍年数が長かったこともあって、フロントスタッフとは誰とでも気軽に話せるくらいの関係がありましたし、重要な案件の時には相談してくれたり、信頼は感じていましたね」
猪狩「僕も現役時代の経験が今に繋がっていると思います。今の仕事はプロモーションですが、選手の頃から新しいグッズを動画で面白く伝えるみたいなことをしていましたから。『猪狩ってこういうの得意でしょ?』と自分のキャラクターを見出してもらって。本来、選手の立場では経験できないことも多かったですし、フロント側の仕事は当時から楽しいなと思っていました」
――そうした活動が評価されて、2人とも現役中から引退後のフロント入りを打診されています。嬉しさ半面、選手としては複雑な心境もあったと思うのですが。
猪狩「ネガティブなことではないですが、複雑ではありましたね。もっと現役で活躍したい気持ちと、怪我で自分らしいプレーが戻ってこない葛藤と。現役引退後の人生の方が長いので、何をどう判断すればいいのかな……と」
――猪狩さんは現役最後のシーズンを福島ユナイテッドFC(期限付き移籍)でプレーされています。
猪狩「福島での1年間は大切な時間でした。まだ上を目指す野心を燃やせるかを確認するシーズンにしようと思って移籍したんです。結局、その野心は残っていなかったんですけどね。シーズン中は現役継続にむけて気力が上がったり、下がったり、サッカーに対する想いを整理する時間でした。『サッカーが好き』という気持ちだけではプロは続けられなかった。そういう葛藤をクラブにに伝えたら、フロントスタッフの話をいただいて、『次のステージに行くタイミングが来たんだな』と引退を決断しました」
――島村さんはどうですか?
島村「僕がベルマーレに在籍した時(2008年~2018年)は曺(貴裁)さんが監督を務める期間が長かったんですけど、練習がめちゃくちゃハードだったんですよ。やっているサッカーは大好きで、最先端の戦術だと感じていたんですが、肉体的には30歳を過ぎたくらいから本当にきつかった(苦笑)。ベルマーレでプレーを続ける限界というか、引退のタイミングを考えていた中でJ2やJ3のクラブからのオファーもありましたが、ベルマーレで4回(J1)昇格を経験していたこともあって、他のクラブでプレーすることへの魅力を感じることができなかった。だから、ある程度は『やりきった』という思いがありつつ、ビジネスの世界でもやれることを証明したいモチベーションもあったので、フロント入りのオファーは喜びの方が大きかったですね」
夢をセカンドキャリアでも叶えたい
――実際にフロントスタッフとして働き始めて、選手時代には気が付かなかったクラブの仕事はありましたか?
猪狩「最近は外注も増えてきたんですが、僕が入社した8年前は『そこまで自分たちでやるの?』という業務の連続で。イベントで使用する椅子やテーブルを何十分もかけて運ぶ力仕事があったり、グッズのポップを書いたり、こんなにも様々な業務があるのかと驚いた記憶はありますね」
島村「そうそう。例えばサッカー教室のイベントも、選手時代はイベント開始の20分前に現地に行って、お弁当食べて、1時間くらいボールを蹴って、帰るみたいなスケジュールでした。けど、スタッフは開催の前から関係者と打合せをしたり、当日も早い時間から準備をしたり、お弁当の数を確認したり、選手のコンディションを最優先に拘束時間を短くできるように調整してくれていたことを知って、感謝しかなかったですね」
――フロントスタッフの苦労を知った上で、もう一度プロサッカー選手としてのキャリアを歩むことになれば、自身のプレーは変わると思いますか?
猪狩「多分、(日本)代表いくでしょうね(笑)」
島村「そうだね(笑)。だから、若い選手や在籍年数が長い選手には、フロントスタッフの目線から『こういう気遣いは喜ばれるよ』のようなアドバイスは送るようにしています」
――そうしたコミュニケーションはお二人が在籍するメリットの1つだと思います。引退後にフロントスタッフとして働くことを希望する選手も増えそうですね。
猪狩「確かにいますね。ただ、サッカーがうまくいっていないからフロントの仕事に矢印が向いてしまっているような印象を持つ時もあるので、難しいところです。現役引退後にフロントスタッフになることが、セカンドキャリアとしての成功という訳でもないので」
――では、どのような選手がフロントスタッフに向いていると思いますか?
