7月29日に刊行した『アドレナリン ズラタン・イブラヒモビッチ自伝 40歳の俺が語る、もう一つの物語』は、ベストセラー『I AM ZLATAN』から10年の時を経て世に出されたイブラヒモビッチ2冊目の自伝だ。 イブラ節全開の本書の中から訳者である沖山ナオミさんが厳選エピソードをピックアップ。
第3回は、名門ミランの再生に懸けた想いについて。「俺を一番必要としているのは誰だ? 一番のクソったれチームはどこだ?」――イブラのアドレナリンが沸き立つ挑戦が始まった。
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“「俺を一番必要としているのは誰だ? 一番のクソったれチームはどこだ?」。俺が求めていたのは契約書ではない。チャレンジだった。”(『アドレナリン』P31より)
ビバリーヒルズに住み、ビーチを散歩し、アメリカ生活を満喫していた38歳のイブラは、引退を決意していた。
「俺はやるべきことはやった。もう終わりだ」
だが代理人のミーノ・ライオラはロサンゼルス・ギャラクシーでキャリアを終わらせることを認めず、イブラをもう一度ヨーロッパの舞台で活躍させようと試みる。「おまえはイブラなんだ。最後までイブラを演じきってから舞台を降りろ」と。
イブラはSSCナポリに行く決意をしたが、アンチェロッティ監督が解任されたことによりそれは破談となる。イブラはすぐ、ミーノに訊いた。
「俺を一番必要としているのは誰だ? 一番のクソったれチームはどこだ?」
イブラはアドレナリンが湧き起こるようなチャレンジングな移籍を求めていたのだ。
ミーノによると一番のクソったれチームはACミランだった。かつての名門チームがアタランタに0-5で大敗していたからだ。ミランは2012年イブラ放出後、リーグ戦で中位をさまよい、セリエAはユベントス一強時代となっていた。
「ミランに電話しろ。ミランに行くぞ!」
イブラは速攻ミーノに告げる。こうして世界屈指の名門チーム、ミランをトップに返り咲かせることがイブラの新たな挑戦となった。
「イブラ先輩、今日は何をやりましょうか?」
2019年12月ミラネッロに到着したイブラは、すぐにチームの研究をした。彼がまず感じたことは、選手たちがミランでプレーすることの意味をわかってないということだった。かつてのミランには、ガットゥーゾ、ピルロ、アンブロジーニ、ネスタ、セードルフというミランの栄光時代を経験した名選手たちがいた。このベテランたちが若手にミランの精神を伝授し、練習中には見張り番となって気がゆるんだ選手に渇をいれていたのだ。
だが、イブラが見た新しいチームはただ静かに練習しているだけ。
「これはミランではない。見て見ぬふりはできない。俺はコトを変えるためにミランにやってきたんだからな。革命を起こすために!」
そしてイブラのミラン革命は始まった。イブラは手を抜いている選手を見かけたら、ピオーリ監督より先に大声で注意した。「しっかりと動け。走るんだ!」。選手たちはイブラの助言におびえながらもリスペクトして聞くようになった。
「試合中はあらゆる瞬間、ピッチ上のあらゆる場所、センチメートル単位で、一丸となって魂を込めて戦わねばならない。それが唯一、勝利を可能にする方法。その態度は日々の全力を尽くした練習からのみ習得できるもの」――イブラはそう考えていた。
厳しい練習が繰り替えされた。次第にミラン魂が育っていく手ごたえをイブラは感じた。ロッカールームに入ると毎回、「イブラ先輩、今日は何をやりましょうか?」と訊ねるような目が届いた。それは選手たちがイブラを信頼し、チームに寄り添う感覚をもってきた証。
そして結果が出てきた。19-20シーズン、ミランがアタランタに大敗した第17節までの結果は6勝3分8敗。イブラが加入した第18節から第38節までは13勝6分2敗。勝率35%が62%にまでアップしているのだ。もちろん、2019年10月からミランで指揮を執り始めたピオーリ監督の功績も大きいだろう。だが、リーダーとして勝利のメンタリティをチームに注ぎ込んだイブラの存在あればこそ、ピオーリの采配も生きてきたはずだ。
「10年前のミランを思い出し、俺の心は泣いていた」
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Profile
沖山 ナオミ
横浜生まれ。慶應義塾大学文学部卒。翻訳者。ライター。リサーチャー。当初、IT、通信関連の雑誌記事、ウェブサイト等の英日翻訳を行っていたが、イタリア在住時ASローマの魅力に取り憑かれ、帰国後はサッカー関連の仕事にシフトした。サッカーテレビ番組および実況中継のリサーチャー、雑誌記事の翻訳等を行いながら、サッカー書籍の翻訳を始めた。主な訳書に、『キャプテン魂 トッティ自伝』(2020年)、『我思う、ゆえに我蹴る アンドレア・ピルロ自伝』(2014年)、『I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝』(2012年)、『サッカーが消える日』(2011年)などがある(いずれも東邦出版)。