JFLのティアモ枚方からJ1のセレッソ大阪にレンタルされていた新井晴樹が、この夏クロアチア1部・HNKシベニクへ電撃移籍。プレシーズンでの地元メディアの評価はやや手厳しかったが、7月16日のリエカとの開幕戦では左ウイングバックでサプライズ先発。果たして、その評価は……?
眩しい太陽に照らされた大空のスカイブルーとアドリア海のターコイズブルーが映えるクロアチア南部、ダルマチア地方は夏のバカンス客で賑わっている。南部にはセレブがこぞって集まる中世城壁の街、ドゥブロブニク。中部には世界最大級のEDMフェス「ウルトラ・ヨーロッパ」が盛り上がるスプリト。北部にはローマ帝国やベネチア帝国の遺跡と波が奏でる「シー・オルガン」が売りのザダル。沿岸に点在する島々も変化に富み、ザダル近郊出身のルカ・モドリッチはオフシーズンになればアドリア海クルーズで心身をリフレッシュしている。
スプリトとザダルの中間に位置するシベニクもまた、クロアチアが誇る一大観光地だ。人口は5万人に満たない港町だが、旧市街は中世の面影を色濃く残し、2000年にユネスコ世界遺産に指定された聖ヤコブ大聖堂が街のシンボル。対岸には89の島々が連なるコルナーティ国立公園、内陸には複数の湖と滝が段状に繋がるクルカ国立公園が人気スポットで、レストランでは海の幸や山の幸、そして芳醇なダルマチア産ワインを満喫できる。
今から20年前、シベニクを旅行で訪れた私は、カフェのテレビで日韓W杯ラウンド16「日本対トルコ」戦を見届けたが、試合後に「日本が負けて残念だ。カプチーノの代金は受け取らないよ」とウエイターが慰めてくれた。その後は観光ガイドとしてよく日本人団体をシベニクへと案内し(概して日本人は世界遺産の肩書きに弱い国民だ)、親日的でフレンドリーな現地の人々に何かと助けられたものだ。シベニクは60年以上の歴史を持つ「国際子どもフェスティバル」の開催地としても名高く、それがきっかけで旧市街の一角に「日本文化センター」が設けられていたことも覚えている。
新井晴樹が加わったHNKシベニクとは?
今夏、そんなシベニクの街に1人の日本人プレーヤーが降り立った。新井晴樹、24歳。立派に鍛え上げた太ももで50メートル5秒8のスピードが売りのサイドアタッカーだ。私の記憶が確かならば、おそらく彼がシベニクに定住する初の日本人になる。
新井は国士舘大学の4年間でレギュラーを張れなかったものの、その快速ぶりに目を留めたJFL昇格組のFCティアモ枚方が2021年に獲得。工務店で働きながらプレーしていた半年後、セレッソ大阪との練習試合で大活躍したのがきっかけで飛び級移籍(期限付き)を実現させた。セレッソでは1年間で公式戦9試合出場に留まったが、6月16日、クロアチア1部リーグのHNKシベニク(以下、シベニク)に電撃移籍を発表。ティアモ枚方がセレッソからいったんレンタルバックし、シベニクに貸し出す形を採った。シベニクとの契約期間は2023年6月まで。買取オプションも付随しているという。
1932年創立のシベニクはユーゴスラビア1部リーグに昇格した歴史はないものの、Jリーグよりも1年早く誕生したクロアチア1部リーグのオリジナルメンバー。しかしながら、強豪ハイデュク・スプリトが近くにあるがゆえ、その影に隠れてしまう運命にある。シベニクは1993年に交通事故で急逝した天才シューター、ドラジェン・ペトロビッチの出身地として知られ、サッカーよりもバスケットボールが盛んな土地柄だ。
ダルマチア地方全域がハイデュクを熱狂的に支持する中、実はシベニクのサポーター「フンチュティ」だけがハイデュクとそのサポーター「トルツィダ」を敵視している。その一方で、ディナモ・ザグレブのサポーター「バッドブルーボーイズ」とは“敵の敵”として友好関係を結ぶ。昨季はハイデュク優勝の可能性が途絶える「シベニク対ディナモ」戦においてフンチュティがディナモに肩入れ。本拠地でディナモのリーグ優勝をバッドブルーボーイズと一緒に祝うという滑稽劇を演出した。
経営危機から新体制へ。ユニークなSDと監督を招聘
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。