近年、優秀な指揮官の登竜門となっているドイツ・ブンデスリーガ。その背景にはホッフェンハイムやレッドブル・グループでその哲学を広めたラルフ・ラングニックをはじめ、今現在名将として数えられるユルゲン・クロップ、トーマス・トゥヘルらの影響があった。しかし、遂に彼らから直接学んでいない若き名将候補が現れた。ブレーメンのオレ・ベルナー監督である。にわかに注目を集める34歳の異色のキャリアとサッカー哲学に迫る。
また1人、気鋭の戦術家がブンデスリーガに出現した。
その人物は、ブレーメンを率いるオレ・べルナー(34歳)。ユリアン・ナーゲルスマンより10カ月若い、今季のブンデス1部最年少監督である。
スポットライトを初めて浴びたのは、ドイツ2部ホルシュタイン・キールの監督2年目のことだ。2021年1月、DFBポカール2回戦でフリック率いるバイエルンにPK戦の末に勝利したのである。そのまま勢いに乗ってベスト4に進出した。
残念ながらブンデスリーガ2部では最終節で3位に転落し、入れ替え戦でケルンに敗れて1部昇格は逃してしまう。だが、北ドイツの小クラブを躍進させた手腕は大きな話題になった。
そして昨年11月にドイツ2部の10位に低迷していたブレーメンの監督に抜擢されると、そこから7連勝してチームを立て直し、古豪を1部に復帰させた。
性格は実直で派手さはなく、試合の際もジャージを着ており、「典型的な素朴な北ドイツ人」と言われている。用具係と間違えられてもおかしくない風貌だ。
しかし、歩んできた人生は型破りである。
ベルナーは当時ドイツ4部だったホルシュタイン・キールで選手になったが、ケガのために20歳で引退。1度は銀行員の職業訓練を始めるも、定時制職業学校の教員になりたいと考えビジネス教育学を勉強した。
おっちょこちょいな一面があり、キール大学への入学資格を手にしたが、書類提出が遅れて入学が1年後になってしまう。ところがベルナーは転んでもタダでは起きず、ワーキングホリデーでオーストラリアへ渡り、庭師として7カ月間働いて“冒険”を満喫した。
キール大学で勉強するかたわら、古巣キールでU-16のコーチを始めたことが人生の転機になる。すぐにキールのセカンドチームの監督を任され、ベルナーは指導者として食べて行くことを決断した。
ラングニック派にも、ドルトムント派にも属さない。北の辺境から自然発生的に生まれた異色の戦術家なのだ。
「選手の最大値が出るポジションで起用する」
ドイツのメディアから、その戦術は「勇気ある攻撃サッカー」と呼ばれている。……
Profile
木崎 伸也
1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。