本誌『フットボリスタ第91号』では、初選出のA代表でも存在感を発揮した伊藤洋輝の独占インタビューを掲載した。取材したのは選出前のタイミングだったが、シュツットガルトでの活躍はもちろん、ジュビロ磐田や名古屋グランパスでの紆余曲折のキャリアについても素直な心情を明かしてくれた。インタビューを担当した川端暁彦氏に、あらためて「伊藤洋輝」というサッカー選手をどう見てきたのかを綴ってもらった。
「愛想がない」けど「面白いやつだな」
伊藤洋輝を初めて観たのがいつだったか、実は覚えていない。ただ、初めて話を聞いた時のことはよく覚えている。まだ、あどけなさも残る高校1年生の時だった。
年長の選手に混ざって呼ばれていたU-17日本代表の試合だったが、すでに184cmあった長身ボランチの存在感はかなり異質なものがあった。
試合後に捕まえて、話を聞いてみたら、照れくさかったのか割りとぶっきらぼうな答えが返ってきて「面白いやつだな」と思ったものだった。静岡は土地柄として取材慣れしている選手が多いので、「愛想がない」と言う人もいたのだけれど、個人的にはそこも含めて面白がっていた記憶がある。
「この子はどういう成長をするのだろうか」
つまるところ、そういう期待感である。
よく「こういう性格は伸びる!」「大成するのはこういうキャラ!」みたいな決め付けを聞くことがあるものの、ことはそう単純ではない。もちろん平気で人を傷つける犯罪に手を染めるようなキャラは論外ではあるものの、よく言われるような傾向はあるようで、ない。特に青いユニフォームに袖を通し続けるような、本当のトップレベルに到達するような選手たちのキャラクターは実に多様だ。
「最高傑作」に与えられた大きな挫折
それから7年余りの時が流れ、生意気な顔をしていた16歳の少年は身長も少々上乗せしつつ、体は服の上から見てもハッキリわかるくらいに分厚くなった。その語り口は基本的にあの頃と変わっていないが、余裕と自信、そして何より深みが出てきた。
伊藤は“ジュビロ磐田の育成最高傑作”になるのではと早くから将来を嘱望され、オランダの名門アヤックスをはじめとした欧州クラブからもユース時代から注目され、実際に十代のうちに国際移籍を果たす可能性もあった選手である。東京五輪代表でも、その立ち上げ最初期に年少の年代から選ばれていたフィールダーは伊藤だけ。その端的な事実も、この才能に対する大きな期待を物語っているだろう。
ただ、そのキャリアはお世辞にも順風満帆とは言いがたい。今回、フットボリスタ本誌で実現したインタビューでは、そうした挫折と不遇の時代についても率直に振り返ってもらったが、本人の答えも実に率直だった。
「たぶんあの時に腐って終わるか、何とか生き残るかみたいな分かれ道がありました」……
Profile
川端 暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。