すべての経験が今の自分に繋がっている。福島ユナイテッドFC・服部年宏監督インタビュー(前編)
日本代表として44試合に出場。オリンピックもW杯も経験している服部年宏は、監督初挑戦のクラブに福島ユナイテッドFCを選んだ。現役時代から理論家として鳴らした名選手は、どのような思考で新たなチャレンジに向き合っているのか。ガイナーレ鳥取でともにプレーし、以降も親交の続いている柴村直弥(SHIBUYA CITY FC)がその実情に迫る。
前編では、ジュビロ磐田での強化部長としての経験、そしてそれがいかに監督業に活かされているのかを聞いた。(取材日:6月24日)
福島ユナイテッドFCのファーストインプレッション
――ハットさん、ご無沙汰しています。
「久しぶりだね」
――インタビューするのは、ラジオ番組以来です。
「あったね。鳥取駅前のラジオ番組」
――一緒にガイナーレ鳥取でプレーしていた時、FM鳥取でメインパーソナリティをやらせてもらっていた番組に、快く来てくれて。
「懐かしいね」
――福島ユナイテッドFCではハットさんのイメージしているスタイルにはめていっているのか、それとも今いる選手たちのスキルや特徴などを踏まえた上でベストな選択をしようとしているのか、で言うとどちらに近いですか?
「基本は自分のやりたいイメージに合わせようとしてはいるけど、もちろんいろいろなところで修正しながらやっている感じですね。まだまだやりたいことはいっぱいあるけど、まだ全然行ってないという感じです」
――後ろは3バックじゃないですか。あれはハットさんの中で4枚よりも3枚の方が良いとかもありますか?
「そうですね。個人的にはベースのところは3枚の方が好きかな。やっぱり今は守備のところでどうしてもはめづらいところが、最終ラインで出てきてしまうので、そうなるとシンプルに後ろが5枚になる方が、混乱は少ないかなと思ってやっています」
――そのあたりの手応えみたいなものはありますか?
「一番最初に来て、紅白戦をやった時の印象が、若い選手が多くて、強度は高かったんですよね。なので、そういう部分はベースで継続して、違う色を乗せていけば面白い方向に進むのではないか、という感じはありました」
――今季から就任されているので、まだハットさんのイメージするスタイルにはめるようなことはなかなかしづらかったと思うのですが、そんな中でもこうして早めにベースを築いて、成果を上げてこられているのは、キャンプなどでの手応えなどもあったのですか?「行けそうだな」みたいな。
「いや、全然わからなかった、というのが正直なところですかね。まあ、去年もコーチをやっていたので、チームがステップアップしていくイメージはもちろん多少ありましたけど、まっさらなところから入っていくというのは初めてだったので。わからないことだらけでした(笑)。『うまく行っているのかな?』という不安を持ちながらやっていたような感覚ですね。ただ、練習試合などをやっていく中で、自分のやりたいことが出てきているシーンがだんだんと増えてきていたので、そういう意味では順序を踏んでできているのかな、というのはありましたね」
セカンドキャリアのスタートは強化部長から
――そうなんですね。話は戻るのですが、そもそも福島ユナイテッドFCの監督をやるキッカケは何だったんですか?
「去年はジュビロからも継続の話はあったのですが、『監督のチャレンジをしたいな』と思っていた中で、声をかけてくれたクラブがいくつかありました。その中で福島ユナイテッドFCが自分のイメージとマッチしたことと、旧知の仲の人がいたことが大きかったですね」
――ハットさんはS級ライセンスをずいぶん前に取得していて、強化部長などフロントの方を長くやっていましたけど、いつかは監督をやる、というイメージもあったんですか?
「一回はやってみたかったかな。もともと、選手を上がって、現場も考えたけど、『少し違う世界も見たいな』というのもあって、強化に入らせてもらいました。なので、『指導者のライセンスも取らせてください』という話は最初からしていましたし、もともと『現場をやりたい』というのは心の中ではあって。ただ、今後も現場をどこまでやっていくかはわからないですね。最終的に何をするかというのはまだわからないです」
――ハットさんが引退する時、チャリティーマッチで一緒になって再会したじゃないですか。あの時、ハットさんは試合にも出ていて、プレーを続けられる状況の中で引退を決めた要因は何か、という質問をさせてもらって、「自分が思うようなプレーができなくなったから」と言っていたのを覚えているのですが、それが引退を決めた大きな理由だったんですか?
「そうですね。オファーもありましたし、やろうと思えばできましたが、自分の思うプレーができなくなるのがわかったからですね。強度が出せなくなったり。そういう感覚があって、もう1年プレーするよりも、『次の人生にチャレンジしたいな』という気持ちが強くなっていたということですね」
――それでいきなり強化部長というのも凄いですよね(笑)。
「まあ、それは僕のジャッジじゃないんで(笑)。ちょうど加藤久さんがGMでいたので、肩書きだけの強化部長で、“強化部員”みたいな感じです(笑)」
ポーランドにも、ウズベキスタンにも、自分で足を運ぶ意味
――とはいえ強化部長という役職で表に出るわけですし、責任も生じます。“強化部員”よりも大変だったと思います。下積みを積む時間もなかったわけで、プレーしていたところからフロントに入って、最初は仕事のギャップのようなものはどのように感じましたか?……
Profile
柴村 直弥
1982年広島市生まれ。広島皆実高校で全国高校総体優勝し中央大学へ。アビスパ福岡でJリーグデビューした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年にラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。リーグ及びカップ戦優勝を成し遂げ2冠を達成。UEFAヨーロッパリーグでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。ウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍しACLにも出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へと移籍した。現在もプレーしつつ『DAZN』のJリーグ中継の解説なども行なっている。