猪狩「クラブに対する熱量を持ち続けられる人。僕が言うのもあれですけど、元選手のフロントスタッフが増えたからといってイズムが継承される訳ではないと思っています。逆にクラブを劇的に変えてくれるような人がいてもいいですし、バランスも大切かなと」
――今回の収録で話を聞く中で、その「熱量」という言葉は「クラブ愛」と言い換えることができるのかなと思っています。
猪狩「そうかもしれないですね。僕の場合は平塚で育って、中学校からベルマーレのジュニアユースに所属して、人生のほぼすべての時間をベルマーレで過ごしています。ベルマーレが当たり前の生活なので、好きとか嫌いで語れるものではないのは確かです。『ちっちゃいな』と思われるかもしれないですけど、平塚競技場(現・レモンガススタジアム平塚)でゴールを決めるのが子供の頃からの夢だったんですよ。1点だけですけど、夢は叶ったんです。ゴールを決めた瞬間は、応援してくれている人も感動して泣いていて。そういう夢をセカンドキャリアでも叶えたい。それが何かは今、探しています」
――「クラブ愛」という点では、島村さんが収録で話されていた『営業の仕事はベルマーレの良いところを話すこと。だから、大変だと思ったことがない』という台詞も印象的でした。
島村「僕が在籍した2008年からの2018年までの11年間でクラブは3回(J2に)降格して、4回(J1に)昇格しているんですよ。何度落ちても這い上がるベルマーレの精神が大好きで。サポーターも温かくて、降格しても『また上がろうぜ』と一致団結して応援してくれるので、昇格した時の喜びを共有できました。そういう経験が大きいかもしれないですね」
――ある意味、負けることでクラブ愛を深めてきた部分があると。
島村「ベルマーレってなかなか勝てないんですよ。本当に悔しいし、苛立って試合中に帰るお客さんもいます。けど、その苦労があるからこそ、勝利の喜びが大きくて。僕も現役時代は試合に勝った時は泣いていましたから(笑)。この感動はベルマーレじゃないと味わえないですよというのは、営業の仕事でもよく話しますね」
――プロサッカー選手の中には個人事業主として、クラブとの関係をビジネスライクに考える方もいます。要は自分を高く評価してくれるクラブがあれば、移籍という選択肢を検討すると思うのですが、2人は考えが少し違うのでしょうか?
島村「いや、選手としては評価してくれるクラブに行くべきだと思います。家族もいるし、年俸が倍になるようなオファーがあれば断るべきではないけど、僕にはそんなオファーは来ませんでした(笑)。ただ、同じクラブに在籍し続けることも簡単ではないし、価値があることだと思います。先ほども話しましたけど、僕の場合はベルマーレで3回降格したけど、4回昇格した経験をできたのは達成感があるんですよね」
『サッカーだけじゃないわ』
――アスリートのセカンドキャリアはネガティブな文脈で語られることも多いテーマですが、現役時代の生活と比較して何か思うところはありますか?
猪狩「セカンドキャリアではないのですが、僕はプロ2年目の時にJFLの佐川印刷という企業のサッカー部に期限付き移籍した経験が大きくて。それまではずっと『自分にはサッカーしかない』と思っていたんですが、午前は工場で仕事をして、午後は練習という生活をする中で『サッカーだけじゃないわ』と気持ちが軽くなったんです。違う世界を経験することで、サッカーが楽しくなりましたし、仕事も楽しいし、生活が充実してきて、良いこと尽くしだったんですよ」
――工場の仕事を通じて、人生に対する視野が広がった訳ですね。
猪狩「佐川印刷での経験もあるので、何かに固執するより、色んなことに挑戦する方が素敵だと考えるようになった側面はありますね。だから、フロントスタッフとして働く今も、プロモーションの仕事もしますし、営業もしますし、今回のようなビデオにも出演する。活動の幅を広げて、ベルマーレや自分の存在を知ってもらえるのが幸せだと思います」
島村「現役時代の経験がセカンドキャリアに活きているという点では僕も同じですね。しっかりと準備をして、本番で結果を出すのはサッカーも、営業の仕事も変わらない。だから、仕事内容は変わっても、現役時代の方が楽しかったという感覚はないです。現役時代の姿勢が今でも活きていると思います」
――現役時代と分断するのではなく、延長線上で捉えることがセカンドキャリアを充実したものにする秘訣なのかもしれません。
島村「僕は小学6年生の頃にレッズのジュニアユースのセレクションに落ちているんですけど、その経験はスクールで子供たちを教える上で希望になると思います。現役生活だけじゃなく、それ以前の人生も含めて経験を活かすことができれば、ハッピーなセカンドキャリアを過ごすことができると思います」
猪狩「僕は勝手に『サッカーが人生のすべて』だと背負いこんでしまっていたんですけど、意外に違う分野の仕事をすることが、目指す人生の近道だったりすることもあるのかなと思います。今回のビデオはさまざまな層の方が観てくれると思うのですが、自分のキャリアを考えるヒントになれば嬉しいです」
TSUYOSHI SHIMAMURA
島村毅
(株)湘南ベルマーレ第三営業部所属。 1985年8月10日(37歳)。 埼玉県越谷市出身。 早稲田大学から2008年に湘南ベルマーレに加入しプロとしてのキャリアをスタート。2011年に徳島ヴォルティスへ期限付き移籍をした1年間以外は2018年の現役引退までベルマーレでプレーし続けた。2019年よりフロントスタッフとなり、主にスポンサー営業を担当する他、様々な新規事業にも力を入れている。サッカースクールのコーチや2021年には湘南ベルマーレフットサルクラブの選手としてもプレーするなどチャレンジし続ける。
YUKI IGARI
猪狩佑貴
(株)湘南ベルマーレ第二営業部所属。 1988年4月7日(34歳)。 神奈川県平塚市出身。 中学から湘南ベルマーレジュニアユースに在籍し、2004年にユース昇格、さらに2007年にトップチームに昇格しプロ選手に。2008年に佐川印刷SC、2014年に福島ユナイテッドFCへ期限付き移籍し、2014年をもって現役引退。
2015年よりフロントスタッフとなり、プロモーションや営業など守備範囲は多岐に渡る。持ち前の明るさを活かし、番組のMCやイベントの司会なども務めるなどマルチに活躍する。
PHOTOS:?SHONAN BELLMARE
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime