スキッベの驚きの選択。好調・広島を牽引する「アンカー・野津田」の可能性
サンフレッチェ広島の生え抜きの7番、野津田岳人が躍動している。かつての2シャドーのポジションからボランチへコンバートされ、5月7日の鹿島戦からは中盤底のアンカーを務める。無尽蔵の運動量と磨き上げた守備スキル、そこに持ち味の攻撃センスと左足の爆発力が加味され、今や好調・広島を支える「中盤の心臓」として覚醒した。クラブを追い続ける中野和也氏が「アンカー・野津田」の可能性を解説する。
「広島対策」を張り巡らせた福岡・長谷部監督
好調なチームはもちろん徹底的に研究され、対策もきめ細かく行われる。
スキッベ監督就任後初勝利となった第6節の対湘南戦以降の広島は、12試合で8勝3分1敗21得点9失点。平均得点1.75点・平均失点0.75点・平均勝点2.25。圧巻の戦績で17位から4位へと一気に上昇気流に乗った広島を、対戦相手が警戒・研究するのは当然のことである。
6月25日、ホームに広島を迎えた福岡・長谷部茂利監督は、広島対策のためにフォーメーションも変えた。
「相手の良さを消し、自分たちの良さを出すために」
指揮官が狙いをもって選択したフォーメイションは[5-4-1]。CBに宮大樹、ドウグラス・グローリ、奈良竜樹の3枚を並べ広島の前線に対応し、前嶋洋太や志知孝明も下がって藤井智也や東俊希といった紫のワイドアタッカーに蓋をした。前線からのプレッシングもあるゾーンまでは行うが、そこからはサッと引いて自陣PA前にコンパクトな守備ブロックを構築し、長いボールを駆使して相手の守備ラインを裏返す。広島のように敵陣でのサッカーを志向する相手に対しては、ある意味で常道とも言える対策。だが、常道とは効果があるからそうなるわけで、実際に広島もボールは握っているものの、打開策を打つことはなかなか難しい状況に陥った。
対策を打ち砕いた「広島の心臓」
この閉塞感を打破したのは、広島伝統の7番を背負う男だった。
28分、福岡が自陣でビルドアップ。右サイドでボールを受けたボランチ・前寛之に対して森島司が激しいスプリントでプレッシングに行ったことが伏線。この時、7番・野津田岳人はセンターサークルの中にいた。だが、森島のプレスを見て連動し、彼もまたスプリントで、前からボールを受けようとした中村駿に圧力をかけた。
前としては中村にボールを預けて動き、いい位置でリターンを受けたかったはず。だが、野津田の迫力の前に躊躇し、ほんの一瞬、迷いが生じた。野津田は、その迷いを見逃さない。
疾風のようなスライディングタックル。完璧にボールを捉え、福岡のキャプテンは吹き飛ばされた。ノーファウル。ボールはナッシム・ベン・カリファが収める。この瞬間、広島は3対2の局面を迎え、満田誠が豪快に右足シュートを突き刺した。難攻不落かと思われた福岡のブロックに風穴を開けたのは、守備の課題をずっと指摘され続けた紫のMF。広島で初めて7番を身につけた森保一(現日本代表監督)を彷彿とさせるボール奪取だった。
福岡が渡大生のゴールで追いつき、再び膠着状態に入ったゲームを動かしたのもまた、7番だった。
相手が勝利を狙って前からプレッシングをかけた77分、広島はGK大迫敬介から佐々木翔、野津田、満田と軽快にパスを繋いでプレスを剥がす。前に行かせまいと、奈良が広島のアタッカー・満田誠に圧力をかけに行った後にできたスペースを、野津田が狙った。満田からのパスを引き取り、奈良が空けたスペースにボールを運ぶ。
ループパス。完璧に裏を取ったボールはバックスピンがかかり、飛び出していたドウグラス・ヴィエイラの前でピタリ。完全にフリーとなったストライカーは、落ち着いてGK村上昌謙の頭上を越すシュート。勝ち越し点を奪った広島はさらに1点を追加し、J最少失点を誇る福岡を3-1で粉砕した。その主役は、紛れもなく野津田岳人。2点目に繋がったパスは、彼が憧れ続けた7番のレジェンド・森﨑浩司をイメージさせる柔らかな左足だった。
ミックスゾーンに現れた野津田は、笑顔に満ちていた。
「福岡の守備は強いですが、ビルドアップのところは(ボール奪取を)狙えると思っていました。2点目のところは、ファーストタッチがうまく決まったので、前を見る時間もありました。ドグは常に裏を狙ってくれているので、そこに出そうと思っていた。いいボールが出せてよかったです」
ヒーローインタビューは、2得点のドウグラス・ヴィエイラ。だが、プレーヤー・オブ・ザ・マッチを選択するなら、間違いなく野津田岳人を選ぶ。福岡の対策を打ち砕いたボール奪取からのショートカウンターを演出し、見事なパスで勝利を呼び込んだだけではない。酷暑の中、両チーム最多の11.6キロを走り抜き、球際で闘い、的確にボールを散らすボランチ=野津田の存在は、この日も広島の心臓として機能した。
シャドー・野津田の2つの弱点
広島で生まれ、ジュニアユースからサンフレッチェ広島の育成組織で育ち、広島ユース時代には高円宮杯3連覇(2010〜2012)に大きく貢献した野津田は、もともとは攻撃的な選手。破壊力に満ちた左足シュートを武器とするアタッカーとして、大きな期待をかけられた。2012年には高校3年生でプロデビュー。ルーキー時代の2013年には20試合出場4得点と活躍し、優勝にも貢献する。同期の浅野拓磨(現ボーフム)や1年後輩の川辺駿(現グラスホッパー)や宮原和也(現名古屋)らとともに、広島の未来を背負ってくれると誰もが思っていた。……
Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。