21-22シーズンをもって、レアル・マドリーでのイスコのキャリアが終わった。かつての本誌インタビューで直接対戦した内田篤人が「ロナウドやマルセロを自由にさせる、いるだけで本当にやりづらい選手。頭もいいし、こういう選手をもっと取り上げないと」と絶賛していた名手は、なぜ自身の才能に見合うキャリアを送れなかったのか? そしてまだ30歳の天才の今後に期待することをスペイン在住の木村浩嗣氏に聞いた。
去る6月末日、フランシスコ・ロマン・アラルコン“イスコ”とレアル・マドリーの契約が終了した。30歳になった彼への契約更新の働きかけはなく、自由契約として再出発である。
“将来のスター候補として順調にスタートしたものの伸び悩み、最後は急転落した”
レアル・マドリーでの9年間を要約するとこうなる。
大いに期待された入団だった。
11-12シーズン、マラガの史上初のCL出場権獲得も、翌年CL準々決勝に進出したのも、U-21欧州選手権でスペインが優勝したのも大袈裟ではなく、イスコのおかげだった。12年12月にはU-21の欧州最高の選手に与えられるゴールデンボーイ賞を受賞している。あの時、涙を呑んだクルトワが、今レアル・マドリーの主軸となり「世界一のGK」とされていることを考えると感慨が深い。
いつ、どうやって明暗が分かれたのか?
アップダウンが多かったキャリアから成功と挫折のパターンを探り出し、天才イスコのこれからを占ってみたい。
監督を選ぶ選手である
まず、キャリアを振り返ってわかるのが、「監督を選ぶ選手である」ということだ。
イスコはすべての監督に好まれた選手ではない。素晴らしいテクニックの持ち主であると同時に、フィジカルの弱さを抱えていることもまた、衆目の一致するところだ。「太りやすい体質」(バレンシアB時代の監督)という声もある。監督ごとの相性は以下の通り(登場順は時系列の古い順)。攻撃力のプラスと守備力のマイナスを天秤にかけ、プラスとした評価した監督には重用され、その逆の監督には敬遠された。
ボール扱いが巧みで、スペースを見つけ出す能力と戦術眼に優れ、フェイントの効いたドリブル、精確なアシストと強いシュートがある、という攻撃面には非がなく全監督が絶賛しているので、守備面のコメントを中心にピックアップした。
×ウナイ・エメリ(10-11バレンシア)
運動量の少なさを懸念しマラガへの放出にOKを出す。この件で大いに批判されたが……。
◎マヌエル・ペジェグリーニ(11-13マラガ)
欧州中の注目を集める存在にした恩師で、イスコいわく「サッカーの父」。「若さと体力不足でリズムについていけない」として週2試合のペースではプレーさせなかった。
◎ジューレン・ロペテギ(13年U-21代表)
全試合で先発しほぼフル出場。「偉大な選手で、憧れしかない」という言葉通りの重用ぶりだった。
○カルロ・アンチェロッティ(13-15レアル・マドリー)
様々なポジションで試し、順調なビッグクラブデビューの2年間をバックアップ。当初「MFとしては他の選手よりフィジカルで劣る。例えば守備力ではハメスの方が上だ」としていたが、「絶対的なレギュラーだ」と変化。「ボランチでも使えるほど守備の意欲が上がった」。
△ビセンテ・デル・ボスケ(15年フル代表)
EURO2016予選では起用するも本戦では招集外のサプライズ。「イスコは綺麗なプレーにこだわり過ぎる」という言葉が前兆だったのかも。
×ラファ・ベニテス(15-16レアル・マドリー)
「クオリティとは技術だけを指すと考えられがちだが、せっかくの技術も使い方を間違えると駄目」という考え方の持ち主の下で、出場機会が減少。ベニテス解任後、直ちに「これでまたサッカーを楽しめる」とメッセージを出したほどの不仲だった。
◎ジネディーヌ・ジダン(16-18レアル・マドリー)
「テクニック的に自分と一番似ているのはイスコ」と寵愛するも、「BBC(ベイル、ベンゼマ、ロナウド)は不動」ということで、当初は出番なし。が、ベイルがケガの間に大活躍し、“イスコか?ベイルか?”論争を起こした後、レギュラーを手に入れた。
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。