かつてイタリアは、監督業の最先進国だった。1990年代から2000年代にかけてのセリエAは、サッキが提唱し導入したゾーンの[4-4-2]に始まり、アンチェロッティの[4-3-2-1]の「クリスマスツリー」まで、当時最先端の戦術システムが生まれ、試され、磨かれていく実験場だった。しかし現在、その立場は大きく変わりつつある。
『フットボリスタ第91号』より掲載
当時はイングランドなら[4-4-2]、スペインなら[4-2-3-1]、ドイツなら[3-5-2]といったように、国によって特定の戦術コンセプトやシステムが支配的なのが当たり前で、それがその国やリーグのアイデンティティとなっていた。1つのリーグの中に多様な戦術コンセプトやシステムが共存ししのぎを削っているのは、ヨーロッパでもイタリアだけだったと言っていい。
システムや戦術コンセプトだけではない。テクニカルスタッフにフィジカルコーチを加え、パワー、スピード、持久力といったフィジカル能力の強化に焦点を合わせたボールを使わないトレーニング(今ではその有効性を否定する考えが主流になったが)の時間を毎日の練習に組み込んだのもイタリアが先駆だし、現在では当たり前になったビデオを通したプレーデータのシステマティックな収集・分析が、プロクラブを顧客としてビジネス化されたのも90年代末のイタリアからだった。
「職人芸」から「総力戦」の時代へ
当時のイタリアにあったそうした先進性の背景には、それこそガリレオ・ガリレイやレオナルド・ダ・ヴィンチの時代からこの国が一面として持つ、異端であることを気にかけず一人マニアックに自らの信念をとことん追求しそこから革新的な何かを生み出す、ある種マッドサイエンティスト的なクリエイティビティ、職人芸の伝統があるような気がする。サッキやゼーマン、ザッケローニから近年のサッリまで、イタリアの革新的な監督たちの多くは、こうした「異端ならではのクリエイティビティ」を持っていた。
しかし、2000年代に入ってしばらくすると、イタリアはそうした先進的なクリエイティビティを持った監督を生み出さなくなり(例外は上でも触れたサッリくらい)、徐々に「監督先進国」の座から滑り落ちていくことになる。それと入れ替わるようにして存在感を高めてきたのは、アカデミックな研究から戦術的ピリオダイゼーションを生み出したポルトガルであり、サッカーをプロパーとしないマルチスポーツのフィジカルコーチが他分野からの知見を生かして構造化トレーニングを体系化したスペインであり、脳神経科学や学習理論の先進的な研究成果を取り入れてコーチングメソッドの刷新に取り組んだドイツだった。
この背景には、テクノロジーの発達や学術的、学際的な研究からの新たな知見の流入によって、サッカーというスポーツそのもの、そしてそのコーチングメソッドをめぐる研究開発の範囲とスピードが急速に増大したという変化があった。これを通して、監督という仕事のあり方そのものに含まれる領域と知見の幅と深さが飛躍的に増大し、一人の職人芸だけでは追いつけない「総力戦」の世界に入った。
これはクラブ経営やスカウティング/育成にも当てはまる話だが、最先端を走り続けるためには多分野の知見を総合した組織的かつアカデミックな取り組みが必要になっているというのが、完全に産業化した欧州プロサッカーの現実である。
クラブ経営においては、ベルルスコーニのミランやモラッティのインテルに代表される家族企業的経営が終焉し、一般企業と同じような組織体制を持った戦略的経営がスタンダードになってきた。プレミアリーグなどと比べると遅れているイタリアにおいても、それを最も先進的な形で取り入れたエリオットのミランが、中国資本下における財政破綻寸前の状態からわずか4年で、ピッチ上ではスクデット、ピッチ外では財政の健全化と企業価値の上昇という大きな成果を残した事実は象徴的だ。……
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。